クリスチャン両親の圧。奉仕、教会を休むと怒られる話。
こんにちは。minamiです。
今日は、私がキリスト教や、熱心に信じる両親のことを一気に信じられなくなったきっかけとなる出来事について、その窮屈さとともにお話していきたいと思います。
ちょうど一年くらい前のこと。土曜日だったんですが、教会では一般のお客さん向けにイベントがあり、教会員は奉仕や来場が必須の雰囲気でした。そんな中、わたしはその日にアルバイトを予定してしまっていました。
いつものように食事をとり(当時は実家暮らしでした)、話をしていたところ、ふと親から、明日は来れるんだよね?と聞かれ、アルバイトというと100%怒られると思った私は、まだわからないと答えたんです。
そうしたら両親が豹変。うそでしょう、いつもいないよねあなた、、。と。
絶対来なさい!!教会に不従順すぎる!とひどく怒られました。また、それと同時に、もし来ないならお付き合い(当時、無宗教の彼がいることは伝えてあったので)を認めないからね!と言われました。文面で書くと大したことはないかもしれませんが、直接怒鳴られ、関係のない恋愛のことまで持ち出され、私の心は一気にメンタルダウン。
結局怒られたストレスと今まで持っていた両親の信仰に対する不信感が一気に高まり、その日は熱を出してしまいました。
教会のイベントに休まず参加する、礼拝に休まず出席する、これが教会に従順という意味なのでしょうか。果たしてそれは、キリスト教の本来のあり方なのでしょうか。
一度、教会の礼拝すぐあとにアルバイトを入れたこともあったんですね。礼拝すぐ後にアルバイトをすることは今までめったになく、ヘルプで出勤しなければならない日だったので私はバイト先に承諾をしていました。あいにくその日は頭痛があったため、両親に今日は自分の礼拝での奉仕が終わったら少し早く礼拝を抜けてもよいか、と相談したんです。
そうしたら、両親がやはり豹変。そんなの絶対にダメ、礼拝をなんだとおもってるの、教会をなんだとおもってるの、あなたにとって一番の優先順位は神様じゃないの、と怒られました。そんなの毒親だ、と反論しましたが、毒親でもいい、神様がどれだけ大切かわかってないというような趣旨の話をされ、話にならなかったため、その日は折れて礼拝に最後まで出席しました。
私にとって、教会を少し早く抜けること=神様を優先していないとなるのは、あまりに理不尽でおかしなことだと思っております。
今のこの現状は、神様のため、と言いながら教会そのものに重きをおく教会教ではないかと感じます。
その日から、私は日曜日がくるのが怖くなりました。絶対に休んではいけないブラック企業のような圧力。
個人が神に対して熱心な信仰を持つのは別に良いし、個人の自由だと思います。しかし、その子どもにこうして強制すること、脅すことは本来のキリスト教ではないと考えています。
今日はこの辺でブログを閉じます。見てくださってありがとうございました。伝統宗教やカルトに今も戦っている方がいたら一緒に頑張りましょう。^^