【この世の中はクレイジー】①
備忘録 〜従姉妹編 その1〜
亡くなった従姉妹とその母親について考えていた。
「従姉妹は妹ではない」の巻
「その母親」とは血縁であるおじの配偶者で姻族のおばである。私とは血のつながりはない。
早朝目が覚めて、考え事をしていたら
ずっと違和感のあった従姉妹の家庭のことを
ぼんやり思い出し、その違和感がなんなのか
思い当たったような気がしたので
書き留めておきたくてブログという手段をとった。
誰かの目に触れてもいいとも思っている。
初めてのオンライン上の公開投稿なので、実験的な使用でもある。
従姉妹は随分前に突然死した。彼女の子供は小さかった。
従姉妹は歳下で、妹のいない私はかわいがっていた。中高時代は住んでる地域も離れほとんど会えなかったが同じ大学に進学してきたので、それからまた交流が増えた。
小さい頃のかわいいだけだと思っていた従姉妹だが
成長期の数年間のブランクの後、互いに18歳以降になって再会し一緒にいるとどこか『もやっと』するところがあった。
私は鈍感だったが、『もやっと』する感情だけはとらえていて、彼女と話した後それは心の中で良くないカスみたいにいつも残っていた。
彼女はとても美人で、着ている服とか持ち物も割と良いものを持ち合わせていた。
我が家は商売人でまあまあ余裕があったけれど、母は倹約家で服や備品にあまりお金を使わせてくれなかった。なので、大学生になった私の身の回りのものは自分でアルバイトをしたお金で調達していた。アルバイトの給料なんてたかが知れているので、そんなに高級なものは持てるわけなかった。
従姉妹はそんな私と自分を比べていたのだろう。
大学生と言っても世間知らずの私たちは、よくある若者にありがちな思考で、
持ち物が立派なほうが家が豊かだと思っていただろう。彼女は私の家の経済や家柄自体を下に見たような発言が時折あったので、それが『もやっと』した原因だったんだと思う。
申し遅れたが、おじは私の母の弟で長男だったから
母の実家を継ぐ人だった。
母の嫁ぎ先、ーつまり父の家ー、は裕福な商家だったが次男である父はその家を出て、関連のある別の商売を始めていた。我が家はとても裕福ではなかったかもしれないが、倹約家の母のおかげで兄弟全員国立私立と遠方の大学まで出してもらえた。
従姉妹は我が家について全く知らなかったようだ。
今思うと、従姉妹なのに何も知らなかったというのもどこか引っかかる。
この従姉妹に会うと、ほんのりと馬鹿にされているような発言を聞かされていたが、当時の自分は何を言われているのかよくわからないという感覚だった。
明確に反応するような怒りまでには到達しないが、プライドにじとっと汚れを塗りつけられる感覚だろうか。
歳下の従姉妹にそんな風にされてもそれがなんなのか正体のわからないまま姉貴面をしていた私だが、何十年も経って事の輪郭がはっきり分かると、彼女が憎いというより自分が情けない。
もっとも、私にはかわいい妹分だったし今はその嫌味も聞けないのだけれど。
長くなりそうなので、続編とする。その2へ続く。