【その顔とその顔とその顔】④
備忘録 〜貴婦人編 その4〜
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花よりも彼女は石楠花そのものだった。
ののちゃん
私は塾でバイトしていた。
個別塾だけど2人までの生徒を同じ時間に教える。
ある日薗坂さんから電話があって、娘を私に預けたいという。個別塾専用のテキストや教え方があるし、誰に教わっても同じなのだが、知っている人のところが安心だったのだろう。
私は快諾した。
娘はののちゃんと言って、なぜか彼女にひとつも似ておらず、常にぼぉっとしてる雰囲気の子だった。薗坂さんはののちゃんを溺愛していて、常にハイブランドのお洋服を着せて、雨風に当たらせず風邪ひとつひかせないように本当に大事に育てていた。風邪をひこうものなら全国あらゆる小児科を調べ抜いて一番評判の良い病院へ外車を飛ばして連れて行っていた。その間に風邪は治ってしまうのだろうけれど。
ののちゃんは、一度だけ薗坂さんと塾に来たあとからは一人で来て他の生徒と二人での授業になった。ののちゃんは私に懐いたのか、正直なところ
懐かれすぎて、授業中遊び始めてしまう。
全然授業にならないこともあったが、なんとか時間内にあの手この手で授業を進め、終わる頃は疲れ切っていた。
ののちゃんは全然わからない子ではなかった。
むしろ、どこかピンとくるタイプで、しっかり教育すれば成果が高い子だろうと思った。その塾にはレベル分けがあって、ののちゃんはレベル分けしたら上のクラスにも行けるはずだった。
薗坂さんにそのことを話すと意外な返事が返ってきた。
「そんなに高いレベルには行かせたくないの。
頭が良くなったら、私のもとから離れてしまうと思うから。」
こんなこと考えて、わざと子供を平均くらいに育てる人っているんだ。私はその価値観には初めて出会って衝撃を受けた。
「ののちゃんは、生きていくのは十分に困らないけど、何かに目覚めたりして遠くに行かれるのは困るのよ。」
その家は何代も続いて、黙っていても
永遠に収入が入ってくるような経営をしてるんだけれども、ののちゃんは跡取りだから、
遠くに行って帰ってこなかったら大変だ。
世の中には自分で人生設計できない、というより、自ら人生設計してはいけないお子さんたちが
いるということを知った。確かに、日本全国に
そんな家柄は考えてみると沢山あるのかもしれない。
塾の話に戻ると、月日を重ねてくると
ののちゃんはどんどん態度が悪くなっていった。
教室はパーテーションで区切られているので上方は天井まで空いてるのだが、教室に着くと、
廊下から個室に向かってゴミを投げ入れてきたり
カバンを投げ入れてきたり、悪びれもせずに
そんなことをする。カバンの中にはお菓子が入っていて、私が下を向いている間に口の中にに入れてもぐもぐしている。
そうして私が注意すると楽しそうにニヤニヤしている。
ある日、ののちゃんが国内旅行をして
お土産のお菓子を買ってきた。それを教室で話して見せるのだが、もう一方の生徒のさなちゃんの方を見て
「さなちゃん、食べよっ。」と言って
私の方をチラッとみる。
あの顔は忘れられない。
私が薗坂さんに気を遣っている存在であることや
薗坂さんに言いにくい関係なのをわかってやっているんだと思った。
もし、ののちゃんがやっていることを薗坂さんに話したらきっとののちゃんは怒られると思うのだが、
私は薗坂さんに伝えることは控えていたのだ。
なぜなら薗坂さんの子供であるののちゃんの姿と
教室での姿はあまりにも違いすぎていたからだ。
つづく。