譲り合い

 十字路に差し掛かった時、進行方向に横切る形で車が走ってきた時、とりあえず足をを止める。そのまま直進すれば、衝突する可能性があるからである。しかし、実際にはこちらが立ち止まっているのを見て、車の方も止まる。そして大体の場合、道を譲られて、歩行者であるこちらが先に渡ることになる。

 私はこの譲り合いのやり取りが好きではない。どのくらい好きでないかと言うと、進んでくる車を見たら、あえて曲がるなどして道を渡らない方向へ進もうとしている素振りを見せ、車が通り過ぎた後に渡り始めるということをするくらいには好きではない。

 自分でも、この程度のことにわざわざそんなまどろっこしいことをしなくても良いじゃないかと思わなくもない。しかし、どうにも好きではないのである。

 今一度考えてみると、最終的な結果が決まった出来レースであることが挙げられるだろう。概ね歩行者優先なので、先に渡ることができるのはこちらである。しかし、だったらこんなやり取りを無視して渡って良いかというとそうではない。何もせずに道を渡れば、衝突事故待ったなしである。待ったなしとは言わずとも、可能性が生じる。だからこそ、それを避けるためには立ち止まらなければならない。どうなるかわかっているのに念のため立ち止まらなければならないのが面倒である。

 ドライバーとやり取りをしなければならないのも面倒である。大体手で進んで良いということを示される訳だが、こういったボディランゲージとはいえども、何かしらのやりとりをしなければならないのが面倒である。

 逆にこちらが譲ったとしても、こちらを先に通そうとした結果、若干喧嘩腰になったりするのも面倒である。私はこういった時、相手に感謝を示すのが面倒なので、先に行かせるようにしたいのだが、だいたいの場合においてはこちらに譲られてしまう。

 ずっと昔、まだ小学生ぐらいの頃、常に道を譲られるものだから、試しに道を譲ってみようとしたことがある。向こうのジェスチャーを真似て、手で進行方向の道を示したところ、向こうも譲ろうとすることを譲らず、かなり険悪なことになってしまったことがある。自動車であることに加え、小学生くらいの子供相手であれば、道を譲るのも道理ではあるが、あの時は譲ることが大人の所作に見えて、何がなんでもやってみたいと意固地になっていた。

 そんな子供が大人になった結果、道の譲り合いをしたくないがために、歩く方向を誤魔化してまでそのシチュエーションを避けようとしているのだから、人生どうなるかわからないものである。人の親切は素直に受け取るべきである。

 そんな訳で、私は道の譲り合いが好きではないということである。配慮なり駆け引きなり、急いでいる時にやりたくない。譲ってくれるドライバーには深く感謝するが、それは他の人にとっておいて、私のことは無視して走り去って欲しい。その後、私は悠々自適に道路を横断するから。

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