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平成のインターネットアイドル
私の好きなインターネットアイドルは、18歳でこの世を去りました。
10代に生きづらさは付き物で、
そんな生きづらさは時に信仰へと変わる。
世紀末に存在したインターネットアイドル。
「 南条あや 」
90年代後半のインターネットにて、一世を風靡した方です。
平成のメンタルヘルスに詳しい方ならご存知の方も多いのではないでしょうか。
陽気に、狂気に、そして無邪気に。
自分の心を曝け出した人です。
※この記事にはリストカットやオーバードーズについての記載があります。
閲覧には十分注意の上、自己責任でお願いします。
また断じて上記行為を肯定・推奨するものではありません※
南条あや、
当時現役高校生だった彼女は、
「向精神薬の体験談募集コーナー」
において文才が認められ、webライターとして人気を博しました。
彼女の著書のタイトルは
「 卒業式まで死にません 」
衝撃的なタイトルです。
タイトルのとおり、彼女は卒業式まで生きました。
生き抜きました。
そして大好きなカラオケ店で、薬と一緒に眠りにつく。
いじめの経験、離婚からの父子家庭など壮絶な生い立ちから、
激しいリストカット、精神疾患、拒食症。
そこから飛び出す魂の叫び。
なぜでしょう。
教室でリストカットをするあやさん。
教室という日常風景に異様なコントラスト。
目眩すら覚えます。
目を瞑りたくなるような景色、耳を塞ぎたくなる音。
なぜでしょう、それでも目を離せないのは。
ある日の日記には通院の記録。
ある日の日記には少年ジャンプの感想。
ある日の日記には、親に対する悲しみが垣間見える。
親をわかってあげたいのに親にはそれが伝わらない、彼女の悲しさが伝わってきます。
ここでわたしの身の上話になりますが、
わたし自身家庭環境は悪く、幼少期から不安の絶えない人生でした。
抑圧的な教育もあり、学校でのいじめも重なり不登校。
リストカットにオーバードーズ。
病院のベッドで目を覚ましたこともあります。
今となっては周りに多大なご迷惑とご心配をおかけしてしまったと恥じております。
そんな状態の10代のわたしが、南条あやに惹かれるのも必然だったのです。
あやさんの文章には不思議な魅力があります。
辛く痛ましい絵面なのに、
まるで彼女とメールをしているような、
教室でお喋りしているような感覚になります。
画面の向こうでも本の向こうでも、なぜか等身大でそこに存在してくれるのです。
彼女の軽快な語り口がそうさせているのか、
精神疾患や自傷行為当事者のシンパシーなのかはわかりません。
彼女は一人の女子高生でした。
カラオケ好きでCoccoが十八番。
少年ジャンプにエヴァンゲリオンも好きで。
ねこぢるを好きな、サブカル好きな女の子でした。
そんな好きなものたちが垣間見える、
楽しく語っているページもとても微笑ましく思えます。
卒業式を終えた3月。
その3月末、彼女は旅立ちました。
いつものようにカラオケに行き、
いつものように歌っている最中の出来事。
向精神薬のオーバードーズでした。
そして、彼女の心臓には穴が空いていたのです。
日常化したリストカットで、穴が空いてしまっていたのです。
彼女はあの日、あの瞬間死ぬつもりはあったのか、いつもの延長線で、彼女にとっては何気ない些細な日常だったのではないか。
彼女には婚約済みの彼氏もいました。
あそこで死ぬつもりだったのか、本当に死ぬつもりだったのか。ただそれを知りたい。叶うならそれだけ知りたかった。
彼女がこの世を去って25年。
もはやそれを確かめる術はありません。
悲しいです。わたしが生まれて間もない頃に彼女は既に帰らぬ人だったのだから。
彼女は死して永遠になってしまいました。
彼女の死後、ファン達はネット葬を行い、
彼女の死を悼んだと聞きます。
暗いニュースが飛び交うあの時代、
南条あやは確かに生きていました。
悩める若者の生きる力になっていました。
世間から見れば、すべて肯定できる行いではなかったかも知れません。
けれど、この世は綺麗事ばかりではないと思うのです。
南条あやさんより10歳歳上になった今年、
節目としてこの文章を書きました。
流行り病に争い、息苦しいこの時代。
再び若者のオーバードーズが社会問題になっている今だからこれを書きたいと考えました。
ここからは余談です。
重ねてお伝えしますが、
リストカットやオーバードーズは大変危険ですし、
誇張無しに生命に関わるものです。
決して推奨するものではあってなりません。
遊びやファッションで行うものでは断じてありません。
しかしその行為を行う背景には、きっと問題があるのです。
周囲に話せない悩み、苦しみが隠れています。
だからどうか、自傷行為している相手には
否定から入らないであげてほしいのです。
まずは、聞いてあげること。
悲しいのもわかります、動揺するのもわかります。
しかし、相手をわかろうとすることから始めてください。
今目の前の事実だけに囚われず、それに至る苦しみに寄り添ってあげてください。
あやさん、当時のわたしに寄り添ってくれてありがとうございます。
当時は、どうやったらあやさんと同じ場所に行けるかばかり考えていました。
なんだかんだこの10数年も散々でしたけど、なんだか知らないけど今日も生きています。
今は、明日を生きれなかったあやさんの分まで生きていたいです。
そんな小さな祈りと決意をここに記録して。
2024.10.4