ほんとのところ
うちは元々、親があんまり何も言わない緩い家で、そんなに拘束されたこともなかった。
今日母にバリカンで襟足を切ってもらったのだが、予想以上に切られて怒ってしまった。そこでつい「髪型”くらい”自由にさせてよ」と言ってしまった。それに両親はイラッときて怒ったらしく、「自由にしてるのに”くらい”とはなんだ」と言われた。自分でもここでの言葉選びを間違えたと心底後悔している。
俺は親への感謝が足りないらしい。してもらって当たり前と思っているように見えるらしい。なるべくありがとうとか言って、感謝をしているつもりであったが驕っていたらしい。そう言われると、起きてご飯作ってもらって弁当持っていく、この流れは全て親任せ、当たり前を前提とした動きになっている。
母は近頃怒りっぽく、何を言っても地雷の可能性がある。この前は少し注意というか、アドバイスをしただけで怒られた。嫌なのが、そこに涙がついてくることだ。俺は母の泣き顔が嫌なんだ。二度とみたくない。泣かせたくないんだ。母が泣くと、自分が情けなくなって腹の奥に鉛のような重りがずっしりとのしかかる。その時、無性に消えたくなるのだ。跡形もなく消えて、あたかも初めからいなかったかのように。そうすればもっと幸せなんじゃないかと。マインスイーパはしなくて良くなるし、こんな思いもせずに・させずに済むから。
そう考えると、俺はこれに対してストレスが大いに溜まっているのかもしれない。それに加えて、俺が繊細なのかは分からないが、テレビに出る有名人に対して母はよく「この人はブス」「よくこんなんでアイドルできるな」なんて言うが、それが俺にはすごくストレスになる。なんというか、やめてくれと思い、言えずに心がズキンと痛くなる。
親と喧嘩になる原因は上の以外は俺が怒ってからだが、それはフッとくる突発的で止まらない怒りによって引き起こされるのだ。後で後悔してしまうので余計にタチが悪い。
最近、将来が不安だ。大学に行って教職を取って先生になって…。そんな人生設計はあるが、漠然と靄掛かっている。高いところに行くと、下を見てつい落ちた時のことを想像する。自分が分からない。
薄志弱行なので死ぬなんて言っていつかポックリ逝ってしまうかもしれない。何やってるんだろうか。