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シナリオを作る難しさと楽しさ

 いつぞやの異文化交流会の人から連絡がきた。イベントに参加しないかとのことで、いくつかのイベントの日程と内容を提示されたが、どれも費用が高い。断ったところ、じゃあサシで会おうと言う。常々思うが、私と会ってどうするというのか。前回の会以降どう過ごしているか気になるというが、それを聞いても面白いことなどないだろうに、変わった人である。

 趣味のTRPGの話である。学生の頃にTRPGをやるコミュニティに入っていて、今もそのつながりから卓を囲む機会がある。現在進行形で関わっているということもあって、何かとそういった遊びの話題は見聞きするのだが、少し気になることがある。

 TRPGがどういったゲームかと言えば、ざっくり言うと「厳格なルールのあるごっこ遊び」というのが適切だろうか。ドラクエのようなRPGの、ストーリーや戦うモンスターをゲームマスター、GMが運用し、攻撃が当たったかなどに運の要素はサイコロを振って決める。デジタルゲームが隆盛する現在よりも前に成立した、アナログゲームの原点と言える遊びである。この辺りは常々説明するのが難しいと感じるところで、正直ネットで調べた方が圧倒的にわかりやすい。なのでここでは詳しい説明はしない。面倒だし。

 さておき、TRPGを行うにあたって必須の要素がある。シナリオである。ドラクエで言えば、魔王を倒すためのストーリー、物語にあたるが、TRPGはこの物語の自由度がとても高い。魔王を倒したっていいし、勇者を補佐する者の話もできる。なんなら魔王軍の幹部もできるし、魔王自身をやることもできる。GMにもよるが、そのあたりの自由度はとても高い。

 となると、問題が生じる。シナリオをどうやって用意するか、である。要するにストーリーを作る訳だから、GMが作る場合、その労力はかなりのものになる。とはいえ、ネットで検索すれば有名なシナリオはいくつも配布されているし、販売されているものもある。外部のシナリオを用意することはそう難しくはない。

 それを踏まえて、私がいたコミュニティでは、シナリオを自作することがほとんどだった。10割とは言わないが、9割方自作だったと思う。GMがやりたいシナリオを提示して参加者を募集したり。事前に参加するプレイヤーからどういったシナリオがやりたいかヒアリングし、それを用いてシナリオを作成したり、やり方は様々だがオリジナルのシナリオを作るGMがほとんどだった。

 私もその派閥の一人であったので、自作のシナリオをいくつも作った。プレイヤーのやりたいことを聞いて反映させたり、キャラクターの設定をシナリオに組み込んだりとしていた関係で、その場限り、一回だけの再現性のないゲームを何度もしてきた。私にとっては、それが当たり前だった。

 しかし、最近コミュニティに入ってきた人にとってはそうではないようで、既存のネットで配布されているシナリオを遊ぶことが多いというのである。彼らの中でメジャーなシステムはTRPGの代名詞である『クトゥルフ神話TRPG』であるが、それを用いるシナリオを遊んでいることがとても多い。具体的には『Void』や『狂気山脈』などである。有名どころで、私も聞いたことがあるシナリオが多いし、先の二つは私自身遊んだことがある。楽しかった。

 つまり、時期を経るにつれて、私のコミュニティの中でも遊び方が変わってきているのである。私がいた頃は当たり前のようにシナリオを自作していたが、今はそうではない。私が一回限りのシナリオを遊び、その時だけの面白さを共有するのに対し、彼らは既存のシナリオを遊び、同じ体験を同じゲームに参加しなかった者とも共有しているのである。

 無論、どちらがいいとか悪いとかという話ではない。TRPGは様々な遊び方ができる。極端な話、同じ卓についているGMとプレイヤー、全員が納得している限りにおいて、いかなるルールも問題にはならないと、とあるルールブックには記載されている。遊び方に間違いなどなく、全ての遊び方が正解なのだ。

 私が意外に感じるのは、私のコミュニティの中での変遷である。かつてはオリジナルシナリオがメインだったのが、今は既存シナリオメインになった。既存シナリオメインの人たちにシナリオを自作しないのかと聞いたりすると、とてもじゃないけどできないという答えが返ってきたことがある。TRPGは自由度が高い。王様に魔王を倒してきて欲しいと言われた時、デジタルゲームなら「はい」か「いいえ」の二択しかないところを、報酬額を上げろと交渉したり、前金を寄越せと言ってみたり、全てを無視して「お前の言うことなんか聞くかよ!」と殴りかかったりと、第三、第四、第五の選択肢があり、それ以上の行動のパターンが存在する。できることはGMが許す限りにおいて無限なのだ。それら全ての行動を先読みし、対応を考えることなどできないと。なお、先の行動3つは私が実際にやられたことであることを付記する。

 実際にはそんなことはなくて、適宜アドリブで走ったりするのだが、それはそれでシナリオが破綻してしまうかもしれない。それが怖いから、既存のシナリオをやりたいということだそうである。同じ体験を同卓しなかった人と共有できるのも大きいらしい。同じシナリオを、プレイヤーを変えて複数回回しているGMもいる。一回限りのシナリオをやることの多い私には驚くべきことである。

 そういった、感覚の違い、遊び方の違いというのが、私には新鮮に感じる。おそらく間にコロナがあったことが多いのだろう。対面で他のGMの遊び方を見る機会がなく、会ったことのない人と遊ぶ機会が増えたことで、安牌の既存シナリオを遊ぶようになったのではないだろうか。

 こんな考察を立ててみたが、先に述べた通り遊び方に間違いはない。既存のシナリオもまた面白いものである。少数ながら自作している人もいるし、その人たちは大変だといいつつも楽しそうにしている。楽しい時間が過ごせたかどうかということがなによりも大事なのであり、それが達成されているのであれば何の問題もないのだ。でも、プレイヤーと設定を相談しながらシナリオに落とし込んだり、予想外の展開にどうしようと慌てた挙句、こともあろうにプレイヤーに助けを求めて一緒にどうしようか考えたり、自作シナリオを作る人回す人特有の難しさや面白さもあるのである。それをちょっと知ってもらえたらいいのにな、と思ったりするのは、老害が過ぎるか。そう思うからこそ、ここに書くに留めておくのである。

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