第四話
そう言ったネイ兄様の足は真っ直ぐ厨房へ向かう。メイドのベルリラにおやつをねだりに厨房に行った記憶があるけれど、それもまだ明るい昼間のうち。真っ暗な夜に行ったことは当然ながら無い。昼の廊下と夜の廊下では全然違う場所に見えて怖いのに、兄様は遊び慣れた場所のようにずんずん進んでいく。全く怖がっていないみたい。
「兄様、怖くないんですか?」
「全然? 暗いのは平気だよ」
廊下と同じく真っ暗な厨房、ここはお仕事が終わっているようだ。兄様は真っ直ぐテーブルに近寄ると、テーブルに載せられた籠の中、山積みになったパンへと手を伸ばした。
「へへ、夜はなんだかお腹すいちゃって。今日もあって良かった。リュート、お腹すいてない?」
「え、えっと」
そういえばお腹がすいてるかも、ネイ兄様に問われて初めて気付く。お夕飯を食べてからどれくらいだろう、気付いてしまえば無視はできない。急に鳴き始めたお腹の虫さん、その声を聞いた兄様はにんまり笑う。
「やっぱり、お夕飯あんまり食べてなかったもんね。お夕飯の残りのパンだけど一緒に食べよ、お腹すいたまま寝るのは嫌だもんね」
「ありがとうございます、兄様!」
「じゃあ早く部屋に戻ろ。みんなには内緒ね?」
パンが盛られた籠からパンを二つ取って、ネイ兄様とお部屋に戻る。暗いのに目が慣れてほんのちょっとだけ怖くなくなってきた。兄様の手を握って廊下を歩く。
兄様に手を引かれてやってきた兄様の部屋、あかりは無いけど大きな窓からお星様が見えて明るく見える。勉強机に大きな本棚、ボクの部屋にはまだ無いものがたくさん。ボクももう少し大きくなったらボクだけの勉強机がもらえたりするのかな。
「わあ、兄様のベッドふかふかです!」
「お行儀悪いけど、ベッドの上で食べるパンが美味しいんだよね〜」
大きなベッドに座って、ふかふかの感触をおしりで確かめる。ほいくえんで遊んだトランポリンみたい。
「こら、ベッドで遊ばないの。ほこりが立っちゃうから」
「あう、ごめんなさい」
「ほら、早く食べよ。いただきます」
「はい、いただきます!」
ぱくりと大きな一口、パンをかじる。お夕飯の時よりも少し固くなっちゃってるけど美味しい。美味しいけど、おうちやほいくえんで食べたパンとは何かが違う。何が違うんだろう。お父さんや友達がいないからかな。
帰りたい、ここには父様も母様も兄様達もいる。寂しくない、寂しくないはずなのにおうちに帰りたい。にほんに帰りたい。お父さんのいるおうちに帰りたい。お父さん、今何をしてるんだろう。お母さんがいなくて、ボクもいなくなって、寂しがってないかな。ボクが泣きたいくらい寂しいんだ、お父さんもきっと寂しがってる。でも。もし仮ににほんのボクが生まれ変わってナーストロイのボクになったのなら、帰る方法なんてあるのかな。ナーストロイなんて、にほんにいた頃は一度も聞いたことがない。そんな国から、おうちに帰れるのかな。
ジャムもバターもないパンをもそもそ食べていると兄様のあたたかい手がボクの頭を撫でた。お父さんに頭を撫でられるのは好き、でもはじめましての人に頭を撫でられるのは怖い。ネイ兄様もにほんのボクとははじめましてのはずなのに、兄様の手はこんなにもあたたかい。きもちいいなぁ、兄様の手のぬくもりにうっとり目を細める。
「眠い? そろそろ寝る?」
「でも、まだパンが」
「いいよ、そんなの。明日お庭の猫にあげよう。牛乳に浸してあげるとすっごく喜ぶよ」
「……ごめんなさい」
「リュートが謝る事じゃない。本当だったらこどもはもう寝る時間だもん。ほら、もう寝よう?」
食べかけのパンを兄様の勉強机に隠して、兄様のベッドに潜り込む。
「おやすみ、リュート」
「おやすみなさい、ネイにいしゃま……」
「明日のお前にちょっといいことがありますように」
兄様に抱きしめられたお布団の中、目を閉じる。明日のボクに、ちょっといいこと。目が覚めたらにほんのおうちだったらいいなぁ。ナーストロイの国がいやだってわけじゃないけど、ボクはやっぱりにほんのおうちがいい。お父さんのいるおうちがいい。お父さん、おやすみなさい。そういえば、お父さんと一緒じゃない夜ってはじめてかも。
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