だから私は 「 いじめ 」 という言葉が大嫌いなんだ
1.なぜ子どもが関わると 「 いじめ 」になるの?
正直、このタイトルに尽きる
なぜ子どもが大人と同じ犯罪行為をしても
いじめ
という言葉で片づけられてしまうのか
私は甚だ疑問でならない
いじめ問題を考える上で、やはりこの
いじめ
という言葉が浸透しきってしまっている状態こそ
問題視されるべきなのではないだろうか?
2.私の体験談
私にはASDがある
正直、空気を読んで行動したり話したりが全くできない子どもだった
何かしらトラブルを起こしてしまい、よく担任に親が呼ばれていた
私が小学生の頃はまだ発達障害という障害があまり認知されていなかった
だから私は協調性の無い変わった子だった
障害に甘えるつもりはないけれど、私には上手くできない事がたくさんあった
クラスメイトが 普通 にできる事が私にはできない
悪目立ちしてしまう存在だから
いじめの標的にされた
持ち物を隠されたり壊されたり
教科書やノートを破られたり
画びょうを椅子の上に置かれたり
靴の中に入れられたり
引き出しの中に虫の死骸を入れられたり
登校すると黒板に悪口が書かれていて、私が見たことを確認したら証拠隠滅で消していた
そんな人たちと関わりたくなくて
休み時間は1人で遊んでいたのだが
それも担任に
「りつきさんはいつも1人で遊んでいて友だちがいない」
と、これも親が呼ばれる原因にもなった
これが小学生
中学校では更に酷いいじめが待っていた
中学生は知能も発達するから
内容も悪質化する
私の存在は完全に無視され
まるでいないかのように扱われていた
クラスメイト全員が敵だった
休み時間にはベランダに追いやられ
そこから飛び降りろ!とたくさんの人に言われた
でも、先生の前では絶対にしっぽを出さない
狡猾だ
給食の時間が一番苦痛だった
私のクラスは給食は仲の良い生徒同士が机をくっつけて食べるという習慣があった
いじめ首謀者はあえて私を呼び、目の前で食事させた
担任への 仲良くしてるよ というアピールにもなる
授業中だけは誰にもいじめられなかったので
私は授業中が一番心休まる好きな時間だった
まだまだ書ききれないほど受けてきた被害はあるが
それを伝えるためにこの記事を書いた訳ではないので割愛をさせていただく
3.家族には全力で被害を隠す
いじめ被害者によくある事だが
子どもは自分がいじめられていることを全力で家族に隠そうとする
なぜなら、心から
知られたくないから
心配をかけたくないとか
もっと酷くなるのでは?とか
とにかく頭の中には不安な気持ちが溢れていて
悪いイメージやネガティヴなことでぐちゃぐちゃになってしまっている
ストレスは思考力を奪ってしまう
相談してくれればいいのに
そう思うだろう
でも、それができない
最前の方法を考えることすらできないほど
心がズタズタになってしまっている
だから、ぜひお子さんのことをしっかりと毎日毎日観察をして欲しい
必死で隠そうとするから、なかなかヘルプを出せないでいる
でも、どこかにサインが隠れているはずだ
偉そうなことを私は言うつもりはないのだけれど
子どもはほぼ、自分から打ち明けることは無い
だから告白しやすいように是非とも誘導をしてあげて欲しいと私は心から願う
4.私が感じる問題点
どの国でも、いじめ問題はとても深刻化している
その中でも日本はかなり特殊な国だと思う
何故か、加害者側が擁護される傾向がある
しかも
いじめられた人は人の痛みが分かるようになる
などという謎理論まである
これについて私が言えるのは
有り得ない、ただ人間性が歪むだけだ
そして、よく学校側の記者会見で
「校内でのいじめは確認できませんでした」
という言葉を耳にするが
いじめの有無を決められるのは被害者だけだ
ましてや第三者が有無を判断することは絶対にできない
被害者が自覚した瞬間に、もういじめは存在している
加害者側にも人権があるのだからというのはよく聞くが、私は何も人権侵害を推奨しているわけではない
まず第一に必要なのは被害者を救うことだ
大切な命を守ることだ
順番を間違えてはいけない
迅速に動かなければ失われてしまう命がある
それから、諸問題を解決すべきだと思う
これは私の持論だが、私はいじめは100%加害者が悪いと思っている
いじめられる側にも問題がある
というのはよく聞くが
問題があったとしても、それがいじめを是正する理由にはならないはずだ
いじめ被害者に問題点があるのなら、犯罪行為を行っていい事になれば法治国家は成り立たないのではないだろうか?
元々いじめ加害者が被害者から報復としていじめを受けた場合でも
いじめをする側が100%悪いと私は思う
同じことをやり返せば、それは自分も同じ加害者になってしまうからだ
犯罪行為を行った人が悪い
これを聞けば当たり前だと思われるだろう
しかし、これが子どもになるとなぜか
いじめ
という言葉で輪郭をぼやかされてしまう
大人なら刑罰が課され、償いをしなければならない
しかし、子どもだと加害者は自分が行ったことが犯罪行為であるという自覚を持てないまま行動がエスカレートする
私はこの
いじめ
という言葉自体が問題だと考えている
私もこの記事を執筆する上で、いじめという言葉を使っている自分自身にも納得ができていないのだが
今の日本では、いじめという言葉を使わないと
この問題を説明したり伝えたりすることができない
例えば校内暴力と記載しても、今はネットを使ったいじめ問題もあるので上手く網羅することができないのだ
だからこれからはこの いじめ という言葉を無くしていくべきだと思う
刑罰を与えることを前提にしなくても
いじめ加害者が自分が行った行為がどんな犯罪行為にあたるのか
本人にきちんと実感させなければいけない
傷害罪
暴行罪
器物損壊罪
窃盗罪
侮辱罪
名誉毀損罪
強要罪
脅迫罪
こういった罪名きちんと使用し、自分がしたことをしっかりと自覚させ、反省をさせる
そうしなければこの先いじめ問題は解決に向かうことはないと私は思う
5.終わりに
いじめ という言葉を否定しまくっている筆者が
この記事内でとてもたくさんいじめという言葉を使用して主張をした矛盾を先に謝罪させていただきます
しかし、どうしても今の段階ではいじめという言葉を使わずに私の考えていることを述べることはできませんでした
これから先の未来を担う子どもたちが心身ともに健やかに成長をすることや
現代社会を支えている大人の皆さんの心身が今よりも更に更に健康になって
みんながつらい思いをしない社会になることを心から願います
これからも歪んでしまった自分と上手く付き合って
早く精神科から巣立ちたい私より