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秋田の冬
夜のお散歩の後の結果は
夜中に肋骨が折れたのかな?と思うほどの痛みで身動きできなくなってしまった。
我が家はお兄ちゃん達が独立してそれぞれで生活している為、今は娘と夫婦の3人暮らしだ。
コロナの影響で夫が在宅ワークの日々が多かったので、お兄ちゃん達の部屋を模様替えして仕事部屋にしたので、そこで眠る事も出来るようにした。
実際にコロナにかかった時はそれが幸いした形になった。
その日はあまりの痛みに娘や夫を何度も呼んだが、一向に反応がない。携帯で助けを呼びたくても携帯を触ることさえできない。
何とかスマホを側にたどり寄せて文字を入力しようにも動かせない。音声を残しても変わらないので、必死な思いで"助けて"と打った。
少ししてやっと気付いた娘が来てくれて痛み止めの薬を飲ませてくれた。
これを通して、実家で一人暮らしをしている父のことを考えた。
昨年の末に母が亡くなり、それまで"95歳まで長生きするぞ"と言っていた父が生きる張り合いを無くしたかのようにどんどん弱気になっていく。
今まで無理をしていたのがここに来てどっと出てきたのかもしれない。足腰の痛みで寝ている事が多くなってきた。以前は車で買い物にも行っていたが、今ではそれも厳しくなってきた。
父は若い時から運送業に携わってきた。
私が小学生になってからは、月に何回かは東京までの長距離運転をして家族を養ってくれた。兄と私の楽しみは父が東京から帰ってくる時のお土産だった。
私は父が大好きで、他の友達がお父さんを見るとそっけなく隠れるのに私は手を振りかざして喜びを隠さなかった。
優しいばかりの父ではなかった。
昔気質の無口な人だったので、怖いことも多かった。
小さい頃は母が専業主婦だったので保育園に通っていなかったが、小学生になる前の1年間 保育園に通う事になった。
一年保育というのは、慣れるまでが大変だ。
それまでに完全に友達関係が構築されているから、その中に入っていくのが子供にとっては苦痛だったと思う。
行きたがらない私を何とかして連れていくのだが、保育園では泣いてばかりだったようだ。
ある時は、行きたくないと布団にしがみ付く私を "そんなに行きたくないなら行かなくていい" と言って、父に柱に縛られた事もある。笑笑
泣きすぎて縄が外れ、その後はケロッとして遊びに行ったことを覚えている。
またある時は、保育園にいる時に先生の目を盗んで抜け出して帰ってきたこともあった。先生は驚いて探しまわったみたいだ。
(先生、その節はご心配をおかけしました🙇)
卒園する頃には楽しくてそのままずっと保育園にいたいと思ったほどだが。
秋田の冬は厳しい。とりわけ鳥海山の麓である私の生まれ育った町は!
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