ハイパーファンタジアの僕が見ている世界
ここ最近、当たり前だと思っていた自分の思考が
実は当たり前じゃないんじゃないか?
と思う事がありました。
これを読んでいるあなたは、何かを考えるとき頭の中で何を浮かべますか?
絵ですか?
映像ですか?
それとも図形?
もしくは文字ですか?
はたまた真っ暗闇?
はい、いきなりの質問攻めはウザいですねw
でも、この考える時に浮かべるものというのは、人によって様々みたいなんです。
これを大きく分けると、言語思考で考える人と、視覚思考で考える人に分かれるそうです。
言語思考で考える人を、
ヴァーバルシンカー(言語的思考者)
ノンビジュアルシンカー(非視覚的思考者)
とも呼び、
逆に視覚思考で考える人の事を、
ビジュアルシンカー(視覚的思考者)
ノンヴァーバルシンカー(非言語的思考者)
とも呼ぶようです。
まあ、ぶっちゃげこの辺の呼び名や詳しいことに関しては、何がどう違うのか僕もあまり詳しくありません。
要は人間は脳で何かを考える時に
文字などの言語寄りで考えるのか、絵や映像などの視覚寄りで考えるのかの違いだと思ってもらえればいいです。
とりあえずここでは、言語思考をヴァーバルシンカー、視覚思考をビジュアルシンカーと思ってください。
ところが、これらが完全にどちらかに振り切った思考をする人もいて、
完全に言語思考に振り切った思考をする人を「アファンタジア」
完全に視覚思考に振り切った思考をする人を「ハイパーファンタジア」
と呼ぶそうです。
それぞれの特徴として、
アファンタジアの人は視覚的イメージを全く浮かべる事ができない代わりに、集中力が高く文章力に長ける。
ハイパーファンタジアは集中力が低く文章で考えるのが苦手な代わりに、豊かな想像力と世界観を作り出すことが得意。
ただ上記の説明は世間一般で捉えれれているものではなく、あくまで僕の捉え方になります。
詳しくは自分でググってください(丸投げ
そして記事タイトル通りになりますが、
どうやら僕は完全な視覚思考のハイパーファンタジアのようなんです。
なんかイギリスの権威ある研究者が作った診断サイトで診断したら、ハイパーファンタジアだと診断されました。
お酒が飲める年齢になってから随分経ちますが、ハイパーファンタジアと気づいたのはもう2024年の半分に差し掛かってからです。
思い返してみると、確かにハイパーファンタジアと言われてもおかしくない出来事は過去に幾度もあったんです。
子供の頃、自分の妄想の世界に入り込んで全く記憶のないまま学校に到着したことがありました。
それも1度だけでなく何度もです。
また音楽学校に通っていたとき、講師が課題フレーズを出して演奏していたときに、自分の世界に入り込んでいて課題フレーズを全く聞いてなくて。
いざ僕の番が回ってきたときに、弾いてと言われた時に全く弾けませんでした。
弾けなかったというより、課題フレーズが分からず。
だって心ここにあらずだったから。
「すみません、聞いてなかったのでもう1度お願いします・・・」
と答えて、呆れられたことがあります。
しかも自分の番が来るまでに、なんとベーシストの生徒2人が課題フレーズを先に弾いていました。
それぐらいこの時の僕は、自分のイメージが作り出した世界に完全に入り込んでいました。
なので僕は頭でイメージする力が強いのは、過去のことを思い出せば有り得ない事ではないんです。
じゃあ何故今まで気づかなかったのか?
そりゃ気づきませんよ。
だってある日突然
あ、オレってハイパーファンタジアだわ!(๑•̀ㅂ•́)و✧
って普通なります?
いきなりそんなこと言い出したら、ただの痛い人ですよ?
第二形態のセルに向かって
「俺はスーパーベジータだ!」
ってイキリ散らしてたベジータ並に痛いですよ?
そもそもハイパーファンタジアなんて言葉すら知らなかったんですよ。
それに自分の頭の思考なんて、他の人に話すことなんてないじゃないですか。
それが当たり前だと思ってるし、誰しも自分と同じように考えていると思っているから。
でも人間の脳って面白いもので、人によって全然違うイメージ思考をしているんですよね。
ハイパーファンタジアは何でもイメージできるのか?
先にもお話したように僕はハイパーファンタジアで、何かを考える時は完全に映像で物事を考えています。
じゃあ視覚的なものであれば何でもイメージできるのか?
と聞かれれば、答えはYESです。
というより、
イメージできない=思考停止
と同義です。
なのでイメージできないと思考してないのと同じですw
ただ得手不得手があります。
まず先に言っておくと、頭の中のイメージには「文字」は一切出てきません。
文字自体が視覚的にイメージする物ではないからですね。
つまり僕のイメージには言語というものが存在していないんです。
まあこれはちょっと語弊がありますが、文字を浮かべようと思えばできます。
でも、今noteに書いているような文章を頭の中では浮かべる事ができません。
大袈裟ではなく本当にです。
じゃあ、どんな感じで文字を浮かべれるかと言うと
例えば「あいうえお」を
「あ」
「い」
「う」
「え」
「お」
のように、一文字ずつ順番にスクリーンに映し出すようにしか頭の中で浮かべられません。
「あいうえお」を同時になんて僕には無理です!
難しい漢字になると一切浮かべられません!
正にひらがなを覚えようとしている子供のような感じです。
しかも文字を浮かべようとすると、頭が痛くなってかなりのエネルギーを要してしまいます。
なので僕の頭の中では、基本的に文字自体が出てきません。
文字を思い浮かべようとすると、それだけで途轍もない疲労感に襲われます。
じゃあ文字以外には?
となると
僕自身も今まで意識したことがなったんですが、ハイパーファンタジアと自覚してから意識して考えてみるようにしました。
すると自分のイメージも、何でもかんでも鮮明にイメージ出来ている訳ではないことが分かりました。
どんなものがイメージするのが苦手なのか?
それは「興味のないもの」です。
興味のないものになると、僕の頭は途端にイメージ力が低下します。
全くイメージ出来ないわけではないんですが、何となくボヤっとしていたり、イメージ自体が曖昧だったりすることが分かりました。
興味がないってことは、それについて詳しくないし、見たことないものだったりもするので、鮮明にイメージが湧いてこないんです。
無理やり想像することは出来るにはできますが、そもそも興味がないのでそこまでしてイメージしようとも思いません。
だから興味がないものを題材にして、今ここでnoteに書け!って言われたら、僕は1行すら書けないでしょうw
だってイメージが湧かないってことは、僕にとっては思考を停止してるのと同じですから。
興味のないものを考えているときの僕の脳は
「YOU! そんなつまらんもの考えるより、こっち考えなYO!」
と言わんばかりに、別のイメージをどんどん差し込んできますw
要は集中力がありません。
実はこれには思い当たることもあって、
友達と喋ってる時に僕にとって全く興味のない話題になると、
僕は途端に全く喋らなくなって、リアクションすらしなくなりますw
ちょっと嫌なヤツかもしれませんが、何度も言うように興味のない話題だとイメージができなくて思考停止になってしまうんです。
だからリアクションしようにもできないんです。
できたとしても、
「ふーん、そうなんだ」
ぐらいの事しか言えませんw
だってイメージできない時点で、それに対しての言語化もできないので。
まあ大体はスマホ弄って、話題にすら参加しないことが多いです(やっぱり嫌なヤツ!
逆に言えば興味のあるものだったら、僕はどんどんイメージを膨らませる事ができます。
ハイパーファンタジアのイメージ力
ではここからは僕が得意とするイメージを、なるべく分かりやすく話していきたいと思います。
偉そうに言ってますが、僕は頭の中の思考を文章に起こすのが苦手なので、途中で何言ってるのか分からないかもしれません。
そこはご了承ください。
僕が興味のあるものは色々ありますが、ここでは音楽を取り上げたいと思います。
音楽を聴くとき、何を考えて聴いてます?
アーティストのライブ?
ミュージックビデオ?
それとも歌詞や楽譜?
もしくは何も考えてない?
はい、冒頭と同じようにウザいですねw
ちなみに僕が音楽を聴いているとき、基本的にライブをイメージして聴いています。
ただこの頭の中のライブ・・・
おそらく他の人が思ってる以上に相当鮮明なものです。
ぶっちゃけて言えば、自分自身をそのライブステージに立たせて歌うこともできます。
それに僕はベースを弾くので、ベーシストとしてライブステージに立つこともできます。
いや、ギタリストにもなれるしドラマーにもなれます。
さらにアーティスト本人を思い浮かべて、まるで本人とセッションしているようにイメージする事もできます。
あたかも本当に自分がライブをしているかのように、部屋や車で音楽を聴いているんです。
ん?
もう何言ってるか分からないですか?
大丈夫です、ここからもっと気持ち悪くなります!
話しを戻すと自分自身を投影することは、実はあまりありません。
だって恥ずかしいからw
だからアーティストをイメージする事が多いんですが、ここからがちょっと他の人がイメージしてない事になっていくかもしれません。
まず原曲であれば、勿論そのアーティストのライブをイメージしています。
が!
必ずしもそうではありません。
何故なら僕は結構カバー曲を聴くことが多いからです。
何でカバー曲を聴くのか?
それは、自分の中のオリジナルキャラクターがライブ演奏するからです
は?(。´・ω・)?
こんな反応が聞こえてきそうですが、知らんふりをして先に進めますw
僕の中には子供の頃から作り上げたキャラクター達が存在しています。
そのキャラクター達が、僕の頭の中でライブ演奏してくれるんです。
だから原曲よりもカバー曲を聴くことが多い。
うん、自分でも気持ち悪いこと言ってるのは分かります。
でも、もうちょっと我慢して!
ならその頭の中のライブなんですが、どの程度の再現度なのかというと。
これに関しては際限なくと言ってもいいかもしれません。
まずヴォーカルがライブの華なので、やっぱりヴォーカルに焦点を当てることが多いです。
女性曲なら女性ヴォーカル、男性曲なら男性ヴォーカルが歌ってくれます。
他にもギターヴォーカルにしたり、ベースヴォーカルにしたり、ドラムヴォーカルにしたりなど、誰に歌わせるかも決めれます。
アーティストとの距離
イメージしたアーティストとの距離感なんですが、
顔のみのアップ、腰から上の上半身、至近距離からのヴォーカル全体など、様々な距離からヴォーカルを見れます。
勿論どんどん距離を離すもできます。
5メートル、10メートル、さらに後ろで豆粒にしか見えない位置からもライブを見れます。
曲がギターソロになれば、ヴォーカルからギタリストに焦点を変更できます。
そこには超絶プレイで観客を魅了したり、楽しそうにギターを弾くギタリストをイメージできます。
気に入ったベースラインがあれば、ベーシストにシフトしてベースプレイを堪能します。
さらに指引きなのかピック弾きなのかも、その時の気分で持ち替えさせてます。
思わずノッてしまうリズムになれば、ドラムにイメージが移ります。
ドラマーはステージ全体を見ながら、その時にあったグルーブ感を作り出して曲全体を支えています。
こうやって曲の流れに沿って、僕の中のイメージは誰を焦点にするかが変わっていきます。
もちろんバンド全体を見ることもできますし、逆にアーティスト視点から観客を見ることもできます。
ライブの角度
イメージする角度も変えれます。
例えばヴォーカルを見る時、真正面からも勿論見れますが、
斜め前、真横、斜め後ろ、真後ろ、斜め上、真上、斜め下などなど、本当に様々な角度からアーティストを見れます。
もっと言えば実際のライブカメラのように、カメラが常に動いているようにアーティストをイメージする事もできます。
さらにはカメラがグル~っと回っているようにも、アーティストのライブを想像できます。
屋内ライブか野外ライブか
ライブには屋内、屋外がありますけど、僕はその時の曲や気分によってライブの状態を変えています。
屋内であれば、
ライブハウスのような小さなステージなのか
1,000人~2,000人ほどのホールほどの広さなのか
数万人が入るドームのような広さなのか
などなど。
野外であれば、
ストリートライブなのか、スタジアムなのか、GLAYの幕張メッセのようなライブなのか
空は昼、夕、夜のどれなのか
天気は晴れているのか、曇っているのか、雨なのか、はたまた雪が降ってるのか
などなど。
これもその時の僕の気分で全て決めれます。
もっと言えばライブ会場が宇宙でもイメージできますw
ライブの照明
ライブに欠かせない照明ですが、僕の頭の中では照明すらもイメージしています。
激しい曲であれば曲に合わせて照明が動き、バラード曲であれば落ち着いた照明に切り替わったりなど。
さらに色の変更もできます。
白い照明、赤い照明、青い照明、緑の照明など。
もちろん1色だけでなく、いくつかの色を織り交ぜる事ができます。
まあ複雑なのは流石に無理ですがw
ステージの形
ライブを行うステージの形も好きなようにイメージできます。
真横に伸びただけのステージなのか
前にも移動できるステージなのか
それともセンターステージなのか
などなど。
さらにプロのアーティストのライブには大きなモニターが設けられれてる事が多いですが、
このモニターの数や大きさも、好きなようにイメージできます。
終わりに
ここまで書いて思うのは、
僕は音楽1つでこんなにイメージしまくってるのか・・・気持ち悪!
っていうのが正直なとこですw
自分にとっては今まで当たり前の思考だったから、特に意識もしてなかったから気づくこともなかったんですよね。
人に話すこともないし。
でも、こうやって文章にして客観的に見て、やっぱり自分の思考は当たり前じゃないのかもしれないと、自覚させられたというか思い知らされたというか。
意外と自分のことって、自分自身が1番分かってないですよね。
だから最初はビジュアルシンカーやハイパーファンタジアと言われても、ピンと来なかったんですよ。
だって
急にそれが当たり前じゃないかもしれないって事実を突き付けられて
「そっか! オレの思考って当たり前じゃないかもしれないんだ!」
「まあオレってハイパーファンタジアだからな!」
って・・・
いやいや、ならないよw
なので今まで、ここまで客観的に自分の思考を外に出したことがないです。
今回、自分自身の思考をこうやって客観的に文章にしてアウトプットしたのは、ハッキリ言ってめっちゃ恥ずかしいのが本音です。
考えてみてくださいよ。
24時間密着取材とかで、プライベートのあんなことやこんなことを撮影されるなんてあったら、めっちゃ恥ずかしくないですか?
何してても、常にそこにカメラマンがいるんですよ?
トイレしてようが、お風呂入ってようが、寝てようが常に見られてるんですよ?
自分の頭の中を曝け出すって、それぐらい度胸のいることと言うか、勇気のいる事でもありました。
でも、そうしないと自分の事がずっと分からないままというか、
少しでも自分というものを理解する為には必要なことかもしれないと思って、これを書いたんですよね。
だけど何かまだ上手く書けた気になれないんですよ。
全てを映像として捉えてしまう僕にとって、やっぱり言語化をすることが苦手なのは常に付きまとう課題でもあります。
自分の頭の中を、そのままイメージ通り映し出せれば、こんなに楽なことはないんですよね~