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山形県「笑いで健康づくり推進条例」に関するエッセイ


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山形県「笑いで健康づくり推進条例」に関するエッセイ

2024年7月5日、山形県は「山形県笑いで健康づくり推進条例」を採択した。この条例は、「笑いによる心身の健康づくりを推進することにより、明るく健康的な県民生活の実現を目指す」としており、具体的には、毎月8日を「県民笑いで健康づくり推進の日」とするほか、県民の役割として「1日1回は笑う等、笑いによる心身の健康づくりに取り組むよう努めるものとする」と定めている。

このニュースを見たとき、私はもやもやした。笑顔を増やすためには、まずは人々が安心して暮らせる社会を作ることが大事であり、福祉や教育、雇用などの基本的な部分を整えることこそ、自然と笑顔が増える施策になるのではないかと思った。また、感情は法律で制御できるものではないのに、無理に笑顔を要求すること自体が本末転倒な気もした。

しかし、考えていくうちに、大事なことに気が付いた。私の勘違いだ。

笑顔というのは口角を上げた表情のことで、その背景にはさまざまな感情や状況がある。私が思う笑顔とは、心から湧き上がる喜びや楽しさが反映されたものだった。それは自然で、本物の感情から生まれる「楽しい笑顔」だ。

しかし、条例で言う笑顔は、おそらく「笑い」による健康効果を狙った笑顔なのだろう。笑うことでストレスが軽減されたり、免疫力が向上したりするという科学的な根拠に基づいているのかもしれない。つまり、それが「楽しい笑顔」かどうかは別問題なのだ。

条例をもう一度見直してみると、確かに「笑いによる心身の健康づくりを推進する」と書いてある。ここでの「笑い」は、必ずしも楽しい笑顔だけを指しているわけではなく、笑う行為そのものがもたらす健康効果に焦点を当てている可能性が高い。

調べて見ると、笑いには多くの健康効果があると言われていて、ストレス軽減や免疫力の向上、心身のリラクゼーションなどが含まれる。つまり、条例の意図は、笑う行為を通じて健康を促進することにあると考えられる。

私の先入観として、「笑い=楽しい笑顔」と考えていたけれど、条例が目指しているのは「笑うことで健康を増進する」というもっと広い意味での「笑い」だったのかもしれない。

その意味で、必ずしも「楽しい笑顔」を強制するわけではなく、笑うこと自体が目的であることを理解すると、条例の意図が少し違って見える。


先入観と固定観念

今回のケースのように、私たちが持つ先入観や固定観念は、時に物事を正しく理解する妨げになることがある。だが、これらは人間が情報を効率的に処理し、生存や社会適応を助けるために進化したものらしい。

人間の脳は、膨大な情報を瞬時に処理するために、パターン認識(過去の経験や学んだ知識)を利用して簡略化する。

危険を回避するために、脳は迅速に環境を評価し、既知の情報に基づいて行動する。例えば、特定の動物が危険だと学習すれば、その動物を避けることで生存確率が上がるなどだ。また、人間は社会的な動物であり、文化や社会から学ぶことで適応していく。これにより、一定の価値観や考え方が形成される。

こうした点を考えると、人間にとって、先入観や固定観念による誤解は避けられないけれど、これらを最小限にするための努力が必要だとわかる。自分の先入観や固定観念に気づくこと。時に違う視点から物事を見てみること。お互いの意見や感情をしっかりと聞き、相手の立場や気持ちを理解しようとする姿勢が大事だ。

また、情報の正確さも必要である。情報が正しいかどうかを判断するのは、多くの要素によって左右される。主に、情報源の信頼性、発信者の意図(意図的な歪曲など)、伝達過程の変質、そして主観と客観の違いが、正確さに影響を与えるのだ。対処には、情報発信者の背景や目的を推察し、事実と意見(に基づく情報)を区別し、複数の情報を元に批判的に考える姿勢が大事になる。

今回の山形県のケースをあてはめてみると、まず情報へのアプローチが正しくなかった。同じような目的の記事ばかりを目にし、相手の立場も理解しないまま、書かれた文字を、自分の先入観と固定観念で決めつけていたのだと、今さらながらに気が付いた。


あとがき

話を戻そう。健康を促進する組織が、施策に「笑う」の要素を取り入れるのは、斬新で前向きな姿勢なのかもしれないと思い直した。

でも、それでもやっぱり、無理に笑顔を作るのではなく、自然に笑える環境や状況を作ることが大切だという点は変わらず、根本的な問題解決に向けての施策は別に必要だなと感じる。

それが出来たとき、今回の条例が真に実を結ぶ時なのだろう。





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