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進撃の巨人との出会い

こんにちは!届け屋のルナです!
いつも、💛を押してくださったり、フォローしてくださった方々、
本当にありがとうございます。これからも頑張ります。

本日は、アニメ「進撃の巨人」の話をしたいと思います。
特に、エレンが大好きですが、
好きなキャラはまだまだたくさんいます。
では、話を始めます。



エレン・イェーガーとの出会い

進撃の巨人は、アニメを最初に見たと思います。
その後に、漫画を買って読みました。

当時の私は、社会に縛られる不自由さに嫌気がさしていました。
皆さんも知っていると思いますが、
日本という国は敗戦後から、沢山の縛りを今でも受けてますよね。
その昭和の親から思想を共有されるので、
本当に社会の不自由さに腹が立っていました。

エレンの幼少期もそうですよね。
周りが当たり前だと思う、100年安泰の壁の中での生活。
エレンは、その壁が壊されないと思う大人や、
その鳥かごに囲まれている生活を送る日々に対して、
疑問を抱き、変えようとします。

それを聞いた、友人や周りの人、家族は危なっかしいエレンを
必死に説得しますよね。
幼少のエレンにとって、調査兵団は自由の翼のシンボルを持ち、
その自由を求める活躍に憧れていました。

私も、学生の頃をそのような事を心の中で葛藤していました。
皆、不自由にさせられているのに、
学生も社会人も、知っているのか、知らないのかは分かりませんが、
誰も何も、変えようとしません。
きっと、読者の皆さんも、この国の不自由さを感じたことがあると
思うので、詳しくは記述しません。

なぜ永久に続く、平和だと思っているのか。
なぜ、なんでもかんでも、話し合いが通じると思っているのか。
話し合いが通じなかったらどうするのか。
アメリカが何もできなかったらどうするのか。
どんな時に、どんなことを、どんな条件でしてくれるのか。
国民を守るシェルターはなぜ普及しないのか。
会社も、学校も、なぜ古い不必要な価値観を引きずるのか。

まだまだ、やるせない事柄がいっぱいあります。

壁があることで与えられた自由、
戦後、アメリカからもらった自由。

この国は、エレンがいだいた感情と
私がいだいた感情が一致しています。

何一つ、人類で、
何一つ、日本で
成し遂げた、なり上げた自由などないのです。
全て、他者、環境から与えられた自由なのです。

本当の意味での自由を得ている国や国民は存在しないと思います。
ですが、
自由を得るために最大限の努力をすることが大切です。

私の部屋には、エレンのタペストリーや、
ぬいぐるみ、マスコット、アクリルスタンドが沢山あります。
エレンのグッズに囲まれる生活はすごくいいですよ。
たまに、進み続けろとか言われている気がしますが(笑)。

season3になると、エレンが変わったと言われますよね。
ですが、私が感じた限り、何も変わっていないように思えました。

今の日本人がよーく、考えさせられるキャラクターが
エレン・イェーガーだと思います。

あなたの生活の自由は誰から与えられたものですか?
自分から、自由を得られるように努力する行為自体が、
生命の尊厳を守れることだと思います。

私の高校生の時のテーマは、
「常識を疑え」でした。
常にそれを考えながら、3年間を過ごしてきました。
そうすると、
皆が常識だと思う事を疑い始め、
それが他者から与えられたものだと気づきます。

気づいたところから、どう変えようと努力するかで、
個人の生命活動がやっとその時点からスタートし、
本当の意味で生きていることになります。

あなたは、生かされていませんか?

それに気づいた人が増え、
周りによい影響を与え始めて、初めて、
この国が真の意味で歴史を歩み始めます。

その結果は、「進み続けた」ものにしか分からないでしょう。


調査兵団団長 エルヴィン・スミス

もう一つ、好きなキャラクターはエルヴィン・スミスです。

エルヴィンは、調査兵団団長として、
お父さんの仮説をその目で確認したい思いと、
団長としての思いが交差し、葛藤しながら進むキャラです。

獣の巨人が石を投げつけ、
エルヴィンが演説をするシーンがありますよね。

可哀そうだと思う人もいるかもしれませんが、
私には、かっこよさが勝っていました。
旧日本軍の血筋を引いているから、日本人だからですかね。

命を目的のために利用し、生者に意味を託す行為は
私は嫌いではありません。
その時代で、その時代のやり方で、
やりぬかなければ、2000年以上この国は続きません。
私たちの知らない人たちが、知らないところで、
命を犠牲にして、
私たち、現代の日本人が恩恵のある生活を送れています。
お金も武器も、資源もない島国で、
強さがものを言う時代に(今もそうです。)、
旧日本ができることは、限られています。

それを表現していたのが、あのエルヴィンの演説だと
私は感じました。

「どんなに幸福な人生を送ろうと、岩に砕かれても同じ。
 人間はいずれ、死ぬ。
 死んだ仲間も兵士も産まれてきたとこに意味はないのか、
 あの兵士たちに意味を与えるのは我々だ。
 あの勇敢な死者を、哀れな死者を、思う事ができるのは、
 生者である我々だ。
 我々はここで死に、次の生者に意味を託す。
 それこそが、残酷な世界で唯一抗う術なのだ。」

戦後日本では、こんなことを子供に教えませんよね。
意図的に教えないと思うのですが。

ですが、私はどこの国が何と言おうと、
先祖の方々の行為を否定したくありません。
命を懸けて国を守った人の味方であると、
神社に行き、お参りしています。

先祖を否定する滑稽な民族ですよね。
今の日本人は。

エルヴィンのこの演説で、
高校生の私の死生観は変わりました。

どうせ死ぬなら、
死ぬことを傍に置き、
生を実感し、
命を大切に感じ、
国を愛し、
ご先祖様を敬い、
この国で命を全うしたいと思いました。

戦争がないこの時代に、(今は沢山起きています。日本も。。。)
命を実感することができない人も多いと思いますが、
どの時代も変わらなく、
人間には寿命があります。

ならば、
命を大切にし、(ご先祖様や家族に感謝し)
人のためになることをしたいと私は思いました。

命ある限り、
人のためになることをしたいと思った、決意した、
高校生のあの時間です。

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届け屋のルナ
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