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僕と学校

僕は二年と半年程前に死亡して、今は幽霊であり、そういう類の生き物を研究する大学に被検体として通っているのですが、最近は何にもやる気が起きないので学校を休みたいという欲求が高じてきました。

僕は生前学校、、、というより教師が嫌いでした。
僕達に努力と品行方正を強要し、上から目線で知ったふうな口をきいて講釈をたれてくる人達であり、しかも彼らは進学に関する重要な数字の決定権を握っており、僕らは教師の発言を無思考で受容し顔色を伺わなければいけないのです。

教師のような社会経験の乏しい人間がこれからの社会の未来を担う若人たちを教育するとはいかなることかと思うのですが、最近は僕らではそうも言えないなとも思うのです。

そもそも、僕らは学生なのであって、僕は曲がりなりにも進学校に通っていたので、バイトなんかは禁止されていました。
つまり、僕を含めた多くの学生が社会経験ゼロの人間であり、社会経験の有無だのなんだのと論じるスタートラインにも立てていないのではないか、と疑問を持ってしまうのです。
成人し、自立し、社会の一員として立派に責務を果たしている人ならば良いのですが、僕ら半人前がそのような生意気を言う道理はないのではないでしょうか。
まぁ、身の程を知らないわがままや生意気は、半人前の特権かも知れませんが。

それに、社会経験や処世術の知識を欲するのであれば、義務教育を終えた途端に就職し、社会に出れば良いのではないでしょうか。
高校・大学で学ぶ知識や行う研究の中で、社会で活きるものなどほとんどないと思います。これに関しては共感してくれる学生も多いと思います。
なれば、そんなことに時間と徒労を費やすのではなく、さっさと手に職をつけて働くのが良いのではないでしょうか。
ですが実際は、多くの人が高校へ進学します。
その選択の大きな理由の一つが、日本の学歴社会にあると思います。机に向かうことに多くの時間を使い、無為な知識を付けた人間が高給取りになり、学歴の代わりに労働をした経験豊富な人々が彼らの指示で働く社会です。

つまり、もっと実力や成果を第一とする社会にすればより良いと僕は思うのです。

と言ってみましたが、そんな世界において「僕」はどうでしょう。
そのような社会の方が理にかなっているとは思うのですが、そのような社会では、僕のような無気力で無能な人間は虐げられるでしょう。きっと。
そして僕のような人間は意外と少なくないのではないでしょうか、、、いや、たくさんいてくれると僕としては嬉しいですね。

兎に角、そのような自堕落人間にとっては、最低限のお勉強をして、教師のご機嫌を伺って生きればそれなりの人生が保証される社会というのはありがたいとも思うのです。そういう駄目な人間が多いからこそこのような社会構造になっているのかも知れませんね。


まぁ。
僕はもう死んでいて、二度と社会経験を積むことはできないので、以上の文章は全て僕の妄想の垂れ流しなのでありますが。
悲しいです。

死は意外と身近にあるので皆気をつけて下さいね。
未練を持って死なないように、自分の人生はよく考えて歩むべきと思います。


おしまい

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