4年間を全て無駄にした“Fラン大時代”を振り返る
失敗の連続だった私の人生を振り返り、あの時どんな選択をすれば失敗を回避できたのかを考え、これから大人になる全ての皆様に反面教師としてメッセージを届けるシリーズ、第3回。
高校での学力低下から立ち直れないままFラン大に進学せざるを得なかった当方青年の、人生で最も無駄だった4年間を振り返ります。
(前回はこちら)
1.全てが無駄だった
全て、無駄だった。
私の大学時代は、未成年から成人に至る大事な4年間は、得るものが全く無かった。
東北某所の私立Fランク大学。虚無への入口から絶望の出口まで、一部始終をここに残す。
2.Fラン大あるある
まずは、Fラン大の実態を知らない成績優秀な皆様の為に、Fラン大が数ある大学の中でも最低ランクたる理由を列挙する。
2-1.履修コマ数が少ない
必修科目すべてと、必要単位数を満たす選択科目を合わせても、中学や高校時代に比べれば履修コマ数は激減した。本来なら1限から5限まであるのだが(各90分)、全部受ける必要は無く、2・3限のみ、または2~4限のみの曜日がほとんどだった。週1回だけ1限(9:00~)に出ていたが、ほとんど2限(10:40~)からなので朝が苦手になる自堕落まっしぐらのオマケ付き。3限で終わる日はアフター5ならぬ“アフター3”状態で、学校からゲーセンやカラオケ、ボウリングに直行する日も多かった。とにかく遊んだ。遊びまくった。
2-2.授業を理解できない(しなくて良い)
ハッキリ言って半分以上の教授や講師の話していることが理解できなかった(※それは学生側の知能の問題です)。開始5分で聞くのを諦め、プライベートのことを考えたり、隣席の友人と小声で雑談することもあった。しかし、授業を理解できなくても、教授の話を全く聞いていなくても、単位を取る方法はあった。
2-3.試験が楽勝すぎる
9割の科目が試験の1~2週間前に問題を教えてくれる。例えば「問.◎◎について説明せよ」の「◎◎」(キーワード)を全問教えてくれるのである。あとは試験までにネットで調べ、制限字数以内で文章化し、それを覚えれば良いのである。もっと言うと「試験中にノート閲覧可」の科目もあったので、その場合は事前にノートに書いた文章を書き写すだけで終わる。覚える努力すら要らないのである。
ちなみに「ネットで調べる」と書いたが、教科書は全く見ない。科目によっては1冊2000~3000円もする指定の教科書を買わされるのだが、難しい論文の本ゆえにFラン大生の頭脳では解読できないので試験では全く役に立たないのである。本当に「買う意味あるの?」レベル。
3.実録『卒業か留年か、瀬戸際の闘い』
そんな感じで日々遊びまくり、試験前だけ勉強をほとほどに頑張るFラン大生活もあっという間に4年目を迎えた。
選択科目を多めに履修したこともあり、3年生終了時点で卒業に必要な合計単位数は足りていた。しかし、私は最大の過ちを犯していた。3年次の必修科目「日本経済論」の単位を落としてしまったのだ。4年次に再履修することは可能だが、それでも“不可”だったら留年が確定してしまう。いくら合計単位数が足りていても、必修を一つでも落とせば卒業できないからである。
しかし、4年と言えば「就職活動」という最大の関門が待っている。加えて週1回のゼミ参加と、卒業論文の資料集めや執筆も少しずつしていかねばならない。それらと並行して週1の日本経済論受講が加わるのである。しかも絶対に落とせないプレッシャーの中で。
***
あっという間に11月を迎えた。
自転車のペダルを漕げば風が冷たく感じる頃、当方はかなり焦っていた。
まず、1社からも内定を貰えていない。
そして、日本経済論の
出
席
日
数
が
足
り
な
い
あろうことか、就活で講義を何度も休んでしまったのである。しかも、この年から就活による欠席は全く考慮されなくなった。理由に関わらず単純に欠席が多ければ“不可”判定になる。ただそれだけになってしまった。
残りの講義を全部出ても必要出席日数に届くかは微妙なライン。
しかし、そんな事を考えても仕方が無い。大学卒業を賭けた猛勉強が始まった。
講義内容は「財政投融資」から「戦後の住宅事情」「歴代総理大臣」まで経済学の枠を超えて多岐に渡っていたが、それらをインターネットや図書館を使い、時には古本屋で本を買ってまで詳しく調べて復習ノートにまとめた。
そして、ある日の講義前のこと。机上には講義用ノートに加えて復習ノートと高校時代の日本史の教科書を並べていた私は、無言でノートを読み返していた。
「これ、君がまとめたの?」
すると、教授が話しかけてくれた。「君、頑張っているね」
私の命懸けの努力が教授に伝わったのである。何だろう、この純粋な嬉しさは。希望は見えて来た。モチベーションは最高潮に達していた。
***
さらに時は流れ、2008年2月、運命の後期試験。
問題は、ほとんど
わ
か
ら
な
か
っ
た
必死の勉強も空しく、日本経済論の後期試験は3割ほどしか解けなかった(※前述の「事前に問題を教えてくれる」パターンでは無かった)。残りの7割は勘を働かせて何とか埋めはしたが、ほとんど記述なのでごまかしは効かない。もちろん大学は絶対評価なので、他者の成績も全体的なレベルも関係ない。
終わった。そうとしか思えなかった。
「気持ちは分かるけど、私の権限ではどうすることも出来ないんだよ」
ゼミの先生にも相談したが、全くの無意味だった。成績が出るまでの2週間、大人しく待つことしか出来ないもどかしさは半端無かった。
木枯らしと真っ白な雪に身を包まれるだけの日々が過ぎ去り、2週間後。
成績表に記載された文字は――
再
試
験
優でも良でも可でも不可でもなく“再試験”。これは全くの想定外。奇跡が起きた。まだチャンスはある。
しかし、再試験の内容は、試験ではなく事実上の“課題”だった。
本を2冊、計6000円も費やして購入し、指定箇所をそのまま書き写したり感想を述べるなど、ノート2冊を丸々使い切る量の課題だった。しかも、期限はわずか一週間。私は毎日3時間睡眠でとにかくノートに書き続けた。
全てはFランクの大学を卒業するために。
ん? Fランク?
何故私は、こんな低レベルの大学ごときで苦労していたのだろう……。
――1週間後――
「ノート、確かに受け取りました。よく頑張ったね。
君は出席日数や試験の点数は足りなかったんだけど、
普段から勉強を頑張っているのは分かっていたから、
特別に再試験という形でチャンスを与えたんだよ。
もう大丈夫。単位のことは安心して下さい」
闘いは終わった。学校近くの少し大きな公園で深呼吸した。そよ風と五分咲きの桜たちが祝福してくれているように感じた。
あとは卒業式で卒業証書を貰い、4月から晴れて社会人に……
いや待て。
肝心なことを書き忘れた。
就職先、まだ決まっていなかった。
(つづく)