声優・楠木ともり、ファンと交わした2度目の約束
2022年11月1日、『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』優木せつ菜役・楠木ともりの降板が発表された。
かねてより足に病気を患っており、3rd以降のライブは曲数を絞り、極力足に負担をかけない振り付けをするなど制限する形で出演してきた。しかし、このたび病名が確定し、それすらも困難と医師が判断したということである。
声優の枠に収まらないマルチな才能を持っていた。ダンスもその一つだった。そこに私は魅力を感じていた。だからこそ呆然自失になった。普段家で酒を飲まない私がレモンサワーのプルタブを開けた。
***
楠木との出会いは2018年12月、『温泉むすめ』の4thライブだった。多くの楽曲が3人以上のユニットで披露される中、たった一人でキラキラ輝くパフォーマンスを魅せていたのが彼女だった。これがイベント初披露だというのだから驚きである。
その3ヶ月後、品川ステラボール。キャパ2000人にも満たない会場で『虹ヶ咲(中略)校内マッチングフェスティバル』が開催。ナンバリングではないが、これが虹ヶ咲の事実上の初ライブだった。当時はアニメ化どころかグループ内ユニットの組み合わせすら決まっていない状態で、9人各々のソロ曲が初披露された。楠木は『CHASE!』を披露。MVと同じダンスを踊りながら力強く歌う。とても格好良かった。
しかし、終盤のMC(夜公演)で楠木は“お気持ち表明”をしていた。
終始涙声。空気が一変した。素人目では何が良くなかったのかは全く分からないので、おそらく楠木本人の意識の高さから出た「悔しい」なのだと思う。「絶対にここで止まらないから見届けて欲しい」。ファンと交わした初めての“約束”だった。
***
実は楠木のお気持ち表明をきっかけに、その後も何人ものメンバーが正直に「悔しい」を口にし、泣いていた。その度に他のメンバーたちが励ましていた。虹ヶ咲はグループでありながらコンセプトは“ソロアイドル”で、ライブも基本的には一人でパフォーマンスするという特殊な形態を取っている。個々が技術面で競い合う反面、精神面では支え合っている。このダブルスタンダード二面性(11/7訂正)が魅力なのだと私は思う。ちょっぴり苦い思い出となった初ライブだが、そこからの虹ヶ咲の快進撃は止まらなかった。
9ヶ月後の2019年12月、早くも正式な1stライブを開催。場所は武蔵野の森総合スポーツプラザ。キャパは前回の5倍以上となる1万人。ここでついにTVアニメ化も発表された。
その僅か1ヶ月後、2020年1月が『ラブライブ! フェス』だった(現時点で最後の声出しOKライブ)。Aqours、Saint Snow、そして復活したμ'sと共に、なんと「さいたまスーパーアリーナ」のステージに立った虹ヶ咲。しかも同年9月には無観客とはいえ2ndライブも開催。持ち歌も増え、楠木ともりの、優木せつ菜のパフォーマンスは少しずつ進化していった。
***
2021年5月には埼玉・メットライフドーム(現ベルーナドーム)で3rdライブ、翌年2月には大阪・京セラドームで4thが開催された。どちらもドームという大箱。涙のMCから3年弱でここまで大きく成長したのである。しかし、
いずれも楠木は完全な形での出演は出来なかった。特に4thでのパフォーマンスはソロ曲1曲のみ。ファンは騒然となり、ネットでは彼女の身を案じる書き込みが後を絶たなかった。私もその一人だった。
***
アイドルのように歌って踊る“ドル売り”が当たり前になった声優業界。だからこそキャラクターに近い人が選ばれる。特に『ラブライブ!』シリーズはそれが顕著だった。自分に近しい存在だからこそ、楠木は“優木せつ菜”というキャラを愛した。その想いはファンの誰よりも強かったと思う。4th Day2のMCでも彼女はお気持ち表明をした(数ヶ所抜粋)。
***
しかし、9月の5thライブを経て11月1日。それは突然の発表だった。
楠木ともりは、5年間演じ続けてきた優木せつ菜と別れる決断をした。
指定難病168、エーラス・ダンロス症候群。私はその病気を詳しく調べていないし、深掘りしたくない。その日はレモンサワーの酸味で悲しみを誤魔化すのが精一杯だった。
***
遡ることちょうど5ヶ月前、2022年6月1日。楠木は4th EP『遣らずの雨』をリリース。
“ソロ歌手”としての楠木は、せつ菜の楽曲とは対照的に、この3年間ほぼ一貫して悲しみや切なさを感じる楽曲を歌い続けてきた。最初にYouTubeにUPされた『眺めの空』の衝撃は半端なかった。
自分の身体のこと以外にも、声優としての悩みや心配事はたくさんあり、その想いを間接的に楽曲に込めてきたと私は勝手に解釈し、彼女のことを勝手に心配していた3年間でもあった(※大きなお世話)。
『遣らずの雨』の3曲目には、『眺めの空』の“続き”をイメージして書いたという『もうひとくち』が収録されている。
ポップでリズミカルな曲調に、恋する女の子のドキドキが溢れる歌詞。『眺めの空』のアンサーソングでありながら、それとは真逆の前向きな印象を受ける。
『眺めの空』で不安にさせた私を『もうひとくち』で励ましてくれた。前者では全く読めなかった“相手の女の子の本心”、それを後者で明かした。「君だけじゃない、私も不安なんだよ」、そう聞こえる(※幻聴です)。相手も同じ気持ちだと思うことで、人は他者に寄り添えるのではないか。
***
今回の件もそれと一緒だと私は思う。悲しいのはファンだけではない。誰よりも辛く悲しい想いを抱いているのは楠木本人である。
そして翌日、11月2日。
一番辛いはずなのに、励ますのは我々ファンの役目なはずなのに……。
『もうひとくち』に続き、またしても私は彼女に励まされた。そして再び交わした“約束”。
これは、楠木ともりが声優として、ソロ歌手として、永遠に“健康で”続けていくための前向きな降板であり、卒業、旅立ちである。
せつ菜の『MELODY』を改めて聴いてみる。2番の歌詞が心に響く。
楠木ともりとファン。2度目の約束を守るべく、今はお互いが暗い気持ちを捨て、前を向いて歩き出す時。
寄り添い、励まし合いながら。
痛みが飛んでいくその日まで。