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絵を描きたい

幼い頃から絵を描くのが大好きだった。幼稚園での自由時間、鬼ごっこをする子、ボール遊びをする子、積み木で遊ぶ子、色々な子がいた記憶があるけど、私は思い出せる限りではほとんど絵を描いていたと思う。クリエイティブな遊びを大切にしていた私の幼稚園では自由に沢山の絵を描かせてくれた。夏には県展、冬には地元のお寺のコンクール、自主的に他県のコンクールにも毎年毎年応募していた。好きこそ物の上手なれとは言うものだけれど、運良く私は絵を描くのが好きなだけじゃなくて才能もあった。幼稚園に通っている間は応募した全てのコンクールで入賞して沢山の賞状をもらっていた記憶がある。その頃から難しいことを考えなくても描き方が分かっていた。どうやったら上手に描けるか教わらなくても分かっていた。自分の頭の中のドキドキが手に伝わって、紙の上へ私だけの表現に辿り着くその楽しさはこの頃から私の体に染み込んでいたんだと思う。

小学生になってもずっと絵は大好きだった。図工の時間が1番好きだった。次は図工の時間だ!と分かると休み時間でも友達とのお喋りを切り上げてすぐに図工室へ行っていた。すぐに絵が描けるように絵の具セットを広げてわくわくした気持ちで先生が来るのを待っていた。授業中は周りの声が聞こえなかった。先生が声をかけても手を止めたくなかった。絵と自分だけに向き合っている時間が癒しだった。

高校になってからの私は趣味で絵を描くことはあっても本気で絵と向き合うことはなかった。進学校に入学してからは勉強がとにかく忙しかったからだ。せめて部活だけでも、と思って2年の半ば頃から美術部に入った。そこから引退するまでの1年間の間で3回ほど、美術の先生に美大に行きなよ。と声をかけてもらうことがあった。私は2年次の文理選択で理系を選択し、国公立の理学部を目指すつもりだったから美大に行きたいと思うことはなかった、というより美大を目指してはいけないと思っていた。別に理学部に行きたかったかと言われるとそういう訳でもない。それでも理学部に行くために塾に通わせて貰っていたし、名大GSCに参加して研究室で研究させていただいたり、自然科学部で論文を発表したりして、着々と準備を重ねているつもりだったから後戻りはできないし進路変更はできないという固定観念があったのかもしれない。

そんな具合で受験勉強をしつつ、紆余曲折あり双極性障害になってしまい学校には行けていないこの状況。気持ちはしんどいし何も出来ないしどうしようかなと思って一番最初に思いついたのは絵を描くことだった。クレヨン、色鉛筆、絵の具、とにかくいろいろなものを描き漁った。3年間の絵への乾きを満たすように沢山描いた。

今私はなんの絵を描いているかというとザクロのを描いている。主題は生命。大好きなおばあちゃんにザクロを手に持っているところを描きたいと思った。物心ついたばかりのころ、おばあちゃんの家の台所でザクロを見せてくれた。おばあちゃんの手がザクロを割り開ける。中から出てきた真っ赤でキラキラと輝くルビーみたいな果実に目を奪われた。1粒齧ると弾ける甘酸っぱい味。あの古びた台所で、全てがもっと色鮮やかに見えていた頃を思い出す。原点回帰になるような絵にしたいなと思う。


最近気づいたのはやっぱり絵が大好きだってこと。無心になれるし、何時間やっても飽きない。表現することの楽しさ、自分の心のうちを思いったけぶつけられる喜びを再確認した。

浪人からの1年で上手くいくか分からない。でも立ち止まるくらいなら美大目指したて見たいと思った。

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