【この世の中はクレイジー】③
備忘録 〜従姉妹編 その3〜
亡くなった従姉妹とその母親について考えていた
「人生って不条理なんだ」の巻
病院に着くと変わり果てたR子がベッドに寝かされていろんな管が繋がっていた。
脳幹出血を起こしたそうだ。
私が到着した時は今にも息を引きとってもおかしくない状態だった。
私は必死でR子の名前を呼んだ。
大丈夫、大丈夫だよ、R子、頑張って!
私は興奮していたのか、きっと元気になる、大丈夫とR子とおばに何度も語りかけた。
おじはどこかに行ってしまって見かけなかった。
おそらくもう諦めて、現実を見ることができなくなったんだと思う。
おばは取り乱すこともなくR子のそばについていた。間も無くすると私の母も来て、ベットのそばについた。
翌日、R子は息を引きとった。
遺体安置所で私は泣き崩れた。
亡き骸に付き添っていた彼女の母方の従兄弟夫婦が私が泣く姿を苦笑いして見ていたのを覚えている。
葬儀は遠い地方の寺院で行われた。
R子によく似た2歳くらいの男の子がいた。
「ママ、どこ?」と何度もそこにいる大人に聞いて、探すように部屋の中を歩きまわっていた。
皆、それを見て涙をこらえているようだった。
R子の夫の妹のらしき人がR子の息子の世話をしてくれていた。一見華やかな目を引くような髪型で、真っ赤な口紅をひいていた。ふと足元に目を落とすと、黒いストッキングから真っ赤な爪が透けて見えていた。
小さな子供をこの前まで元気に育てていたはずの
R子が今はこうして写真を飾られて皆の前にいる。
そこにいたひとりひとりが、何が起きたのか現実を受け止めきれていなかったのかも知れない。
R子には生まれたばかりの赤ちゃんもいたのだがR子の夫の姉妹に引き取られて育てられることになったと聞いた。
また、2歳の息子はR子の夫の家に引き取られた。兄弟は別々に育てられることになった。
R子が亡くなった時、私は夫に従姉妹の子供たちを預かって育てることを相談していた。夫も真っ向から反対せず話は聞いてくれた。今思えば現実的ではなかったのだろうが、私が引き取るべきだとその時はうっすら思ったのだ。
その考えがあったことをおじとおばに打ち明けたのは10年以上経ってからのことだ。
幸い、忘形見の息子たちは順調に成長した。
R子の夫は再婚し、2人はその家庭に引き取られた。
ただ、おじとおばはその息子たちに思うように会うことができないと、時々愚痴られることがあった。R子の夫は、おじとおばに、子供たちに会わせる努力を全くしなかった。
おじとおばにすれば亡き娘の残してくれた孫たちが心の支えになるだろうし、その子供たちにとっても実母方の祖父母との交流は心温まるものに違いなかっただろう。
しかしながら、おじとおばは二人の自慢の娘を亡くし孫にもなかなか会えず、私自身も人生の不条理さを感ぜずにはいられなかった。
簡単なことに思えることが世の中って簡単には行われないんだ。
そんなふうにいろんなことを考える出来事だった。
私はなるべくおじとおばと交流を持つように心がけてはいたが、なにしろ私自身も人生の一番忙しい時とも言えるころだった。
少しずつ電話をしたり会う時間の間隔は空いていき、今はほとんど交流はない。
その4に続く。