「星は日の出に溶けて消える」第八話

 ステラが学校生活の中で成し遂げられなかった事はただ一つ。遠い昔の私達が仲良くなるきっかけになった、たった一つの約束。

 おもむろにワンピースのポケットに手を入れるロクサーヌ。小さな手が再び白日の元に照らされた時、太陽とも星とも違う輝きが見えた。

 私達の約束。叶わなかった契約。その象徴たる金時計、忘れるはずもない。私の名が刻まれているはずの金時計、あの日ステラに押し付けた私の金時計。魔女の学校の、首席の証である金の懐中時計がロクサーヌの手に握られていた。

「これ、貴女にお返しする。おばあ様が昔貴女から預かったって」

「それはステラの、貴女のおばあ様の物よ」

「じゃあ何故、この時計に貴女の名前が刻まれているの。私、知ってる。おばあ様から聞いた。金の懐中時計は首席の証、この時計に刻まれた名前の持ち主が首席だって。この時計に刻まれたオリアーヌの名が貴女のもので無いのなら、この時計の持ち主は何処のオリアーヌなの」

「さあ、何処のオリアーヌの名前なんでしょうね」

「私、知ってる。おばあ様から聞いた。おばあ様が貰ったのは銀の懐中時計だって。銀の懐中時計は次席の証、その時計に刻まれた名前の持ち主が次席だって。おばあ様が次席だった証は何処。おばあ様の名前が刻まれた銀時計は何処にあるの」

「さあ、何処にあるのかしら」

「私、知ってる。貴女がおばあ様の銀時計を持っている事。おばあ様の棺の前で預かった時計って、壊してしまったって言っていたのを聞いたわ。この時計は貴女の時計、そしておばあ様の時計は貴女のポケットの中。おばあ様の銀時計、返して」

「駄目よ、これは貴女には返せない」

「私が、おばあ様では無いから?」

「そうよ、貴女はステラじゃない」

「おばあ様じゃないなら出来る。おばあ様に出来なかった事、私には出来る。だって私はおばあ様では無いから」

 何がこの子をここまで駆り立てるのか、私にはわからない。人でありながら、ただ魔法が使えるだけの人間でありながら魔女に混ざろうとするロクサーヌ。この子の曾祖母はこんなに頑固な人だったかしら。私には覚えがないわ。どうしたものだろう。

「……貴女、本気なの? 人が魔女に混ざって生きていく事の苦しさを知って、それでも尚魔女の学校に行きたいというの?」

「私は本気だし、正気よ」

「見た目はステラに似ているけれど、中身は全然似てないわね。貴女のおばあ様はここまで強情ではなかったわ」

 紺色の夜空を宿した瞳に光る意志は堅く、簡単には折れ曲がってくれそうにない。ならば。

「そうね、一つ貴女を試しましょう。何でもいい、貴女の魔法を見せなさい。その出来によって、貴女が入学するに相応しい魔女かどうか判断してあげる」

「魔女の学校に入学出来るの?」

「貴女の魔法次第ね。貴女の魔法が素晴らしいものであったなら、推薦状を書いてあげる。貴女の実力を私に示しなさい」

「わかった。……貴女の時計、貸して」

「これを?」

「借りるくらい、いいでしょ」

「壊れているわよ」

「好都合だわ」

 落として壊してしまったステラの銀時計をロクサーヌの手のひらに載せる。小さな両の手で包み込まれた銀時計は窓から差し込む陽光を鈍く照り返して、星では無く月の様。

 祈る様に、歌う様に、呪文を唱え始めたロクサーヌ。性格は似ていないけれど、彼女の魔法はステラによく似ている。ロクサーヌの魔法に反応して銀時計が光り始めた。ふわりと彼女の手から浮いて、時計の針は逆戻り。歯車も全て逆回転、この時計が刻んで来た時全てを巻き戻している様。巻き戻すなんて構造的に不可能なのに、ロクサーヌの魔法は一体どんな風に作用しているの?

「……出来た、これで元通り。時間も合わせておくから」

 ロクサーヌから返されたステラの銀時計はアンティークの質感そのままに、かつての歯車の動きを取り戻した。刻まれた名の主の終わりと共にその活動を止めた懐中時計が、再び動き出したのだ。

「随分大切にしていたのね、その時計」

「どうしてわかるの」

「修理の跡が無いもの。修繕魔法を使った形跡も無い、だから」

「……貴女、そんなことまでわかってしまうのね」

「おばあ様に教わったから。この金時計を貴女に返すまで、止まってしまっても自分で何とか出来るようにって」

 ロクサーヌが差し出した金時計には、若干のステラの魔力とロクサーヌの魔力による修理の痕跡、そして日常の手入れが施されていた。刻まれた私の名もそのまま綺麗に残っていて。

 皮肉な物ね。私に与えられたはずの金時計はステラとそのひ孫による数々の修理を経たけれど今も動いていて、ステラに与えられた銀時計は私の不注意で止まってしまった。これじゃまるで、私がステラを。けれど。ステラの為の銀時計は再び動き出した、夜明けの魔女ロクサーヌの手によって。

 明けない夜は無い、日の出はどんな日でも必ず来る。日の出が、夜明けが無ければ星の輝く夜は来ない。日の出が、夜明けがあるからこそ夜の星達は儚く美しく輝き、次の夜に再び美しく輝く為日の出にその姿を溶かして消えて行くのだ。日の出を呼ぶのは夜明け。夜明けが来たのちに日の出があり、昼を挟んで日暮れの後夜が来る。

 ステラの言っていた、私のそばにいる夜明けとはこの子の事なの? だとしたらステラ、貴女はとても酷い事を言うのね。あんなに苦労したのに、それと同じものをひ孫に経験させようなんて。それとも、この子なら出来ると貴女は思っているの? 命無き懐中時計は肯定とも否定とも取れぬ秒針の音を響かせる。

「……素晴らしい魔法ね。いいわ、推薦状を書いてあげましょう」

「じゃあ……!」

「お察しの通り、合格よ」

 私も随分と人に染まったものね。魔女には縁のないものだと思っていた情とやらに絆されるなんて。これもステラ、貴女のせいね。

「ありがとう!」

「感謝は魔法の師である貴女のおばあ様になさい。おばあ様の教えた魔法がなければ貴女は試験を受ける資格すらなかったのだから。さあ、しばらく忙しくなるわね。二通も手紙を書かねばならないのだから」

「二通も?」

「一つは学校に送る貴女の推薦状、もう一つは……学校から来た手紙への返事。学校の先生にならないかって言われていて、返事が面倒で返していなかったのだけれど……」

「貴女が私の先生になるの?」

「さあ、それはまだわからないわ。けれど何かしらの科目でそういう事になるのでしょうね」

「楽しみだな、魔女の学校」

 私も随分人に絆された。随分人に染まってしまった。でも、これでいいのよね、ステラ。貴女は、私に生きる意味を与えてくれたのよね。きっと、貴女に良く似たひ孫が心配だったのよね。貴女のひ孫は私が責任をもって預かるわ。だから、安心してちょうだい。

 私は日の出の魔女、オリアーヌ。星の魔女ステラと共に夜明けを迎えに行った。星は日の出に溶けて消えたけれど。世界には夜明けが来た。

 ステラ、ステラ。私の大切な親友ステラ。愛しているわ。いくつもの夜を昼を越えてもずっと、ずっと。何度星の夜を見送って夜明けを迎えようとも、私はずっと。

 金の懐中時計と銀の懐中時計は今日も時を刻む、同じリズムで。銀の時計は一度止まってしまったけれど、再び動き出した。星は日の出に溶けて消えても、ずっとそこにある。貴女もそうよね? だから私達の時計の歯車は、私達の世界は今日も回り続けるの。星の夜を、日の出を迎える為に。

 星は日の出に溶けて消える。夜明けは日の出と共に世界を照らす、星達輝く夜を迎える為に。

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