「星は日の出に溶けて消える」第四話

「ねぇ、オリアーヌ」

「何?」

「ランタン、消して貰っていい?」

「ちゃんと飛べる?」

「貴方にいっぱい練習に付き合ってもらったんだもの、それに今日は星明かりもあるんだから」

「わかった、じゃあ消すわね」

 同行者の願いを叶える。ふっと暗くなる視界、ほんの少しすれば目が慣れて星明かりだけでも物が見えるようになる。金色の繭達が放つ光を受けて、ステラの髪がきらきらと輝いている。

「思った通り凄く綺麗。綺麗ね、オリアーヌ」

 はしゃぐ彼女の言葉にあんたの方がずっと綺麗よって答えたくて、声に出せなくて。

「ええ、綺麗ね。本当に綺麗」

「学校で見るよりずっと多くの星が見える」

「この空のどこに隠れていたのかしらね」

「どこにも隠れていないわ、星はどこにも行かない。学校が明るくて見えないだけよ」

「本当かしら。光るのをサボってるだけじゃないの?」

「星は真面目なの、誰かさんみたいに」

「その誰かって、誰?」

「さあ、誰の事かしら」

 悪戯に笑う顔が星明かりに照らされて、ああ、彼女も随分魔女らしくなったな。私と首席を目指す為の契約をしてからと言うものの、人間だった彼女は魔女に染まってしまった。魔女は傲慢で意地悪で、人を困らせる悪戯が大好き。最初は悪戯に誘っても困ったように眉を寄せてはやるかやるまいか悩んでいたと言うのに、入学して二年目に入る頃には自分から率先して悪戯を仕掛けるようになっちゃって。ステラの場合とても可愛らしい悪戯が多かったけれど、私も何度かやられた。髪留めにしている黒いリボンを虹色に染められてしまったりとか、履いたら勝手に図書室に向かうような魔法を靴にかけられたりとか。よくもまあ、あんな大人しい子がここまで。なんて先生達に呆れられたり怒られたり、色々したっけ。

 彼女が早々に染まったおかげで人と魔女の違いはほとんどわからなくなった。だから忘れていたのだ、ステラが人間であることを。

「ねぇ、オリアーヌ」

「なぁに?」

「わがままを言ってもいい? 私、貴女の魔法が見たいの」

「私の魔法?」

「うん、いいかな? オリアーヌの魔法、見るの好きなんだ」

「いいけど……。ステラの魔法も見せて?」

「もちろん!」

 呪文を唱えてランタンに火を灯す。それだけかと言いたげな学友の顔を見てウインク一つ。

「まあ見てなさい」

 学校を卒業して魔法の研鑽を怠るような私ではない。私の魔法はこれから。

 声に魔力を混ぜ込んで、呪文を続ける。オリジナルの魔法の呪文、それに呼応するようにランタンの火がぱちぱちと火花を散らし始める。火花が出始めた火は小さなランタンの中でどんどん成長して、小さな空間を埋め尽くす。箒の柄に提げたランタンががたがたと震え始めたかと思えば、大きくなった火はランタンのガラス戸を開けて飛び出す。火は日に変わり、私達の間で小さな太陽として夜の闇を払う。

「どう? これが日の出の魔女と呼ばれる私の実力よ」

「素敵! 小さなお日様ね」

「太陽みたいな火の塊に見えるけど、触っても火傷はしないわよ。触ってご覧なさい」

 おずおずと手を伸ばし、魔法の太陽に触れる学友。魔法が生み出した火は当然ながら熱い、触れれば普通に火傷をする。けれど私の魔法は、私の魔法なら。学生時代、いや入学前から魔法の扱いに長けている自信があった。それは今も覆る事は無い。そんな私だからこそ魔法の火の温度を操る事も朝飯前な訳で。

「春のお日様みたいに暖かい、まるでオリアーヌの心の様ね」

「それは言い過ぎよ」

「言い過ぎなんかじゃないわ。触れていると心まで暖かくなるの」

「ああ、えっと。ステラ、貴女の魔法を見せてもらっても?」

 ステラに褒められるのがどうにも恥ずかしくて、むず痒くて。本当はもっと褒められたいのに、それを遮ってしまう。私の悪い癖。

「はいはい。せっかく作ってもらったけれど、このお日様お返しするわ。星明かりが無いと出来ない魔法なの」

「じゃあ消すわね」

 一抱え程の大きさの魔法の太陽は見る見るうちに萎んで消えた。

 太陽が消えて一瞬、世界に闇が訪れる。それを払う星達の輝きが私達を照らす。

「それじゃあ今度は私の魔法ね」

 両手のひらを前に差し出して、祈る様に、歌う様に唱えられるステラの呪文。それに呼応するかのように星が瞬く。輝きの強い一等星、二等星、人の目には視認する事も難しい六等星ですら彼女の為に輝いて。輝いた天の繭達は細い細い糸を伸ばし始めてステラの手の中へ。繭から取り出された金糸は彼女の手の中で紡がれ織られ、星達の光照り返す金となる。

「さあ、オリアーヌの指を飾る宝石は何がいいかしら」

 今日のおやつは何にしよう、みたいに笑う楽しげな声と共に星を見上げるステラ。どれにしようかな、白い指先で迷って、見つけたのは。

「アンタレス、あれがいいわ」

 南に輝く赤い星を紺色の小さな空に映して、彼女は歌い始める。蠍の心臓の輝きはステラの呪文に共鳴して光を増す。大きくなった光は星を飛び出して、一直線に私達の元へ。降ってきたオレンジ色の光はステラの手の中に飛び込んで、大きな火花を散らした。

「はい、完成」

 そう言って魔法の成果をつまみ上げてこちらに見せては笑った。

「オリアーヌにあげる。手を出して?」

 箒を寄せて右手を差し出せば、今作ったばかりの金の指輪を人差し指に通される。星々の輝きたる金の地金にアンタレスの光を宿す橙の宝石がはめ込まれたリングが、私の指の上で輝いている。

「私が貰っちゃっていいの?」

「貴女の為に作ったんだもの、もちろんよ」

 ステラの魔力が込められたリングはほんのりと暖かくて、彼女の魔力に触れるのはいつぶりだろう、ステラはいつの間にか魔法を使う事をやめてしまっていたから。学校を卒業して、いつの頃からだろう。ステラが魔法を使わなくなったのは。

 卒業してしばらくは街の薬師として魔法を使っていたけれど、いつの間にか魔法に頼らずに薬を作っていた。そして気が付けばステラは人間の男と恋をして、結婚して、子供が出来た。もちろん友人の一人として祝福した。彼女が幸せそうに笑っていたからそれがステラにとっての幸せだと、私も祝福したのだ。彼女は人の子、魔女ではない。人の子にとっての幸せは魔女にとっての幸せとは違うのだ。彼女は人の子、魔女ではない。本来彼女が生きていくのにそもそも魔法なんて必要ないのだ。使う必要が無いから、使わない。それは至極当たり前の事。どうして使わないの、私に問う勇気などなかった。思えば、拭いきれぬ寂しさを抱え始めたのはその頃だった。

 ステラが魔法を使わなくなって、伴侶を得て。勝手に置いていかれた気分になって、勝手に拗ねて。彼女の生きる道に魔法なんて魔女なんて要らないのだと距離を置いて。そうしたら、私が置いていかれてしまった。

 人の子が老いる速さを知らなかった。私の体の年齢が止まって、なのに彼女はどんどん老いて。人の子が老いるというのは知っていたけれど、こんなに速いだなんて。私が魔女としてひよっこの百年を過ごしている間に、彼女は母になって祖母になって、人の子の信仰する神の元へ旅立った。

 今彼女に貰ったこの指輪、ずっしりと重みのある金のリングもいつかくすんで輝きを失う時が来る。在学中にステラの母親が亡くなったと便りが来て、ステラが深夜声を殺して泣いていたのを覚えている。対して私の母は未だ存命で衰える気配すら無い。娘と同い年の人の子が最期の眠りにつく程の歳を重ねてなお、魔女として最高の姿を保ち続けている。そんな母も、いつかはステラや彼女の母親の様に。私も、いつかはステラや彼女の母親の様に。私も、いつかは。箒の柄をぎゅっと握りしめる。今は、まだ見ないふり。未来の事なんて誰にもわからないんだから。

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