第十一話
「ねえ、リュート」
もう何度目かわからない、ネイ兄様のお部屋にお泊まりのある日。いつもみたいに兄様がボクを楽しいことに誘ってくれるのかと思ったら。
「お前はだれ? どこのだれ?」
「え?」
「お前を用意したのはだれ? 体は寸分たがわず本物にそっくりだもの、すごいね、どうやって用意したんだろう。でも中身は全然別物。お前はおれの弟じゃない、おれの弟をどこにやったの?」
兄様の青い目がボクの目をじっと見つめて迫ってくる。ボクがナーストロイのリュートじゃないって、兄様にはばれてるみたい。
「ここ、です。兄様の弟はここにいます」
「へぇ、しらを切るつもり?」
「だってボクは」
「本物はね、ベルリラのお父さんが誰かなんて気にしたりしないよ。お前と入れ替わったはずの本物のリュートはどこ?」
どうしよう。どう言えばいいの? ボクは確かにナーストロイのリュートじゃない、でもボクはにほんのりゅうと。本物のリュートじゃないけど、本物のりゅうと。
「……兄様、ごめんなさい。兄様の言う通りボクはリュートじゃないです」
「やっぱり。怖い夢を見たって大騒ぎした日からお前が入れ替わっていたのはわかってたよ」
「そんなに前から……」
「それで、お前はどこのだれ? ここに来た目的は何?」
「ボクはにほんのりゅうとです。目的は……わかりません。にほんでお父さんと一緒に寝ていたと思ったら、ここにいました」
「にほん、聞いた事無いなぁ……」
「ボクもナーストロイなんて国は聞いたことないです」
「寝て起きたらここに居たの?」
「はい……」
「ねえ、ニホンってどんなところ?」
「えっ?」
「ナーストロイから出た事ないからさ、この国の外がどんなところか知らないんだよね。ねえ、お前がいたにほんのこと教えてよ」
「えっと」
「ニホンだと何を食べてたの? 国が違うと食べるものも違うってセタール先生が言ってた」
「えっと、お米……です」
「オコメ……パンとは違うもの?」
兄様の質問にひとつひとつ答えていく。ボクが住んでいたにほんの話はネイ兄様のおメガネにかなったみたい。
「へぇ、ニホンって面白いね。そんなところからお前は来たんだ」
「は、はい」
ボクはこれからどうなっちゃうんだろう。父様やじいやに言いつけられて、お城から追い出されちゃうのかな。
「……ねえ、りゅうと」
「は、はい。何でしょう」
「ニホンに帰りたいとか思わないの?」
「か、帰れるのなら、お父さんのところに帰りたいです」
「そっかぁ、お前も大変だねぇ」
「……父様に言いつけないんですか?」
「そんなことして何になるの?」
「え?」
「お城から追い出されて、行くところあるの?」
「な、無いです……」
「父様に言いつけたところで、おれには何の得も無いし、お前には行くところも無い。それだったら黙ってる方がいいよね」
「兄様……!」
「勘違いしないで。おれはお前がまだ無害だから放っておくだけ、お城の人や父様達に何かしようとするのならサクソルンに叩き出して貰うから」
「……はい」
兄様に特大の弱みを握られてしまった。でもボクが何か変な事をしなければ兄様も何もしないって言った。ボクはまだここにいていいんだ。
「それで、にほんのりゅうと」
「は、はい」
「おれだけがお前の秘密を知ってるのも不公平だから、お前にだけ見せてあげる」
「……ネイ兄様の秘密ですか……?」
「そう、おれの秘密。じいやにもばあやにも、父様や母様にも内緒にしてること」
お洋服をつめこんだ衣装タンスのすみっこ、お洋服に埋もれるようにして隠された小さな箱を引っ張り出して来たネイ兄様。鍵がかかった宝箱みたい、その鍵は兄様の勉強机の引き出しに。小さな鍵を外して、中を見てみれば小さな紙がいっぱいに詰まってる。そのひとつひとつに絵が描かれてる。
「これは……母様、こっちはベルリラ……」
どれもみんなお城に住んでる人達が描かれていて、見るだけでこの人ってわかるくらいに上手。
「これ、全部兄様が描いたんですか?」
「そう。……おれさ、バイオリンも好きだけど、絵を描く方が好きなんだよね」
「すごいすごい! 兄様上手! ……でもなんで、ないしょにしてるんですか?」
「絵なんか描けたって、それが何になるの? 誰か人の役に立つ?」
そう言った兄様の声はすごく悲しそうで、寂しそうで。バイオリンが上手で、お絵描きも出来て、そんな兄様がどうして。
「バーロン兄様はお医者様になる勉強をしてる、オフィクレイド兄様はもうすぐ騎士団の新入りを試験する立場になる。おれは? 勉強は嫌い、剣の才能も無い。どっちも兄様達には遠く及ばない。使える魔法も兄様達と比べたらしょぼいし。そんなおれが絵を描けたからって、何になるのさ。セタール先生の絵描きの話みたいに、おれも絵を描いて魔法が使えたら」
だからあの絵を描く魔法使いのお話をセタール先生にねだるんだ。自分がああなりたかったって。
「兄様、あのね」
「何?」
「にほんには、写真っていう絵があって。絵じゃないんだけど、絵みたいな、そんなのがあるんです」
「しゃしん。お前が見たそのしゃしんってやつにはどんな絵が描かれていたの?」
「にほんのボクの、お母さん。ボクのお母さんはボクが生まれてすぐ死んじゃったから、お母さんの顔は見た事がない。無いけど、その写真があるからボクはお母さんの顔を知ってる。お母さん以外にも、ほいくえんのお友達と一緒に撮ったりとか、お父さんと遊びに行った先で撮ったりとか。見たものそのままを絵に出来ちゃうんです」
「へぇ。魔法みたい」
「兄様が描く絵も魔法みたいです。だって母様やベルリラにそっくりなんだもん。ボク、兄様のお絵描き見てみたい!」
「……ちょっとだけね」
「ボクもお絵描き好きなんです。ボクもやっていいですか?」
「しょうがないね。いいよ、道具はあるからこれ使って」
兄様の道具を借りてお絵描き。ほいくえんのいじめっ子達にへたくそって笑われていたけど、お父さんはボクの絵を褒めてくれた。そういえば。五歳のお誕生日にお絵描き帳をお父さんからもらったけど、まだ一ページも使ってなかったな。あれに何を描こうか楽しみにしてたのに。
「結構上手いじゃん」
「ありがとうございます。兄様は何を……わあ、父様だ!」
兄様が小さな紙に描いた父様は本物の父様にそっくり。こんなに上手に描けるのに、どうして兄様は隠すんだろう。
「さ、今日はもうおしまい。そろそろ寝よ」
「もう少しだけ……」
「だーめ、良い子は寝る時間。お絵描きなら明日も出来るから」
「……わかりました……」
兄様の宝箱に兄様が描いた絵と、ボクが描いた絵を入れて、おやすみなさい。
「ねえ、兄様」
「何?」
「ボク、兄様の絵好きです。兄様のバイオリンの魔法も」
「……そう。おやすみ、リュート」
「おやすみなさい……」
紙の匂いがする兄様の手がボクを寝かしつける。兄様の手ってすごい。あんなにバイオリンを上手に弾いて、お絵描きも出来て。ボク、兄様のおてて大好き。兄様のおててが好きってもっといっぱい言ったら、兄様も悲しそうな顔しなくなるかな。ボクにできることはないかな。教えてよ、お父さん。
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