鉄腕アトムの生みの親は手塚治虫 その手塚の弟子一号が石ノ森章太郎 その石ノ森の嫡男は仮面ライダー 私はペルソナを被った自転車乗り ゆえに、仮面バイシクラ― 仮面バイシクラ―は 広大な荒野を駆け抜ける旅人 風を切りながら進むが そこには知的な遊び場も無ければ共に駆ける仲間もいない 彼の求める舞台は どこか遠く見つからない 彼の前には 終わりの見えない虚無の大海が広がっている そこには言葉があふれるが誰の声も誰にも届かない 彼が踏み入れたのは 無数の映し出された
「人間はうんこですか?」 実に哲学的かつ詩的な深淵をのぞかせます。ここには物質の循環、存在の意味、そして自己のアイデンティティの問いが潜んでいます。 1. 宇宙的視点:星屑とうんこの間 星屑から生まれた私たち人間は、宇宙の壮大な物質循環の一部です。宇宙の塵が集まって私たちを形作り、その生命の最後にはまた大地へと還ります。もし「うんこ」がその循環の一端であるならば、私たちもまた「うんこ」と共にある存在と言えるのではないでしょうか? 2. 哲学的アプローチ:うんこの美学
「地上的なことで、私たちが時折意見を異にすることがあっても、神的なことでは決して別れることはありません。」 チューリッヒ、エンゲ 1851年4月18日 リヒャルト・ワーグナー 『リストへの最期の手紙』 素敵だな。けどリストの没年まで5年余りある。もうちょっと知りたい。
ワーグナー/偉大なる生涯 ディレクターズ・カット HDマスター ≪新装版≫稟議(会社じゃない)が降りたーーー🤩‼️ 数年前まで「金銭感覚がオカシイ」と指摘されることがママあり、「目指すのは良いが、金を使うな」という制約がありましてね、書籍などはだいたい3,000円超えると、「センサー」に引っかかる模様でして。 まあ、ごもっとも。 DCやMARVELなどの娯楽作品ばかり観て、R&BやHIPHOP、Bruno Marsなどの大衆音楽ばかり聴いてた奴が、コロナきっかけで急に1
圧倒的ソコロフ。すごい。すごい。ソコロフである。やばい。すごい(もっと語彙あるんだから)。ソコロフ、である。ブラームスを喰ってる可能性すらあるぞ。いや、喰ってる。間違いないのではなかろうか。すごい。こーれーはー!やっぱ、推すっ!!!しかし条件違うけど、ブラームス得意なんやろか🤔
やらないといけないことが、多い。 まず、「オモテ」のネタが浮かばない。「投資」とか「聖書」とか書くことは多いが、本来やりたいことはそれじゃない。コネクティング・ドッツの「ヒラメキ」がこん。一番アタマが働く朝は必ず読書をしているが、こん。 9時からほんの少しの作業をしながら、調べもの。 原理主義→現在の紛争(ウェーデンのウプサラ大学が運営する「ウプサラ紛争データプログラム(UCDP)」によれば、2021年には国家が関与する武力紛争が54件報告がある)→原理主義(イスラム過
僕スーパー骨盤フェチ!💕 骨盤よ、世界は女性の骨盤をゲートにしている! 世界は、、、骨盤であるっっっ!!!
やはり、、、師しか勝たん、、、。 、、、「最後ーーーっ!!!!」 最後ーーーっ!!! こっからが、いいとこーーーーっ!!!
原理主義という立脚点はどうだろうか?現存する宗教的な意味も内包して、一回、歴史の原理に基づいて、深いインサイトを求める議論をしませんか?というイメージ。枝葉じゃなく幹に立脚しないと足腰の強い議論はできない。ということを、偉人たちはやってきたのではないか。明日、考えてみよう。
ばいしくん: 「社内BGM用の右耳」が、 「え?第二楽章だよね?多くの作品と違って、第二楽章なのに歌のような盛り上がる旋律が、とても心地よく耳に残る気がする」 と言ってる。 どうでしょうか? i さん: チャイコフスキーのバイオリン協奏曲ニ長調 作品35の第2楽章(カンツォネッタ:アンダンテ)は、まさにその通り「歌のような」美しさを持っています。特に多くの楽器が織りなすシンプルで親密な伴奏に乗せて、バイオリンが紡ぐ旋律がとても感動的です。 第2楽章の特徴 歌のよう
『春の祭典』は不協和音の嵐、難曲だなあと忌避しかけていました。でも今日のジェントリー&テンダー聴いて「おや?」と思い、先日の『向き合う‼︎』に立ち返ると、面白い。やっぱカラヤンと思ったら!ギーレンの一体感も、マゼールのストーリー感も、極め付けにゃドラティの望郷感も、すごく好いです!
ごりごりに、朝から仕事をしています。美しいとは言い難い仕事よ。でもお受けしたんでね、出来るだけ「社会」に寄与する「作業化」したい。エゴかもねえ。でも、そうしたい。 はい、クラシック音楽を「能動的に」聴いたのは、生まれて初めてそうしたのは、バッハの『マタイ受難曲』でした。 これも師の紹介に寄るから、当たり前に受動的だけどね、って言う必要はないね。 最初はキツかった。それまで、そんな音楽教育をいただいたことなんてなかったし。 でも、湯船に浸かってじっくり「受難(試聴)」し
僕は「道 Tao」に対する欲求が人一倍強いんだろうなあ。「道欲」に関する研究や概念って存在しないのかしら?道教じゃなくて、「道教欲」的な。 人生においては「お師匠さん道」であり、クラシック音楽においてもそのための「バッハ道」に気付いた瞬間、一気にブーストしたもんね、独学。 ぜんぜん心の準備できていなかったのにショパンに鬼ハマり中。バッハには果敢に挑むくせに、ショパンには遠慮していた。 殴っても壊れないモノには力加減なんて気にせずアクセル全開で立ち向かえる。それはそうでし
本当の記事タイトル:社会的階層の「区別」から「人格者への道」は見えるか 議論の動機人為的な使徒の育成は可能か(僕の主とする研究テーマ)という考察ですね。結論、人格者を増やしたいなら愛しかない、そのための「ハビトゥス」によって、批判的思考力を高めるっきゃない、ということ。 もう何回も教わっているので、だいたい同じ道に行きつくことは毎度のことながら予想が付いていて、だからこそ、この結論以外の洞察を得ようと努力しているんだけど、これやっぱ僕の思考(もはや思想)が「そう」だから、
ちょっと待ってくださいよ。リストこんな曲作ってたのですか。聴いてた話とぜんぜん違うじゃないですか。興奮のあまり途中で止めちゃった。嘘だろう。
ヴラディーミル・ソフロニツキーの「13:44 - Etude in C sharp minor Op. 10 No. 4」によって、ショパンの扉が遂に、遂に開いてしまいました。ショパンと リストは後回しのつもりでブラームス優先していたのに。にくい男よ(続くNo. 5も好い)。