九九暗唱の落とし穴:主体性を奪う罪と罰 #153
今回は、経済産業省が発表した「人生100年時代の社会人基礎力」の中にある、課題発見力と主体性について、小学校の教育でどのように実践していくのか、考えていきたいと思います。
5年生算数
小数のかけ算
問題
1mのねだんが80円のリボンがあります。2.3m買いました。代金はいくらですか?
このような問題を黒板に書くと、「80×2.3=184」とノートにすぐ答えを書く子が必ずいます。
(もちろんこのようにすべて問題を書いてしまうから起きてしまう現象なのですが…)
答えを書いてしまうこと自体が悪いことだと言ってるのではありません。
問題はこの後です。
「先生もう答えでたよ!」
「おれしってるよ、やり方。筆算するんでしょ。」
「先生できました!」
といったような言葉がでてきたときです。
一見主体的に見えるかもしれまでんが、主体的に取り組んでいるとは言えません。
「先生、問題解けました、どうしたらよいですか?」
「今日は他に何かやることあるんですか?」
と言っているのと同じです。
これは、まさに
超積極的受動学習
をしているのです。
どうしてこのような現象が起きるのか?
2つの理由があります。
①問題提示の仕方
②九九暗唱学習の弊害
の2つです。
①問題提示の仕方について
問題の提示を
「1mのねだんが80円のリボンがあります。( )m買いました。代金はいくらですか?」
のようにすれば、
( )は
何mなのかな?
何mだったらで答え求められそうかな?
と問いが生まれます。
これが、算数における
課題発見能力
です。
これは一例であって、他にも工夫すれば、問いは生まれます。
黒板に問題をそのまま書いたり、教科書を開かせて問題文を全員に読ませる指導をしていたりすると、いつまでたっても、主体的に問いをもって学習に取り組むことはできません。
プロジェクターを使って問題文をすべて見せるのも、教科書開かせることと同じです。問いは生まれません。
まずは、教科書を閉じて指導することから始めることが大切です。
②九九暗唱学習の弊害について
学習指導要領解説「算数編」によると、
とあります。
ちょっと長くてわかりにくいですよね。
つまり簡単に言えば、
「数の概念や数の性質の理解した上で、計算処理をしないと、物事の本質を捉えず、形式的な学習に陥り、算数の学習ではなくなる。」
ということです。
計算領域の授業をすると、形式的な学習になりやすい原因の1つに、九九暗唱があります。
この九九暗唱が、後の算数の学習をする上で、
大きな障壁になっているといっても過言ではありません。
誤解を招かないために言っておくと、
九九暗唱自体が悪いわけではありません。
ですが、2年生の2学期のほとんどが九九の学習です。
そのため、
九九の学習=九九暗唱
と誤解をしてしまうのです。
先生も、親もそして子どもも…。
だから子どもは
九九の暗唱ができる=算数できる
となるわけです。
3×5と5×3の答えは15で同じ。
それ以上のことは考えようとしないのです。
3×5という式にはどんな意味があるのか考えることができるようになると、かけ算の本質に迫ることができます。
先ほどの問題では、2.3という数値が肝です。
式は80×2.3になります。
この2.3という小数は、初めて登場するのです。
つまり習っていません。
算数の学習では、習っていないことを既習事項を活用して問題を解決していくのです。
だから、80×2.3の筆算のしかたを先に家や塾で学習している場合、思考の妨げになってしまうことがあります。
九九暗唱学習の弊害は、計算を覚えてしまえば楽。
計算の自動化といいます。
もちろん自動化できるのはよいことですが、計算機をつかえばもっと確実に計算の答えを出すことができます。
計算領域の学習で一番大切なことは、既習事項を活用して、いろいろな計算の仕方を考え、どのやり方が、いつでも確実にできるのかを考えることです。
これが、算数における
主体性
となります。
このように、
問題場面と出会ったら、
自ら問い(課題)を発見し、
既習事項を活用し、いろいろ自分の考えを出していくことで、
主体的に問題を課題解決しようとする力が身に付くのです。
次回、どんな問いや考えがでてくると、本質を捉えた学習に迫れるのか、紹介していきたいとい思います。
参考になる方がいたら幸いです。
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