【愛】誰かを愛するということ。
ウバといいます。
訪ねていただきありがとうございます。
どうやら、私はよく家族の話をするようだ。するようだ、と書いているがしっかり自覚はある。私は家族の話をするのが好きだ。
家族の話に限ったことではない。私が話すのは、私が好きなことだけだ。好んで嫌いな話をする人はいないだろう。
家族の話も、ゲームの話も、おっぱいの話も、小説の話も、パチンコの話も、おっぱいの話も全部私が好きなものの話だ。
本日、職場にて先輩の姉御さんに言われた。
「ウバさんは本当に嫁さんのこと好きね。そこまで嫁さんラブな人、なかなかおらんよ。」とのことだった。
そうなのだろうか。家族の話ばかりをする実感はある。その中で嫁さんの話もするだろう。そんなに私は惚気てるのだろうか。
そこから考えた。
なぜ、私は嫁さんのことが好きなのか。忘れている気がした。なぜ、私はその人のことを好きなのか。
考えた。
私の嫁さんは可愛い女性だ。そこに間違いはない。ゴリラみたいな顔した私には、不釣り合いなほどに可愛い女性だ。
テレビに映る女優さんには勝てない気はする。こんな記事で名前を出して申し訳ないが、新垣結衣さんなんて天使かそれ以上だろう?
天使が可愛い前提で話をして申し訳ない。
つまりは、嫁さんより素敵な女性は多くいるということだ。テレビの向こうに、雑誌の表紙に、職場にだって美女だらけだ。
なのに、私は嫁さんが世界で1番に素敵な女性だと胸を張れる。その根拠は何処にあるのか。
もう少し考えよう。
中身はどうだろうか。嫁さんは、他人の悪口は決して言わない。聞いたことがない。本人も言う。「だって楽しくないやん」と。
これだけで嫁さんが天使以上だとわかる。マザーテレサもナイチンゲールも、きっと悪口のひとつやふたつ言ったことだろう。
天使が性格が良い前提で話をして申し訳ない。
書けば書くほど、考えれば考えるほど、嫁さんが素敵な女性だということの証明しか出てこない。なぜ、わたしは嫁さんが好きなのか。その答えにはたどり着いてない。
さらに考えよう。
ふと思う。そして、その気付きがそのまま答えになった。
嫁さんが好きな自分が好きなんじゃね?
答えに触れた気がした。
自分のことが嫌いな人生だった。見た目も中身も全部が嫌いだった。なんで?そりゃ……なんでだろうか。その答えは、まだ探してない。
今だってそうだ。自分のことなんて好きになれそうにない。それなのに、わたしは嫁さんが好きな自分は好きだ。大好きだ。
自信があるのだ。嫁さんが好きな事にだけは自信がある。そんな自分が好きなのだと気付いた。だから嫁さんが好きなのだ。
そして、それはとても不純な理由な気がした。私は、嫁さんを自分を好きになる為の人と言っているようなものだ。とても嫁さんに失礼な気がした。
そこで更に考えた。もっともっと深く考えた。
誰かを好きになる時、誰かを好きな自分になりたいんじゃね?
なぜ誰かを好きになりたいのか。自分を好きになる為だ。誰かを愛する自分や、誰かに愛される自分を好きになる為に、誰かを好きになる。
それは決して不純ではない。とても美しい行為に思えた。誰かを好きになること、そんな自分を好きになること、その行為はとても美しい。
そう思えた。
私は嫁さんが大好きだ。その気持ちに嘘はない。そんな自分が大好きだ。その気持ちにも嘘はない。
誰かを愛したかった私は、嫁さんに出会った。自分を好きになりたかった私にとって、嫁さんは最愛になった。ただ、それだけだ。
こんなことを、仕事中にずっと考えていた。自分なりの答えが出て満足だ。仕事に集中していなかったのは反省だ。申し訳ない。
きっとこれからも私は家族の話をするのだろう。嫁さんの話をするのだろう。どうか聞いてあげて欲しい。
きっと、とても楽しそうに話すのだから。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
これはただ、嫁さんに宛てたラブレターです。
それでは、佐世保の隅っこからウバでした。
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