伊集院光とANNと120分テープと
【伊集院光のオールナイトニッポン33年ぶりの復活】
この見出しを見て震えました。
オールナイトニッポン(ANN)の55周年記念に55時間ぶっ通しでANNが放送されることになりました。
タイムテーブルを見ると豪華なパーソナリティが眩しいくらいに揃っていました。そのなかに「交渉中」が何カ所かあり「伊集院さんのANNが聴きたいな。まあ、色々あったからそれは無理だな」と諦めていたところでした。
僕はラジオが好きです。
なぜなら苦しかった中学時代をラジオに救ってもらったから。
ラジオが好きになったきっかけは、中学校のクラスにいたお調子者のEくんでした。
Eくんはラジオ好きで深夜放送を120分テープに録音してクラスのみんなに紹介していました。しかし、ラジオに興味を示す人はほとんどいませんでした。
僕の家では、朝食時にテレビを見ずにラジオを聴くという謎の習慣がありました。なのでラジオには抵抗がなく、興味本位で120分テープを受け取りました。
録音されていたのは『コサキン』でした。
水曜日の25~27時にTBSラジオで放送されていた『コサキン無理矢理100%』です。滅茶苦茶でお下劣な放送内容でとっつきにくいのですが、一度嵌ると抜け出せない『鎖国ラジオ』と呼ばれていました。
そして見事に嵌り、コサキンワールドという鎖国から抜け出せなくなりました。
しかし、中学生にとって深夜放送をリアルタイムで聴くことは厳しく、両親にお願いして誕生日にタイマー録音できるコンポを買って貰いました。
それからは『120分テープ』が現在でいうタイムフリーのラジコになりました。
その後、Eくんとは『120分テープ』を交換する仲になりました。
【伊集院さんとの出会い】
そんなある日、Eくんは新しい情報を仕入れてきました。
「伊集院光って知ってる?」
「誰それ?」
「なんか、オペラ歌手みたい」
「変なの」
「コサキンのあとに、ニッポン放送のANN2部で放送してるんだけど、すごく面白いよ」
「へー、興味あるな」
「聴いてみる?」
「うん」
それが『伊集院光のANN2部』との出会いでした。
こちらもすぐに嵌ってしまいました。
しかし120分テープではタイマーで1番組しか録音できません。
そこで水曜日は僕が『コサキン』、Eくんが『伊集院光のANN2部』を録音して、お互い120分テープ交換をして両方聴くことにしました。
『伊集院光のANN2部』の楽しさは何といっても伊集院さんの企画力でした。
一番有名なのは架空アイドルの『芳賀ゆい』ですね。(といっても、ご存じない方の方が多いと思いますが…)
リスナーと共に作り上げていった『芳賀ゆい』がどんどんヒートアップしていく感じは毎週聴いていてとても楽しかったです。
確か、ラジオで40秒以上曲が流れると1カウントされるとかで、デビュー曲の『星空のパスポート』を放送中に何十回も流していたのはいい意味で呆れました。
それ以外にも記憶に残っている企画を紹介したいと思います。
【川崎球場イベント?】
ある日の放送で野球好きの伊集院さんが「川崎球場に集まろう!」と放送で呼びかけました。当時、川崎球場はロッテのフランチャイズでした。
ロッテが所属するパリーグは人気がなく、球場は常に閑古鳥が鳴いている状況でした。
その放送で「たまたま川崎球場に野球を見に来たら、偶然伊集院光のリスナーが集まっていたら面白くない?」といった感じで話していたと思います。
話はとんとん拍子に進み、川崎球場に集まる日程も決まりました。当日、僕も川崎球場に行きたかったのですが、ナイターで夜遅くなるため諦めました。
その代わり、当日の夜に『プロ野球ニュース』でロッテ戦をチェックしました。すると外野席の一角に数十人の謎の集団が盛り上がっているところをカメラが抜いていました。アナウンサーの方も「今日は外野が盛り上がっていますね」と伝えていました。
そこで僕はゾクゾクッとした快感を味わいました。
「みんなは知らないけれどリスナーだけは知っている」という秘密めいたことを共有している状態に興奮したのでした。
【ダンバラ大会】
いつかは伊集院さんのイベントに参加したいと常に思っていました。そして、その日がやってきました。
当時『ランバダ』という曲が流行っていて「デブが腹出してランバダを歌いながら踊ったら面白くない?」といったようなことがきっかけで『ダンバラ大会』が開催される運びになりました。
イベントは休日の昼間で会場は代々木公園でした。
「よし、これなら行ける!」
Eくんと一緒に代々木公園のイベントに行きました。
伊集院さんが生で見る初めての芸能人でとても興奮しました。イベントも盛り上がりとても楽しかったです。
イベント終了後、色紙を持ったファンが伊集院さんの前に並んでいました。
「サイン欲しいな」
「何か書けるもの持ってる?」
「え~と、これはどうかな?」
Eくんが出したのは生徒手帳でした。なぜか僕も生徒手帳を持っていました。休日に外出するときには生徒手帳を携帯するルールがあったのかもしれません。
そこで僕たちは生徒手帳の後ろの方にある白紙の部分にサインを貰おうと列に並びました。
順番が回ってきて生徒手帳を差し出すと伊集院さんから謎のルールが提示されました。
「生徒手帳の場合、サインは2人で1個ね」
そこで、どちらの生徒手帳にサインして貰うか話し合いました。結果としては、初めに伊集院さんを見つけたEくんの生徒手帳にサインして貰うことになりました。
僕としては伊集院さんと会えて話せただけで満足でした。
翌日、学校に行って伊集院さんのサインをクラスのみんなに披露して自慢すると、みんなの反応がイマイチだったことを覚えています…
当時の伊集院さんはそこまで有名ではなかったですからね。
それから、33年が経った2023年2月19日。
有名になった伊集院さんをタイトルコールの後に『ビター スウィート サンバ』が流れるANNで聴けることはとても感慨深いです。