自己紹介 その2 フリーランス編
まず、本題に入る前に、現時点で前回の記事に40個もの💛
をつけてくれた方々、フォローをしてくれた2名に
心からの感謝を込めて、ありがとうございますと送りたいです!
初めての投稿で至らぬ点があったかと思いますが、それでも評価を
してくださってすごく嬉しかったです。これからも皆さんに届く
記事を更新していきたいと思います。(コメントも是非ぜひ!)
小学校~中学校まで野球を続ける
小学校3年生から本格的にリトルリーグで野球を始め、
サード、ファースト、キャッチャー、ピッチャーと沢山の
ポジションを掛け持ちしていました。
土日祝というと、学校の友達がアニメやヒーローをテレビで
見ている頃、朝から晩まで野球漬けでした。
ですので、勉強も友達と遊ぶことも殆どしていません。😢
特に、小学校の時の監督やコーチは厳しく、技術よりも、人間性
としての指導が殆どでした。
今では指導してくださったことは感謝しています。
そのおかげか、今でも、壁にぶつかった時にへこたれることはありません。
中学一年生の時に全国大会で優勝するくらいのチームになったことにより、
今思えば、人間性を重視するリトルリーグが、結果重視になっていったような気がします。
対戦相手に、日本ハムの清宮幸太郎君がいたりとか。(笑)
中学生時点で20センチは違いがあるくらい背が大きかったです。
まぁ、スイングは速すぎる。打球は見えないくらい速い。(笑)
話はそれましたが、監督やコーチにアピールをしないと試合には
でれません。そのアピールがどうにも嫌いでした。
仲間を蹴落として、大声を出して。
自分を鼓舞するのに声を出すのはいいのですが、
自身を大きく見せるために嘘をつくというのでしょうか、
とにかく、自分を偽る行為は嫌いでした。
今思えば、あんなに声を出したら、試合中疲れますよね(笑)
小学生の頃は無意識に行っていた行為ですが、
今となれば、それらが「武士道」の精神に則っていたということ
は分かりますが、当時は分かりませんでした。
中学野球はかなり暗黒期に入ります。😢
やりたくなかった地元の軟式中学野球をやり、後悔しました。
シニアリーグから誘いもありましたが、親が送迎できないとのことで
地元野球をやっていたら、教師、先輩、同級生、どれも酷い人たちに
出合いました。
教師は好きな生徒を露骨に可愛がります。野球が下手な生徒が
いじめられていることを見て見ぬふりをしたり、先輩も調子に乗って、
いじめに加担する始末です。
友人はいじめを受けて、野球部を辞めました。
また、ピラミッド階級で言えば、下にいる子と私は一緒にキャッチボールをしていました。
そうすると、私の所にもイケてる先輩とイケてる同級生が圧をかけてくる
わけですが、なんせ、私は引いたりしません。おかしいことはおかしいと言うタイプなので揉め事は多々ありましたね。
(あぁ、ヒーローが好きでよかった。忘れていても、心の中で
正義の光を灯してくれているみたいです(笑))
そんな教師が県選抜のコーチだったり、教師の中で尊敬されていたり、
色々あって、私は社会人とはなんぞやと思いました。
名前は出せませんが、その同級生をいじめている生徒の中に
プロ野球選手がいます。もちろん、彼とももめました。😢
そこから、社会や人を信用しなくなったのかもしれません。
よく、神様はいないという人がいますが、
その人たちの気持ちも分かります。
悪いことをしていた人は裁きを必ず受けるわけではない。
ただ、いじめられた人は一生涯覚えているものですよね。
世の中は残酷です。
この場で話さないことは多々ありますが、
今となれば、大人になる第一歩だったと思います。
「人生、無駄な事なんてない」(^▽^)/
ポジティブ大事ですね。
高校進学時から勉強を始める
野球ばかりやっていたら、入試は失敗するものです。
見事に私立高校行きが決まりました。
(当時は悲しかったです。)
その高校は私が子供の頃から高校野球をテレビで
毎年応援していて、
校歌も小学生ながら歌えるくらい好きでした。
学費がかかるから野球を辞めると親に言いましたが、
内心はやりたい気持ちと野球を捨てれば、別の道を得られる
という二つの気持ちで葛藤していました。
結局、勉学の道を歩み始めることにしました。
(電車で生き帰りに、いじめていた同級生が高校野球のバックを
持っているのを見て、やるせない気持ちになっていたのを
思い出します。所詮、高校生、精神がもろい😢)
人が変わったかのように毎日勉強していました。
自分でも正直ビックリです。
良い大学に行くためにも、資格の勉強をして、1級を取ったり、
ボランティアをしたり。
授業で分からないところは、その場で手を挙げるか、
放課後先生に教えてもらっていました。
また、友人が勉強は中学の足りない基礎知識から応用まで
細かく教えてくれました。
その結果、3年間のテストで評定平均値オール5でした。
テスト期間の二週間前からは、放課後学校の自習室に残り、
自宅に帰るのは夜10時以降でした。
(もっと、友達と遊んだり、青春したかったなー。(;´д`)トホホ)
この頃から、自分で学問だけでなく、社会問題に目を向けたり、
社会に対して疑問を持てるようになりました。
高校のクラスメートに、与党と野党の違いを教えてもらった
ことはすごく懐かしい記憶です。
履修科目で、私は文系を取っていなかったので、
政治と社会の本を持っていなかったのです。
そこで、大学入試の面接の先生(コースの教頭先生(笑))
がお昼休憩の時に教科書をくれました。
これで勉強して、面接を受けなさいと。
今でもすごくこの記憶は宝物です。
それ以降、電車通学の途中はずーっとその教科書とにらめっこ
していました。
その結果、大学入試の面接は、練習で2回しかしていませんが、
本当に楽に通過していきました。
また、毎日、新聞を読んで、切り取り、自分の意見を記事に
書き込んで、編集者に勝手に反論していたりしていました。(笑)
これらの経験が、今このブロガーとして、フリーランスとして、
学び続ける姿勢の土台になっているので当時の先生たちには、
私を見捨てる人は一人もいなかったというのもあって
本当に感謝しています。
この経験から、自分で選んだ道で、花を咲かせることが大切という
ことを学びました。
人間はあの時こうしていればもっと別の未来が待っていたのにと
思いがちですが、
今、この環境で一生懸命生きる人に未来は見えて
くるものだということがよく分かりました。
ちなみに、その後、無事、3年生の10月か11月に
推薦入試の合格が決まりました。
合格が決まって職員室で報告するとき、
先生方が大喜びしてくれたことを今でも忘れません。
ありがとうございました。
実は、私の高校、ここ最近、甲子園で優勝しました!
母校の後輩が頑張っていると本当に誇らしく、
勇気づけられますね!
私はパソコンをいじる陰キャの文化部でした。(笑)
しかも、部長(笑)!
(ここ、笑うとこです!)
また別の記事で紹介すると思いますが、
この高校生活で大好きな都市伝説と出合います!
この話はまた、別の記事で!
大学進学し、進路決定へ
大学に行ってからも、高校程勉強に明け暮れはしませんが、
講義には主体的に問題提起を持って、受講し、
サークル活動も大学公認ですが、2年生の初めまでやりました。
勿論、単位も落としたことありませんし、
遅刻もしたことありません。
他の記事で詳しく説明するかもしれませんが、
仲のよい友人に出会いました。
その友人と、ゼミの友人を比べることで
人間関係の本質が見えた気がしました。
人間は何を持って友人と認識し、
何を持って家族、恋人と捉えるのか。
この話はまた別の記事でします。
大学一年生の時に、まず教授から言われたことは
「当事者意識」を持つことでした。
今でも大事にしていることです。
人間関係でも、課題解決の観点からも必要な考え方
です。
この癖が身につくと、社会問題にもっと違う理解が得られます。
結局、2年生でこの教授とのゼミは終了しました。
このゼミの話も詳しくは別の記事で紹介します。
乞うご期待!
高校生の時から、自分が雇われの身で働くことは厳しという事は
直感で感じていました。
今よりもっと、自分が見えた世界を信じますし、その違和感の
正体を突き止め、課題解決の答えを導き出します。
そうすると、自分がすべき行動が具体的に分かってきます。
若さゆえの、勢いというのはマイナスのイメージが多いと思いますが、
私は違うと思います。
この勢いがあってこそ、今に自分が存在し、
当時と比較することで、新たな発見をすることがあるからです。
(現代の若者は、いい子ちゃん症候群が多いらしいですね。
恐ろしいことのように思えるのは私だけでしょうか?)
何回も別の記事で説明するばかり言ってすみません。
これからテーマになる卒業論文も詳しくは別の記事で!
本当にすみません。
楽しみにしていてくださいね!
簡単に触れますね。
卒業論文は武士道についてでした。
(正式タイトルは違います、)
もともと、将来に困った時に読み返せるようにと
自分の精神のバイブルとして書きました。
まわりの学生は、教授が喜ぶタイトルにしていました。
それもどうかと思いますが。
そして、学び、書き進めていくうちに、人格というのが出来上がります。
まがったものは嫌いですし、己を信じる、人を信じる、
あらゆる精神性が身に付きました。
それと同時にこの国の若者、国民の足りないところまであぶりだせました。
就職面接も2~4社くらい受けました。
はっきり言って、周りの学生に違和感を感じました。
自分の言葉でもない言葉や態度、姿勢を面接官と話して、
ロボットのように見えました。
私はもちろん、ありのままで、思ったことをストレートに答えていました。
それでは、受からないことは薄々分かっていました。
そもそも、就職が好きなではない自分が受けたところで、
相手に感づかれるに決まっています。
ただ、学生に対する態度や姿勢は社会人として
しっかりしてほしかったです。
大学一年の時に、生命保険の会社の人が講師で講義をしてくれる
日があり、その時に言われたことは今でも覚えています。
「学生の皆さんは、会社に受かりに行っては行けません。
会社を自分たちでジャッジして、選びに行くんです」
と言っていました。
また、「学生さんの前で足組んでいたり、ネクタイが緩んでいたり、
曲がっていたり、失礼な態度をとる会社は良い会社なんて
ありません」
「私たち●●保険は落選した学生さんにも手書きのハガキを送り
ます。」
とも言っていました。
私はこのサラリーマンを見て、本当にかっこいい社会人とはこのような人
だと確信しました。
ただ、私が出会った会社は業務のように学生と接する会社がほとんどで、
がっかりしたことを覚えています。
要らぬことを考え出していると、会社員からどんどん遠く
離れていきますね。
まぁ、ポジティブにとらえて、自分の輝ける場所は会社員では
ないと思いました。
理由はそんなもんです!(笑)
(本当はもっと、信念があって決めていますよ!(笑))
現在
現在はフリーランスの活動が始まったばかりです。
卒業してから、1年間はゆっくりしようかななんて
考えて、準備していたら、人生は想定外の連続
みたいです。
父親の死や、母親の入院・通院・お薬と、
中々、乗り越える壁が多く、高く、遅れてしまいました。
(今でも続いています。)
先程も述べましたが、人生に無駄なんてないと思います。
出てきた壁を一つずつ、向き合って、乗り越える。
その連続が人生だと思います。
その過程の中で、自分の不甲斐なさにさいなまれる
夜を何日過ごしたかはもう分からないくらいです。
ですが、そんな時こそ、周りを見て、自分よりも
困っている人がいること、助けを求めている人がいる
こと、を忘れないようにしています。
そして、その人々に手を差し伸べることで、
意外と自分が悩んでいることが解決されていることに
気づきます。
(キングオージャーのスパイダークモノスですね!
彼の考えは、これからの人類に必要だと思います(笑))
みなさん、自分自身の可能性を捨てないでくださいね。
今が辛くても、生きていればなんとかなります。
生きていることの美しさを忘れないようにしましょう。
それと同様に人の可能性も捨ててはいけませんよ。
最後に、こんなど・プライベートな経歴を誰が見るんだと思いますが、
前にも言いましたが、一人でも共感、理解してくれたらうれしいです。
最後まで、読んでくれた方へ。
至らぬ言葉や表現で申し訳ございません。
読んでくれたあなたがこれからも楽しく、希望に溢れる人生を
過ごせていけるように、これからも投稿を続けます。
では、ありがとうございました。
また、見てね!
パソコン電源残り、11% (笑)
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