くいなの書き忘れ日記③「地獄の質問VS無知」10歳

あけましておめでとうございます。

お正月のアルコールが抜ける前に、そろそろどうしようもない失敗談でもしようかな。話して盛り上がるようなものでもないけれど。

家にネットが通い、世界に繋がったその日の衝撃を覚えていますか。
ふしぎなおくりもの目当てにマックや電化製品屋のニンテンドースポットに行く必要がなくなったその日を。
何言ってるか判らない? そっか……いや、ほんとにあったんだよそういう時代が。それを知らない君なら、当時の余暇の過ごし方なんか想像できないことだろうね。
我が家にネットが通ったのは他の家と比べてもかなり遅かった。ゲームもだ。
じゃあそんな家でくいな(しょうがくせいのすがた)はどう暇を潰していたのか。

進研ゼミ「チャレンジ」の付録だ。

虫眼鏡をもらえば日がな覗き、オルゴールキットをもらえば組立ててはバラし、彫る前の勾玉キットを撫でては勿体無いからと片付ける。その月に届いた付録に飽きれば段ボールをひっくり返し過去の付録で遊ぶ。
今思えばどうしてあれで休日を過ごせていたのか意味不明である。

何の話なのかと言えば、我が家にはテレビを見る文化があんまりなかったという話だ。
そしてこれからするのは、テレビを見る文化がもう少し色濃ければ、防げた惨事もこの世にはあるという話だ。

小学校4年生の時、隣の席の女子とは仲がよかった。
友人が多い訳では断じてなく、まして女子の友達などたぶん1人としていなかったのに、どういう訳かその人とは話しやすかった。1つ話せば2つ返ってきて、同じ熱量を返したくなるような。友情を育んでいた、と思う。

事件が起こったのはある日の昼下がりだった。
「ねね、私って芸能人で言えば誰に似てる?」

思い返してもなかなかすごい質問だ。あの瞬間に戻れたとして、うまく返せる自信はない。合コンかよ。エアプだけど。
そもそも生き馬の目を抜く勢いで上澄みの上澄みが跋扈し、流行り廃りが忙しなく入れ替わるあの業界の住民に例えられる人なんて、有象無象のごちゃつく下界にそうもいるものだろうか。
……いたわ。
滝藤賢一に激似の友人がいたわ。あと東大王の鶴崎さんに似てる父親いたわ。

脱線した。
「ねね、私って芸能人で言えば誰に似てる?」という質問だった。
今の僕でもうまく返せる自信はないとは言ったが、あの時よりはさざなみ立てずにことを収められると思う。

あの時の僕の過ちは大きく分けて2つあった。

一つは「芸能人」の言葉の意味を「お笑い芸人」として誤って認識していたこと。テレビを見る文化が無いということは家族間・友人間でもテレビを話題にしづらいということであり、「芸能人」という単語の用例プールも信頼をおけるほど自分の中に蓄積されていないということになる。そこから生じた誤解だった。芸能人にお笑い芸人が含まれるのではなく、芸能人=お笑い芸人だと本気で思っていた。女優や声優が芸能人に含まれることなど、バラエティ番組のひとつやふたつ観ていれば容易に分かったはずだ。
知っている痩せ型女性お笑い芸人のレパートリーが極端に少なかったのもいただけない。

もう一つは、誰もガチ回答など求めていなかったこと。

「えっとねー、ハリセンボンのハルカさん!!」

時間が止まった。空気が凍った。
さいてい、と力なく肩を叩かれて、自分が何かマズいことを言ったことをようやく悟ってからも、困惑が脳の大部分を占め、口角だけは不自然に吊り上がったままだった。もう目を合わせてくれなかった。
それ以来あの人とは口を利かなくなった。

信じてくれ。悪気はなかった。
どころか「顔つきの類似性より痩せ型であることに高い優先度を置いた方が角が立つまい」と自分が気遣っている気分でさえあった。傲慢だった。

知っている数少ない女優の名前を適当に挙げていれば、ああはならなかったんだと思う。彼女はそれを期待していたはずだ。誰も不幸せにならない方法があるのを知らずに、誰もが不幸せになる道をずかずか行ったあの日、無知は罪と知った。

けれど。
言い訳がましいかもしれないけれど言わせてくれ。

ハリセンボンのハルカさん素敵だろ。

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