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子供達の話☆長男

大学2年の年始に妊娠が判明した
産婦人科のエコーで見せてもらった
3ヶ月くらいの長男が
両手両足をバタバタさせている様子を見て
私の中の母性本能が爆発した


すったもんだの末
春に大学は退学して入籍、秋に無事出産
頭囲より胸囲が大きい体型の
珍しい赤ちゃんだったのと
妊娠中に私が動かなくて脂肪がつき過ぎたため
なかなか陣痛が進まず丸一日かかり
ようやくご対面


あの時の感動は今でもハッキリ覚えている
この世にこんな可愛い生き物が…‼︎
元夫も子煩悩タイプだったので
同じことを感じたらしく号泣していた


成長していってもその印象は変わらず
よく笑うとても可愛い男の子だった
どうやら彼はそういう力があるタイプのようで
見知らぬひとにもよく声をかけられ
どこへ行っても可愛がられていた
人見知りを全くしないので
見知らぬ人についていかないか
結構ハラハラさせられた


体が少し弱くしょっちゅう熱を出した
私もそうだったのだが
喉が弱く気温の変化で
すぐ喉が腫れて発熱する
近くに住む元夫の祖母がとにかく病院好きで
早く病院に行きなさいと言われるので
病院通いしては大量に処方される
薬漬けにしてしまって
抵抗力を奪ってしまって
虚弱体質に拍車をかけてしまった気がする

翌年年子で娘が生まれてからも
本当に優しいお兄ちゃんだった
ほとんどケンカなどせず
いつも2人で仲良く遊んでくれていた
お人形ごっこが大好きだったので
そのキャストであるぬいぐるみが
わんさかたまっていってた




ハマりやすく飽きやすく
おもちゃがとにかくたくさんあった
最初は電車だった
新幹線や特急電車、私鉄電車
飛行機も好きで飛行場によく見に行った
プラレールも大量に集めていた

テレビっ子だったので流行りに乗り
機関車トーマス

ウルトラマン

ドラえもん

とっとこハム太郎

ポケモン

デジモン

遊戯王

ベイブレード
などなど

ビデオレンタルは全巻制覇して
関連するゲームやグッズを買い集め
コンプしたソフトを売って新しい物を買い
レアカードとやらにお年玉注ぎ込んでたり…
TSUTAYAさんと古本市場さんには
ホントお世話になった

頑固な一面もあり
コレと決めたら絶対諦めない性格だった
小学2年の5月に
元夫の借金問題の解決のため
市外にある家賃の安い官舎に引っ越した
とても仲の良い友人達と
慣れ親しんだ環境とのお別れに
長男はひどく傷付き
ずーっと帰りたいと言い続けていたが
引越しのタイミングで次男を授かり
離婚も引越しも考えられず
その願いは叶えてあげられなかった


小学4年生の体力測定のボール投げで
なかなかの飛距離を出したことで
少年野球部の仲間に
一緒にやろうと声をかけられた
引越し先の環境に馴染めずにいた
何かキッカケを探してたのかもしれない
そこから長男の野球部生活が始まった


正直私は野球が大嫌いだったけど
可愛い長男のためなら頑張れた
親には否応なく当番が割り振られ
監督や子供達の飲み物やお弁当の管理
試合のため監督や子供達を乗せる
自家用車を誰に出してもらうか
決めて依頼したりしないといけなかった
次男がまだ小さかったので
役員などの大役は免除してもらった
元夫は出張が多い仕事だったので
あまり協力も期待できなかった


長男は素質があったらしく
メキメキ上達していってしまい
中学校の部活では満足出来ないので
硬式野球部に入部を決めた

それはとにかく
お金と手間のかかる世界だった
試合相手が県内全域に広がり
早朝出発の遠征に同行すると
帰宅はもう夜になる
道具もスパイクもすごく値がはるのに
成長期のため買い替えが激しい
練習着もユニフォームも
洗濯機だけでは汚れが落ちない
家計が大変になり次男を保育園に預けて
平日はパートに出るようになった



大型免許を持っている元夫が
球団の持ってるマイクロバスを
運転するという仕事を仰せつかった
試合にはほぼ参加する形になり
監督やコーチと親しくなっていった
今はどうかわからないが
当時子供達のレギュラー争いは
ほぼ親の頑張りに左右されていた
自動的に長男は優遇されていた気がする



そして順調にいってしまい
当然高校も強豪校を目指すようになる
それは大体私立の高校なのだ
公立高校は学費免除制度があるが
私立にはない
長男はいわゆる有名校ではなく
これから強くなっていこうという
無名の高校を選んだ
一応推薦入学扱いになった
でも私立だったので
学費はなかなかの負担だった



高校の部活でも元夫は足繁く参加した
マネージャーがお世話してくれて
親の参加は強制ではなくなったので
私は一切関わらず
ひたすら家計のために仕事した
大学も推薦でいけるというので
ギリ通えそうな
これまた微妙なランクの大学に入学した
バイトをしてみたいというので
通学時間短縮できる所に
部屋を借りて一人暮らしを始めた
家賃は負担してあげた
食費はバイトで頑張ってもらうことにした


大学の野球部はリーグ戦で
勝てば一軍負ければ二軍に落ちる
入学時は一軍だったので
試合は土日祝を中心だったが
その年は負けてしまい
2回生は二軍になってしまった
試合が平日に行われるので
授業を欠席せざるを得ない
それは仕方ないとして
部活と大学側との連携ができておらず
公欠扱いにしてもらえず
単位を大量に落としてしまい進級叶わず
奇しくも
私と同じ中退に至ってしまった



しばらく自宅に戻ってきてたけど
程なくしてまた1人暮らしを始めた
もう少し広い家だったら
気兼ねなくいられただろう
お正月に顔を出す程度で
ほとんど帰ってはこなかったので
時々飲みに誘ったりした
元夫は今でも野球観戦に
ちょくちょく誘っているようだ


長男のことを考えると
もっと何かしてあげれたのではと
胸が痛くなることもある
でも後悔はない
できる限りのことをした
伝えるべき事は伝えた
私が父親に対して感じたような
生きていく基盤のようなものが
長男の中に根付いていることを
信じている

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