『感謝の気持ち』
〜新年早々
起きたてに思うことを書く〜
私は長年、年末年始には婚家の手伝いを身を粉にして手伝ってきた。年明け、中旬になると高熱を出して倒れることがよくあったほど、それはそれは忙しかった。
今はライフスタイルも変化し、気楽にのんびり過ごさせてもらっている。
しかし、こんなのんびりした年末年始を過ごせるようになるまでには私なりに乗り越えてきたハードルがあった。
この時期は馬車馬のように働き抜くのが当たり前と思っていたけれど、そのたづなを握っていたのは義母だった。
年末年始、皆が温かい部屋で居心地良さそうに談笑するのを傍目に私は座ることもなく常に飲み物や食べ物が無くならないよう「給仕」に尽くした。
私を呼んでくれる家族もいるのだが、義母が私の顔を睨む。来るなという威圧感を与える。
私はいつも台所で洗い物をしたり、スタンバイしている。
こうして思い出して書いていると悲しくなる。でも、その時は必死なのでそんなことも思えないほど忙しいのだ。その時の私を労ってあげたいほどだ。
夜遅くに終わる宴会の後、朝は暗いうちから誰よりも早く起きて雑煮やおせちの準備。人数も多いし全て終わるのはお昼前だった。
どうやって身体がもったんだろうかと思う。
思い返すと義母は私を使い捨てて殺したかったのではないか。
そんなことを何十年も続けてきて、そのメンバーも1人減り2人減り、段々に集まる人も少なくなってきた。
数年前から心境の変化があって、いっそ年末年始、手伝いをやめてしまおうかと思い、ある年に全てを放棄することにした。私にとってエベレストに登るような挑戦だった。
でもやってみたら、どうってことなかった。誰も困らなかったし、私の立場も悪くもならなかった。清々しい新しい私の自由な年末年始になった。
そしてある年、人が少し集まることになって、
手伝いが必要かと思って
ある一日だけ義母のところに行ってみた。
私が行くことも夫から伝わっていたはずだ。
義母は食卓の上に食器だけ出してくれていた。
しかしなにか違和感があった。
人数分のお皿ではなく1人分ない。
あ、そうだった。前から私の分はここにはなかった。ここに私の居場所はなかったし、これからもないんだ。
私はそのまま、静かにその部屋を出た。たぶん、もう二度と、私はあの台所に立つことも戻ることもないだろう。
義母は私が手伝う事は当たり前、手や足のように使って当たり前。私はその場で人としての存在を認められてなかったのだと思う。
あれから私の価値観も変わった。
立場の違いがあっても、まずは
人と人として対等に向き合う。
ただ、立場の違いはリスペクトも必要だ。
礼節は忘れてはいけない。
してくれた事には感謝の態度や言葉に表すことが大切だと思う。
義母は時々、彼女なりに感謝をしてくれた。
しかし、スーパーで物を買ってお金を払ってもらう感覚に似ていた。働いた事に対する対価だったと思う。それは彼女が飲み残したコーヒーだった。そんなコーヒーでもその時はありがたく美味しいと思っていた。
私はもう少し賢い人であるべきだったと思う。これから残された人生、私は私を大切に生きていきたい。
感謝の気持ちを忘れずに、私の周りの人と綺麗な花を咲かせていきたい。