【この世の中はクレイジー】④
備忘録 〜従姉妹編 その4〜
亡くなった従姉妹とその母親について考えていた。
「借り物の家族」の巻
R子が亡くなった後、私はある日の朝、起きたら歩行困難になっていた。
本当に突然。前日までに予兆があったわけでもなくぶつけたりした心当たりもない。
総合病院の整形外科でありとあらゆる検査をしたが異常なかった。
ひと月ほどで少しずつ歩けるようになったがその当時は大変だった。
今思うと、R子が突然亡くなったショックをどこにもぶつけられず自律神経がやられたのかもしれない。
R子の死から何年か経ち、私は、とある会で和装をしなくてはならなくなった。
私はその頃までに実母を亡くしていたので身近に相談できる人がおらず、おばに
電話をして聞いてみた。おばが言うには おばの姉が大変詳しいから聞いてみるとのことだった。おばの姉とは、R子が亡くなった時に遺体安置所にいたR子の従兄弟の母親である。
そんな相談をしたのも忘れつつひと月ほど経っただろうか、おばから電話があり、その姉が遠方から呉服屋を呼んで見学会を開くので来てみないかとのことだった。
もちろん、行くこと自体を遠慮したりしたが他にも人が来ているから私はちょっとみさせてもらうだけ、と促されて一応手土産を複数個用意して向かった。
見学会なんて大それたものではなく、行ってみると、そのおばの姉の息子の家だった。その嫁が在宅していた。遺体安置所にいた人だった。顔をよく覚えていなかった。
呉服屋の若旦那らしき人が綺麗な反物をたくさん広げておば達と話していた。
私がその部屋に入ると、どんどん反物を寄せて私だけに紹介が進み始めた。
『こ、これは、私が買わなくてはならない状況なのだろうか?
いや、待て、私はおばに着物の柄と帯や小物の組み合わせの相談をしただけだ。
私は着物を新調するから紹介してくれとは一言も言ってない。』
そんなことを思いながらも、これはなんとか切り抜けなくてはと冷や汗が出てきた。つい、これがいいですねなんて言おうものなら、お買い上げありがとうございます、100万円也!なんてことになりそうだ。まずい、これはまずい。
私は早く帰るために
「うーん、これが好みかなあ・・。」なんて有耶無耶にしながら
「幼稚園にお迎えが」
と誤魔化してささっと帰ってきたのだ。
そして後からおばと呉服屋に
「今回は新調するつもりでなかった。申し訳ありません。」と連絡をした。
呉服屋さんは事前に私が必ず何百万か決めるとでも言われて来たのだろうし
一番災難だっただろう。
ふたりともそんなことないですよとやんわりの応対だった。
しかし、おばの姉にはそうは行かなかった。
なんだか頼んでもいないのに「私のため」と遠方の呉服屋を呼び立てて、見学会を開いたようだ。彼女にすれば「やってあげたのに」というありがた迷惑なご尽力だ。
一応謝ろうと何度電話しても電話に出てくれない。
やっと電話に出てくれて意に叶わず申し訳なかったと、とにかく謝った。おばと私の言葉の行き違いがあったのだと思う、と。
しかし、そのおばの姉の応答のひどいことと言ったらなかった。
どこからそんなぶっきらぼうな声が出るんだろうと言うようなやさぐれた声で
「あぁい、あぁい。ハイツ。」ブツッ!
そのおばの姉は60代後半70歳に近いくらいだっただろうか。
要するに、彼女は私が母の遺産で着物くらい作れるだろう、と見越した。
呉服屋にいい顔をしたかったんだろう。お小遣いでも取り逃がしたのか。
おばもその姉も嫁もぱっと見は良いものを着て清潔感があり高級家族という雰囲気だった。住んでいたマンションも高級マンションだった。
R子を取り囲んでいた私の知らない家庭の姿だった。
というよりも、おじは会社員でごく普通の一軒家に住んでいた。当たり前の会社員の生活だったと思う。
おばはその地域の病院の末娘だった。おばの姉も夫は医者だった。
なにか借り物の世界がおばとR子を囲っていたのかもしれない。
その5に続く。