本を読む/読まない
昔恋人に
「英里奈さんはもっともっと本を読んだ方がいいんじゃないかな」と言われたことを思い出した。
その時私はそう言った彼に対して、彼は読書家で様々な芸術に触れているのにも関わらず何故こんなにもに想像力がなく私を傷付けるのだろうか
と思った記憶がある。
芸術に触れている=想像力があり優しい
ではないと思うが、彼が一体どのくらいの解像度で物を、風景を私を、見ているのか分からなくなった。
それどころか彼の言動、行動全てが浅はかに思えた。
「まじで気持ち悪りぃなんやあの阿呆痴呆男」
私はあの時と同じ熱量で彼の事を嫌っている。
怒りの持ち越しが一番良くないと言われたが貴様のいう事は全て気に入らないので無視します。
私は幼少期から子供時代に触れておく作品に触れる機会が無かった。
例えばクレヨンしんちゃんを知らない、サザエさんを知らない。プリキュア、セーラームーン、ワンピース。知らない。
それらのことを一つのでかい塊だと思っている。存在は知っているが中身は知らない。
私は知らないことにコンプレックスを感じ大人になってから全てを取り返したい気持ちで本、映画、漫画、アニメ、音楽を体に取り込んだ。
感動する作品にも出会えたし、共通の話題を他人と出来るようになって友人も増えた。
「これは10代後半に知るべきだったな、今の私には若過ぎる」と思う作品などもあった。
そして私が様々な作品、体験に出会った結果
沢山見たけど自分の作る音楽に良い影響も無いな
それどころか様々な手法に触れたせいで自分でやってもつまらないと思うようになった。
私は影響で始めるタイプでは無いし、誰かがやっていることだとしても自分で発明した物にしか感動できない。
簡単に言うと
「これ自分がやってなくてもあの人やってたやつっぽいな」
「あの人が歌ってくれてるから私がやらなくて良い」
とも思うようになった。
物を知らずに作っていた時より大人になったとは思うが、ダサいことを言うと自信をなくした。
でっけぇ声で「これ私が発明した!作品!!!」
と言いたい。
「何年か前に⚪︎⚪︎がやってたよ」
と言われても構わん、私が感動したことが大事なのだ。
そして今は、自分で作る(生産者)より、楽しむ側(消費者)のほうが人生楽しいと思ってしまう。
それなのにまた泣きながら新曲書いててアホだよな。(頭こっつん)
というか今の私は疲れている
疲れているから憎いんだ
書くのめんどくせ、本読も本、本を今から読みます。