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紙芝居屋のおねえさん 【ショートショート】

 漫画の話で盛り上がる男子。
 ヘアゴムやシュシュを交換し合う女子。
 青い空と白い雲。
 眺めているのは僕一人。

「カン、カン、カン」「みんなー、こんにちはー」

 拍子木の音と共に、おねえさんがやって来た。ずっと握り続け、手汗でベトベトになってしまった50円玉をハンカチで丁寧に拭き、小走りでおねえさんに渡しに行く。

「……み、水あめ、下さい」

「ハーイ。いつもありがとう」

 おねえさんの笑顔は、いつも僕を安心させてくれる。

「ドン、ドン、ドン」「さあ、今日のお話、はじめるよー」

 小太鼓の音と共に、おねえさんが語り始める。

「窓から夜のお空を見上げる黒猫は、お月様の中に一匹のウサギが閉じ込められているのを見つけました。助けてあげたいと思いました」

 年に一度だけ月が地球に最も近づく日があることを知った黒猫は、その日に思い切りジャンプすればウサギのもとへ行けるのではないかと考えた。
 それから半年もの間、庭でジャンプの練習をし続ける黒猫。もっと高く跳びたい。もっともっと高く跳んで、ウサギを救出したい。
 その間、満月の夜は12回ほど訪れた。その度に黒猫はウサギをずっと眺めていた。必ず助けに行くと誓いながら。
 そして迎えたスーパームーンの夜。

「黒猫は大きなまるいお月様に向かって力の限りジャンプしました。何度も、何度も、何度も。けれども、お月様には全然届きません。どうして? 今がいちばん、地球から近いんじゃなかったの?」

 300回は跳んだだろうか。灰色の雲は無情にも満月を覆い隠そうとしていた。その時だった。

「お月様からウサギが飛び出し、黒猫のもとへ降りてきました」

 毎日ジャンプの練習をしている黒猫を、ウサギはずっと見ていた。いつしかウサギは自分のために一生懸命がんばってくれる黒猫に焦がれるようになり、その溢れんばかりの想いがエネルギーとなって満月から脱出できたのだった。

「こうして黒猫とウサギは永遠にしあわせに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」

 おねえさんの紡ぐ物語。おねえさんの描く絵。おねえさんの作る世界。僕はそのすべてが好きだ。週に一度しか聞けないのが物足りないくらいだった。しかし、

「つまんなーい」「意味わかんない」「そもそも月にいるのはウサギじゃねえし」「物理的にも生物学的にもありえない」「水あめのために聞くには苦痛だった」

 おねえさんがいなくなった途端、不満を言い合う子どもたち。子どもと言うより最早ガキだ。どうしておねえさんの物語の良さが分からないのか。まだ10歳の僕ですら理解できるというのに。

 ***

 その後も週に一度、学校近くの公園でおねえさんは自作の絵をめくりながらオリジナルの物語を優しく語り続けた。友達のいない僕にとって、放課後の唯一の楽しみであり、心の救いだった。

「さあ、今日はみんなの大好きな『桃太郎』だよー」

 初雪がしんしんと降り注ぐ日。公園にやって来た紙芝居屋はおねえさんではなかった。

「あ、おじちゃんだー!」「久しぶりー!」「やったー!」

 登場するだけで拍手喝采。このおじさんは誰もが耳にタコが出来るまで聞いた日本古来の昔話しかしないので、僕は面白いと思ったことは一度も無い。

「上流から桃がドンブラコッコー、ドンブラコッコー。ハイ、みんな一緒に!」

「ドンブラコッコー、ドンブラコッコー!」

 声をそろえる僕以外の子どもたち。みんな楽しそうだった。僕はキジが登場する前に家に帰った。鼻に当たる粉雪が冷たかった。

 翌週も、その次の週も、おねえさんは来なかった。

「あの、おねえさんは、次いつ来るんですか?」

 意を決して“昔話おじさん”に聞いてみた。

「ああ、あの子か。もう辞めたよ」

 寝耳に水だった。心に穴が開いたとはこのことを言うのか。お姉さんの作る優しい世界。そこに住みたいと思った世界。ずっと聞き続けたかった世界。

「おねえさんは今、どこにいるんですか?」

 ***

 お父さんに無理を言って、駅前の居酒屋に連れて行ってもらった。

 ファミレスではいつもオレンジジュースを頼む僕も、今日は烏龍茶にした。少しでも背伸びをしたかった。
 枝豆、軟骨の唐揚げ、レバーの焼き鳥。美味しいような美味しくないようなおつまみを食べること30分。

「あの、7時で予約した……」

 男の声が聞こえる入口に目を向けた。その男の人に手を引かれる女の人がいた。

 おねえさんだった。

「それでね、友達がストローにタピオカ詰まらせて吸えなくってさー。酸っぱい顔していたの超ウケた」

 いや、僕の知っているおねえさんではなかった。

 ***

「おねえさんは、ずっとお月様に閉じ込められていたんだよ。それを助けようと、何度もジャンプし続けた人がいてね。二人が一緒になってから、おねえさんは毎日が楽しくなったんだってさ」

 おじさんは、何とかオブラートに包もうと言葉を選んでいるようだった。でも僕は理解してしまった。現実世界が満たされた途端、幻想的な物語を紡げなくなったのだと。

「行きつけの居酒屋なら知っているけど、行かないほうが良いと思うよ」


 ***


 漫画の話で盛り上がる男子。
 ヘアゴムやシュシュを交換し合う女子。
 青い空と白い雲。
 眺めているのは僕一人。

 あれから3年が過ぎた。僕は中学生になっても友達が出来ず、休み時間は一人窓の外を眺めていた。
 まわりのガキは相変わらずだった。相変わらず、とても楽しそうなガキ共だった。

「好きなの? 空」

 一人の女子が話しかけてきた。

「……ううん、大嫌い」

(2193字)

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