文字色を変えられないnoteの名采配
今から6年前、自分のブログの文章を評価してもらいたくて、知恵袋に上記の投稿をしていた。
無慈悲なまでに辛口評価だらけだった。
技術的な部分も結構指摘されたが、それ以上に印象的だった指摘は「読みづらい」や「伝えたいことが分からない」だった。
以上の指摘がどういうことかというと、一例として当時のブログ記事のスクショを以下に貼り付けておく(ちなみに『君の名は。』を劇場へ観に行った時の観客の話です)。うわ、確かに読みづらい。
どんなに熱量のこもった文章を書いても、改行が少なく、かつ全部黒文字なら読み手は読んですらくれないというのが当時の最大の気付きだった。
それ以降は「改行を増やす」「ところどころ文字色を変える」ことを意識するようになった。加えて「会話文形式」にすることで更に読みやすくなることにも気付き、2019年頃のブログはこんな感じになっていた。
確かに以前よりはかなり読みやすくなった。
しかし、肝心の文章力が鍛えられたとは言い難かった。
読みやすければ読んでもらえるが、そこがゴールではないはずだ。
例えば太字にしたり文字色を変える手法は創作小説の世界では通用しない。エッセイも概ねそうだろう。
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一向に文章力が向上しないまま、2020年7月にnoteを始めた。
noteの仕様で驚かされたのは、太字にすることは出来るが、本文中の文字色も文字の大きさも変えられないということだった(見出し機能で文字を大きくすることは可能だが、それは本文を強調する為のものではないので除外する)。
もっと言うなら、その太字機能すらほとんど使用していないnoter様も圧倒的多数存在している。要するに、全文が“黒の細字”でも、己の文章力のみで読みやすい文章、最後まで読んでもらえる文章を心掛けているということである。
また、読み手は読み手で、文字強調の少ない文章を読む習慣をつけることで、読解力がしっかり身につく人も居るかもしれない。
書き手は文章力を、読み手は読解力を鍛えられる。もしここまで狙っていたのだとすれば、note公式は名采配をしたと言わざるを得ない。
限られた条件下でどこまで読み手に認められる文章を書けるか。noteから与えられた“文章表現の試練”に、無意識的とはいえ2年と数ヶ月挑んできた。
少しはマシになっただろうか……。
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