プロジェクト・スターゲート - AIに500,000,000,000ドル
よし、今夜は午後9時11分で、普段なら既に寝ている時間なんだけど、このツイートを見て、どうしても話さずにはいられなかった。プロジェクト・スターゲート、OpenAI...なんてこった、始まったぞ。
スターゲート・プロジェクトは、今後4年間でOpenAIのためのAIインフラを米国内に構築するために5,000億ドルを投資しようとする新会社だ。まず1,000億ドルを即座に投入する予定だ。これらの数字は理解するのが難しいレベルだ。テキサスで一体何を建設するのに1,000億ドルも必要なんだろう?
もちろん私の推測では、明らかに原子力発電所だろう。莫大な電力への投資が可能になり、それからチップ製造への投資、そして巨大なGPUの倉庫のようなものを作るということだろう。そんな方向性なんだろうと思う。
このインフラは、AIにおけるアメリカのリーダーシップを確保し、何十万ものアメリカの雇用を創出し、世界に大きな経済的利益をもたらすとされている。
これを読んで感じるのは、ある意味でディストピア的な感覚だ。まず、AIは私たちの仕事を奪うと言われていたのに、今度は何十万もの仕事を作り出すって?一体何が起きているんだ?また、世界全体への大きな経済的利益についてだが、現実には、チップ製造やこれらすべてのものを運用するのには多額の費用がかかり、これらの高度な製品の多くは実際には第三世界の国々にとっては手が届かない価格になっている。
つまり、それは裕福な国々に技術的優位性をもたらし、その富を賄えない国々との技術格差を生み出しているんだ。だから、この主張が少しでも真実だとは思えない。そして通常、OpenAIという、オープンな要素が全くない会社から出てくるこういった人道的に聞こえる話は...正直、全く信用できない。
このプロジェクトはアメリカの再工業化を支援するだけでなく、アメリカとその同盟国の国家安全保障を守る戦略的能力も提供するとされている。つまり、これは明らかにアメリカを他のすべての国よりも遥か先に進めようとしているわけだ。
もちろん、ここには大きなリスクもある。もしAIに何らかの素晴らしい最適化が行われ、はるかに少ない計算能力で物事を処理できるようになれば、このインフラ投資では広い溝を維持することはできなくなる。他の国々は追いつくことができ、私たちの大きな技術的優位性は同じ程度の優位性ではなくなるだろう。
新しいDeepSeek R1を考えてみてほしい。これによってo1が事実上オープンソースで利用可能になった。これは大きなパワーダイナミクスの変化を引き起こす。
とはいえ、これは非常に興味深いニュースでもある。ここで本当に理解してほしいのは...
これを見て私が本当に理解してほしいのは、OpenAIが自身が良好な立場で運営できると考えるインフラを構築するのに、何千億ドルもの資金が数年かかるというこのタイムラインだ。そして建設プロジェクトやソフトウェアプロジェクトと同様、次の4年間というのは実際にはおそらく次の8年から12年を意味することを私たちは知っている。
正直に言おう。私たちは皆予測を立てたことがあり、それが決して、どんな理由であれ、うまくいかないことを知っている。4年というTシャツサイズ...それは機能しない。それはTシャツの有効な見積もりですらない。4年は受け入れられない。
さらに重要なのは、これが今後10年のAIの形を決定づけることだ。AIがこれらの仕事を奪うことになっていて、おそらく多くの人々がこれを大きな落胆として読むだろうことは分かっている。少なくとも私の意見を述べさせてほしい。
昔のマークマシン、ANC、UNIVACなどのマシンを見ると、それらはすべて独自の命令セット、独自のビット幅を持っていた。ある機械用に書いたプログラムを別の機械用にコピーすることはできなかった。そういうものではなかった。そのため、エンジニアは少なく、仕事は多かった。それはとても遅かった。
そして技術が進歩し、例えば57年から59年のFORTRANのようなコンパイラが登場すると、できることだけでなく、エンジニアの需要も大幅に増加した。68年頃にUNIXとともにCが登場すると、再びエンジニアの数は大幅に増加した。インターネットが誕生すると、エンジニアは大幅に増加した。WordPressがすべてのエンジニアの需要を支配し、誰もがウェブサイトを持てるようになるはずだった時でさえ、フリーランスのエンジニアを雇う必要のある中小企業は大幅に増加した。
コードを書くコストを下げるあらゆる進歩は、エンジニアの需要の増加という結果しかもたらしていない。そのため、もちろん私の考えでは、今後4年間で現在よりも50%優れたものが登場し、大幅に安価に運用できる可能性があるとしても、それが唯一もたらすのは、より多くの人々がコードを書けるようになることだ。
より多くの人々がコードを書くようになると、おそらく良いコードとされる統計的平均値が大きく左にシフトし、それを修正するためにより多くのエンジニアが必要になるだろう。コードを書くよりもコードレビューが責任の大きな部分を占めるような時代に入るかもしれない。
そう、私も自身でまだまだたくさんのコードを書き、可能な限りAIを活用することになるだろう。しかし、これをエンジニアリングの終わりとは読んでいない。「あと4年で終わりだ、みんな」というわけではない。私たちの小さなピクニックブランケットを棒に括りつけて、ヨギベアのように歩み去るような...そんな終わり方にはならないと思う。
これを読んで私に見えるのは、未来は明るく、エンジリアはこれからも必要とされるということだけだ。