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「みんなホントやさしいねぇ」
青い顔をして、ニへラァと笑いながら楽器を運んでいる彼女。皆が好奇の目でその姿を追う中、足がもつれた彼女は何もない床でつまずく。
都内大学キャンパスにてこれから練習を始めようという吹奏楽部員達は一斉に声を上げる。
「森田どうしたんだよぅ〜」
朝っぱらからトイレの花子さんにでも出くわしたのだろうか?
森田は「え?」と素気なく返事をし、まただらしなく頬を緩める。その様子を見るに、どうも花子さん的ホラーに遭遇したわけではないように思われる。
この世の終わりみたいな顔色の彼女は、間違いなく幸せに浸っているのだ。むしろ彼女自身が花子さん以上にホラーだ。
皆が息を詰めて見守る中、彼女は口を開く。
「いやー、ライブから帰ってきたばっかなんよ。福岡で、キンプリのライブ。今朝の飛行機で帰ってきたからさぁ」
一瞬の沈黙。からのザワザワ。
それを突き破り、素っ頓狂な声を上げるのは横尾である。
「あんた良くやってるよぉ〜!!!」
その男、ジャニーズ大好きマン、つまりはジャニオタ。彼はバイトを三つ掛け持ちし、その全てをジャニーズに貢いでいる。
横尾は森田に駆け寄ると、腕をぶんぶん振り回し、全力で褒め称える。鬼のようなスケジュールで福岡東京間を往復する森田のキンプリ愛、睡眠ほぼゼロでも部活にやってくる根性、横尾はその全てを労う。「あんた良くやってるよ」と。
そして森田はなぜなのか、感極まったように目を潤ませて言うのである。
「うわーん、横尾ぉ〜、あんたホントやさしいねぇ」
部員一同爆笑である。
後輩たちは口々に言う。
「森田先輩お疲れ様です!」
同期の我々は「おつ!」とだけ言って、ニヤけながら背中を小突く。
また別の日。時刻はちょうど午前授業が終わった頃。
都内大学キャンパスの食堂の二階に続く階段で、私は横尾とすれ違う。
「よっ! お疲れー!」
「んぁ、横尾ー!お疲れー!」
そうして階段を抜けた私は少し先のテーブルに腰を下ろす。
二つ向こうのテーブルがなんだか騒がしい。
「あー! なんとかちゃん、うわーお疲れー! 久しぶりー!」
「え、なんとかちゃん? うわー、生で会ったら全然わかんなかったよぉ! お疲れー!」
決して珍しい光景ではない。三年生以下の学生は、まあプライベートで遊ぶ “お友達” は別であるが、いわゆるクラスメイトには基本画面上でしか会ったことがない。ある意味でこの春が初めましてだ。
彼らをぼんやり眺めていると、ふと耳に入る声がある。
「葵々ー!」
人混みの向こうで私のお友達さんが手を振っている。目立っている。
いそいそと、私はそちらに移動する。背中が痛い。ちょっと見られている気がする。いや、かなり見られている気がする。
でも彼女はやさしい。遠くから私に気づいて、絶叫してくれるのだから。
「朝起きれないし、しんどいよー」
「ね、偉い偉い!」
私と彼女はそんなことを言い合いながらパーテーションを挟んで隣同士で座る。対面キツいよねなんて、くるくる変わる互いの表情を見ながら、ケケケと笑って言葉を交わす。
良くやってるよ、偉いよ、お疲れーって。
特に意味なんてものはない。熱烈な意志を持って、これだけは伝えなければ! なんてことも思っていない。
ただ、
私はあなたを見ていますよ。
気にかけていますよ。
そこにいてくれて嬉しいし、楽しいですよ。
それだけのことだ。
あなたと私は、繋がっていますよ。
それだけのこと。
でもそれって、とってもやさしいと思う今日この頃である。
たった一人、部屋にこもって授業を受けていたあの日は言えなかった。
私はここにいて、
あなたがそこにいることを、
私はちゃんと知っている。
そんなメッセージ。
顔を合わせれば皆、なんとなく口にするのだけれど。
今の私たちは、きっと知っている。それがやさしい言葉であることを。
だって、二年も経って、やっとまた交わせるようになった言葉なのだから。
ふと、誰かが私の肩をつつく。
「もしかして葵々ちゃん?」
「あ、うん」
取り敢えずはにかむ私。えーっと、わかるわかるよ知ってるよ、えーっと……誰だっけ?
目をパチパチしながらお互いに見つめ合う私たち。傍の彼女は興味深そうに視線を送る。
「お、お疲れー!」
私はそう言うのだが……あぁ、やっちゃった。気まずい空気が流れてるよ……
結局なすすべもなく、私はただ固まる。
実は、というほどのことでもないが、私はコミュ症である。
ところがどっこい。彼女は人好きのする可愛らしい仕草で、ぐっと目尻を下げると返してくれた。
「お疲れー! ここで一緒に食べても良い?」
うわー! 超やさしい!
そうだよ。ナナコちゃんはやさしいのだ。