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わたしのすきなもの
はじめまして。こんにちは。
二匹の猫と暮らし、猫の木彫りを作っています。はまもとゆかりと申します。
今年2022年の1月末、飼い猫が数ヶ月の闘病を経て亡くなりました。闘病というのは少し違うかもしれません。
頻繁に吐くようになって病院に連れていったのがはじまりでした。血液検査、レントゲンなどの検査をしても健康で原因がわからず、吐く以外は元気なことから少し様子見を、となあなあの対応を繰り返しました。そして数ヶ月経った頃、食が細くなり手脚に麻痺が現れ、慌ててCTを撮りにいきました。
結果は肺を中心に腫瘍が体中に散らばっており手の施しようがないという状態でした。
レントゲンにはっきりと映らないような細かなガンがあちこちにあり手術はできない、ということでした。
それからは病院通いをやめました。何をやっても延命にしかならず、根本的治療ができないのなら、苦しみを伸ばすことにしかならないと思ったからです。
我が子が病気になった時に考えることは人それぞれ違うと思いますが、私はすべて自然に任せることを選びました。
それからその子はご飯を食べられなくなり、水を飲むことも難しくなり、肺腫瘍と診断されてから一ヶ月ほどで枯れるように静かに亡くなりました。
その一ヶ月はずっとそばにいて、猫って、命ってスゴイってことを学ばせてもらいました。
その時のことを私は一生忘れることはありません。
それほどその子の死は大切なことを教えてくれる重みのあることでした。
もっと早くCTを撮っていれば、と考えなくもないですが、もしその時手術ができたとしても散発性という性質を考えるとガンのタネをすべて除去できたかどうか難しいところだと思います。
あの時にああしていれば、というのは結局は結果論でしかなく、その時にできる最善手をやっていたと思うのです。
世にいうような大量の薬の投与や注射、強制給餌、輸液などといった大変な闘病生活はほぼなく、吐き気止めの薬を飲むだけでしたので、これを闘病といっていいかは悩むところですが。
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そして、その子が骨壷に納まって我が家に戻ってきたとき、遺影スペースにその子の分身のような何かが欲しいなと思いました。
以前、はしもとみおさんの木彫りの本を買って数個作っただけで飽きてしまった木彫りをもう一度やってみよう、と思い立ち作り始めました。
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作り始めると楽しくて、頼まれてもいないのに友達の飼い犬の分まで作ってプレゼントしました。みんな虹の橋にいる仲間です。
喜んでくれたからよかったものの、ド素人の人間が作ったものをいきなり渡す無謀さに当時のハイテンション具合がよくわかります。渡された方もびっくりしたことでしょう。
そうやって始まった木彫りですが、飽きっぽい性格な割に半年経っても飽きる気配がありません。
このまま続けていきたい、できればこの方向でプロの作家としてやっていきたい、という願望があります。
まだすべてにおいて未熟ですが、その時できる精一杯をこれからも続けていくためにも、考えたり悩んでいるイロイロを書き綴っていきたいと思っています。
よろしくお願いします。
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