蜂蜜色の瞳「呪歌使い戦記」第一話

 全ての始まりは、一通の手紙だった。あれは何時の事だっただろう。年数にして十二年、しかし。ここに至るまで、果たしてどれほどの時間が流れたのだろうか。
 僕は元々国の端にある小さな港町の生まれ。漁師である父は僕が産まれる前に船が転覆し、母は僕を産んだ際の産褥熱で死んだと聞く。産まれてすぐに身寄りを亡くした僕は教会の孤児院で育った。漁師町に産まれた男児、大人になれば親の背を追って漁師になるものだと思われていたそうだ。
 僕が五つになる年の春のある日、神父様に一通の手紙が届いた。シスター達から聞いた話によると僕の親になりたいという人からの手紙らしい。親という物はよくわからない。教会のシスター達や神父様は一緒に暮らしてはいるけれど、親かと問われると答えに困る。そんな僕の親になりたい人とは、どんな人だろう。
 この手紙が、小さな小さな漁師町に生まれた僕の人生を大きく変えることになった。この手紙が僕の人生を狂わせたとは、言いたくない。この口が裂かれようと、この喉掻き斬られようと、神の裁きを受けようとも。
「初めまして。私はルイス、ルイス・キャンウィール」
 僕を引き取りたいという手紙が来て二ヶ月。ルイスと名乗ったその人は随分と背が高い人だった。晩春の、もうじき夏が来る頃だと言うのに重く暑苦しそうな上着を着ていた事を覚えている。黒い上着の広がった袖や裾はきんきら輝く金糸で模様が縫い取られていて、同じ黒でも神父様やシスターの服とは全く違う。この人はどういう人なのだろう。
 緩い癖のある黒い髪に、町の男達よりも大きな背丈、なのに大きな上着に隠された体は細い。胸元に輝く金色の台座にはめ込まれた薄緑の透明な石から見るに、とても裕福な人である事は想像に難くない。そんな特徴を持ってしても、この人の瞳ほど僕の目を奪う物はなかった。
 朝焼けか、夕焼けか。そんな色の瞳。シスター達のお手伝いをしていた時、桶の中の水面に映りこんだ僕の目の色と一緒。僕と同じ色の瞳のはずなのに、どうしても目を奪われてしまう。目を奪われてしまう程に綺麗な色の瞳を持つ人を、僕は他に知らない。この人が、僕の親になりたいと言う人。この人が、親のいない僕の親になる人。
 その日から僕の父親になる人は二月に一度の頻度で教会を訪ねてきた。その度にシスターや神父様はその人を丁寧にもてなしているのを見た。孤児院の仲間を引き取りたいと訪ねてくる人は数多く居たけれど、ここまで丁寧なもてなしは見たことが無い。町のお金持ちよりもずっと偉い人なのだろうか。
 最初の手紙から二年が経って、僕が六歳になった時。僕は正式にその人の子供になった。その人の住む家は遥か南西に位置する草原のど真ん中にあるらしい、馬車と徒歩で七日もかかるとか。国の端の漁師の町から、国の端の草原のど真ん中へお引っ越し。きっとここに、この町に帰ってくる事は無いだろう。僕よりも先に新しい家族に貰われていった子供たちは誰一人として帰ってこなかったから。きっと僕もそうなる、そうなってしまう。だから、家族同然の友とさよならをした。さよならをして、新しい父親と住む家に旅立った。
 長い長い馬車の旅。一週間も馬車に揺られるなんて初めて。慣れない大移動に疲れて、父親になる人の肩にもたれて、馬車の中眠ることもあった。そんな時、目が覚めれば僕は父親の腕の中。優しく抱きしめて、背中をとんとんしてくれる。シスターがお昼寝中にしてくれることも沢山あったけれど、こんなに心落ち着くのは初めて。
 この人は、昔話の魔法使いみたい。この人の全てが僕に安らぎを与えてくれる。僕と同じ色の目、大きくて細い筋張った手、穏やかで優しい声。この人の持つ全てが、魔法使いの魔法みたい。おしゃべり好きなシスターが聞かせてくれた昔話に出てきた魔法使いそっくり。そんなこの人の正体を、新しい家で知ることになる。
 草原のど真ん中に立つ赤レンガの家。ここが僕の新しい家。馬車と徒歩で七日、本当に長かった。鍵のかかった木製扉を開けて真っ先に感じたのは薬の匂い。風邪をひいた時に飲まされた薬草の匂い。それと神父様が読み聞かせてくれる古い聖書のような匂い。思い出すのは港町の薬師のおばあさんだった。
 この赤レンガの家での僕の部屋は二階に出来た。二階のある家なんて、さらには子供部屋に天窓があるなんてとても珍しい。薬と古い紙の強い匂いからして、薬を売って裕福な暮らしをしているのだろう。だけどこの家の主は、僕の父親は薬師では無い、何故かそう思わせた。
「……さて、今日からここで暮らす訳だが……。その前に、改めて自己紹介させてもらおう。私はルイス、ルイス・キャンウィール。君がわかりやすく言うのであれば……魔法使い。魔法使いの一派、キャンウィール。手っ取り早い話が、君を弟子にしたいんだ」
 魔法使い。僕の頭にその言葉がすとんと落ちてくる。だから、だからこの人は。
「魔法使いの、弟子……」
「興味は、無いかな。魔法に興味がなくとも、弟子にならなくとも、私は君を家族として受け入れたい」
「……僕でも、なれますか? 魔法使いに、僕もなれますか?」
 その言葉に耳を貸さなければ、僕はどうなっていただろう。わからない。わからない方がいいのだ。
「……君に名前をあげよう。プイス、プイス・キャンウィール。ここから東にある鯨の国の言葉で、知恵を意味する英雄の名」
「プイス・キャンウィール……」
「キャンウィールの名を継ぐ魔法使いよ。君に我が知識の全てをもたらさん……」
 こうして、僕は魔法使い、魔法使いの一派キャンウィールの一員となった。ルイス・キャンウィールを師に仰ぐ魔法使いの弟子、プイス・キャンウィールとなった。この名にまつわる事件に巻き込まれるのは、十二年も先のこと。今の僕には知る由もない。今の僕は、ルイス・キャンウィールの弟子、プイス・キャンウィール。父母を亡くし、孤児だった子供は、今ここに魔法使いの弟子となった。
 これは、呪歌使いと呼ばれる魔法使いの一派キャンウィールの名を継ぐ僕の、運命に抗う物語である。

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