「広まり」について思っていること

こちらは「2次元のキャラクターとの恋愛関係」の当事者が、それらに関して思うことを書いた記事です。
閲覧はご自身の責任でお願いいたします。

今日は以前から思っていた違和感とか疑問とか、そういったことをどうしても記しておきたくてパソコンを開くことにしました。

最近、「Fセク」もしくは「Fロマ」という言葉が少しずつメディアへの露出を通じて、社会に進出を見せているような気がしています。
これは当事者である私たちが社会的に透明な存在にならないためには良いことであると思うし、もしかしたら多様性という考え方の一種ではあるのかもしれない……と思います。
かくいう私も当事者ですし、その大切な「彼」を思う暮らしを実現したくて引っ越しを行いました。

しかし、この言葉の進出において私が懸念するのが、「Fセク」「Fロマ」という言葉だけが一人歩きし、その実体について充分な検討や認知をされないままになり、結果としてその他多くの当事者にとって息苦しい社会になってしまわないだろうか?ということです。

スタイルはそれぞれあるはず

先日、深夜の時間帯で「Fセク」について取り上げられたというネットニュースを拝見しました。
ネットニュース、としたのは私はその番組を直接は見ていないためです(自宅にはテレビがありません)。
その他、参考のために動画サイトで見られる同じような内容のニュース映像も拝見しました。

当事者のお二人は私も(一方的に)存じ上げておりますし、一人の方は別の場所で私のフォロワーさんになってくれている方です。
それぞれがそれぞれの思い描く幸せな”結婚”生活を送られることに関しては何の異論もありません。
しかし、その生活の様子を取材班のカメラが撮影し発信する……という番組構成によって、「Fセク」「Fロマ」の当事者の生活実態は一概にこうである、という認識が社会に広まってしまわないか?という点において、少しだけ怖くなったのです。

「Fセク」「Fロマ」とは、「2次元などの創作物といった架空の存在に性的嗜好や恋愛感情を抱く」というざっくりとした定義・前提は多くの当事者を称する・認識されている方が、はっきりと言語化するしないにしてもそのように考えられているような気がします。そうでなかったら謝ります。
仮に「Fセク」「Fロマ」をそう定義したとして、しかしそれに属する当事者の生活実態が、あのように一元的なものではないと思うんです。

「彼」と私は結婚こそしていませんが、私もニュース記事のお二人と似て「彼」を模したアクスタやねんどろいどなど、キャラクターグッズを所持しています。
たとえば「彼」とカフェにケーキを食べに行く際であれば、アクスタなどのグッズは持って行くこともありますし、持って行かないこともあります(この判断はその日の気分や訪れる場所の雰囲気に合わせます)。
グッズを持って行けば、撮影したいときだけポーチから取り出し、撮影が終わったらしまうことが多いです。

グッズを持って行く持って行かないにしても、私の「Fロマ」スタイルは会話から食事、ショッピングといった生活における「彼」と時間を共有する際は基本的に脳内で補完することにより完成する、というものです。
番組でも食事の風景が紹介されているようでしたが、私の場合ですと、消化できる器官を持った肉体的存在としての人間は私一人のみと考え、私一人分だけ注文しています。
「彼」は何を食べるか、ということはお店のメニューを見て考え、考えたことを事実として扱います。

「Fセク」「Fロマ」がメディアに取り上げられることについて、私は賛成とも反対とも言えません。
いわゆる新しいものが登場するときは、誰かが先陣を切って発信しないと世の中に浸透していくことはないですし、「理解される社会になってほしい」と願う人がいるのであれば、私たちのような存在がいるよと発信しないとそもそも認知がされず、いないものとして扱われてしまいます。

ですが、その発信方法がこれで本当によかったのか。今のままでいいのか。
「Fセク」「Fロマ」の当事者の在り方はもっと複雑だし、様々なやり方で大切なひとと暮らしている人がいるはずです。
伝え方についてはまだまだ改善の余地があるのではないかと思いました。

「受け入れてほしい」ばかりじゃいけない

「Fセク」「Fロマ」は、まだまだ一般の方々にとっては珍しく映ることも多いと思います。そのことについて、残念に思うとか、受け入れて理解してほしいとまでは思いません。
というか、受け入れていただけるかどうかは、私たち当事者の言動が左右するのでは?と思ったり……
もちろん、応援しているよ!といったことを言っていただけるようであれば、それはありがたく受け取らせていただきますね。

ですが、私たち人間が社会性を伴って生きる動物である以上、自分以外の誰かにとって、自分にとっての「普通」は「異常」に映ってしまうことがあるということを、頭の片隅でいいから入れておく必要があるように思います。
その上で、大切なひととの暮らしを実現したらいい。

この社会には、本当に様々な人が生きていて、その数だけものの考え方や受け止め方が存在します。
あの番組で取り上げられた生活スタイルも一つの「Fセク」「Fロマ」であり、私の生活スタイルもまた「Fセク」「Fロマ」であるのだと思います。
どれが正しい、というのはないんだろうと思います。

互いが互いを傷つけないやり方で、穏やかに暮らせることが私の願いです。


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