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哲学者スラヴォイ・ジジェク、『ソフト』ファシズム、AI、そして公共生活における無恥の影響を語る

4,836 文字

若い頃、わしらは古い型の左翼でしてな。権力者には品位があると思うてましたわ。でも、わしらが下品な言葉を使うたり、みっともない真似をしたりしとった時に、権力者の方がわしらが想像しとった以上に下品やったいうことが分かってもうた。最近の選挙でも、民主党はなんにも学べへんかったんですわ。
まぁ、長話はよう致しますさかい、手短に話させていただきます。今日は、わしらがどういう状況におるんかいうことについて、ちょっと導入的なお話をさせていただきたいと思います。
わしは量子力学とちょっとフラートしとるんですけどな、特に興味深いのは、量子力学の重ね合わせや崩壊といった概念を、社会事象や歴史に当てはめることなんです。わしは今でも、ある意味では急進的な左翼なんですが、自分のことを「適度に保守的な共産主義者」と呼んでおります。これはなぜかと言いますとな...
歴史が特定の方向を指し示すという、リベラルやマルクス主義的な夢は手放さなあかんのやと思います。フクヤマの「歴史の終わり」にしても、フクヤマはアホちゃうんです。今では彼もバーニー・サンダースを支持しとるくらいで、それが機能せえへんことに気付いたんです。
正統派マルクス主義者も、複雑な問題はあるけど、共産主義は未来にあると考えとる。ローザ・ルクセンブルクの有名な言葉「未来は社会主義か野蛮か」でも、彼女はスターリン主義で両方が同時に起こることを見落としとったんです。
わしの考えはこうです。量子の重ね合わせでは、粒子がAからBに移動する時、単純化して言うと、波の仮想状態で全ての可能な経路を取るんです。そして一つに収束する。わしらは今、そういう瞬間におるんです。
どこに向かうてるんか誰も分からへん。生態系の危機、戦争、移民、人口移動など、致命的な脅威が3つか4つある。それらがどう相互作用するんかが重要な問題です。生態系の危機が悪化したら戦争は減るって考える人もおるけど、わしはそう確信できへん。完全にオープンな状態なんです。
わしらは今、重ね合わせの状態におるんです。新しい社会主義になるかもしれへんし、文明の島々が点在する新しい野蛮な状態になるかもしれへん。でも、悲しいことに、最も可能性が高いのは、わしが「ソフト・ファシズム」と呼ぶものです。
直接的なナチス・ファシズムやような殺人的な暴力ではなく、保守革命といえるものです。資本主義のダイナミズムに参加しながら、賢明なファシストらは、自由な資本主義とリベラリズムが社会の崩壊を招く可能性があることを理解しとった。だから、強い国家によって統制された資本主義経済を目指すんです。
その正当性は、大抵は作り物の伝統的な宗教的イデオロギーによって担保されます。ここで一部の方を傷つけるかもしれませんが、中国がほぼモデルケースです。わしは中国の動向を注意深く見とるんですが、2ヶ月前に指導者が演説して、若者のイデオロギー教育の必要性を語りました。
普通なら、マルクスを読めとか言いそうなもんですが、儒教の伝統が必要やと言うたんです。モディもインドで同じことをしとる。極端な資本主義やけど、伝統で維持しとるんです。
世界の大半にとって、これが最も可能性の高い方向性やと思います。歴史はわしらの味方ではありません。
もう一つ気になるのは、いわゆる「ならず者国家」が増えとることです。西洋帝国主義的な意味やなく、わしが提案する「ならず者国家」の定義は単純です。既存の秩序が、自らの法的・イデオロギー的な枠組みの中で再生産できず、残虐な違法な暴力の支援を必要とする国家のことです。
ハイチは国家が崩壊し、領土の80%以上がギャングに支配されとります。ロシアではワーグナー・グループが、国家から完全に資金提供を受けながらも、一定の距離を保った半合法的な軍事組織でした。
イスラエルでも、西岸地区の入植者たちは、イスラエルの法律に従いながら、それ自体が違法な状態です。これが今日のイスラエルの悲劇です。イタマル・ベン・グビルは20年ほど前、イスראエルの裁判所で人種差別的な犯罪者として非難されましたが、今や治安担当大臣です。
アメリカでも、プラウド・ボーイズのような反イスラム教と反ユダヤ主義を同時に掲げる集団がおります。トランプは距離を置きながらも、彼らを操作しとる。これが真の「失敗国家」です。国家自身が、自らのイデオロギーや法的前提に従って再生産できへんのです。
今の状況が永遠に続くはずがありません。でも、状況は予め決まっとるわけやありません。量子力学の用語を単純化して使うと、どの単一の現実に収束するんか、わしらには分からへんのです。
わしの好きなヘーゲル的なテーマに入る時間はありませんが、ヘーゲルは遡及性について理解しとったと思います。ある版が採用されると、過去は経験的には変わりませんが、過去の認識や語り方は変わるんです。わしらは常に過去を変えとるんです。
マルクスは単純な進歩主義者として批判されることが多いですが、『経済学批判要綱』の中で素晴らしいことを言うとります。人間の解剖は猿の解剖を理解する鍵であり、資本主義は全ての以前の段階を解釈する解剖学を提供すると。
わしはマルクスがここで徹底的に反目的論的やと考えとります。資本主義が予め決まっとったという意味やなく、資本主義が勝利したからこそ、わしらは全ての歴史を遡及的に読み直し、資本主義に向かう過程として書き直すんです。
デイビッド・グレーバーらの仕事が好きな理由はここにあります。彼らは古代インカ社会における重ね合わせを示そうとしました。子供の生贄という恐怖だけやなく、信じられないような地域民主主義も機能しとったんです。
わしの教訓は、起こったことだけやなく、起こり得たけど起こらんかったことにも注目することです。起こり得たことは単に消えるんやなく、反動的な夢か非常に進歩的な夢として残るんです。
この観点から、進歩をどう定義するかには慎重にならなあかんと思います。今日の大きな問題の一つが人工知能です。わしらはよく「本当に考えられるようになるんか」、つまり「わしらのように考えられるようになるんか」という質問をしますが、これは間違った問い方やと思います。
まず、抽象的な質問やから答えは分かりません。なぜいつも「わしらのように考える」という形で問うんか。全く異なる形の精神性が現れる可能性もあるんです。
わしの精神分析的なアプローチで、挑発的な話をさせていただきます。専門家と話をして、人工知能が何をできるかという議論を受け入れました。もちろん、計算はわしらよりずっと速くできます。自己学習も自己複製もできます。
でも、わしの対話相手はよく驚くんですが、人間に特有で、人間性にとって重要なものが2つあります。
一つは日常的な儀式です。迷信的な習慣というより...例えばわしには、手を洗った後、水が落ちてないのが見えても、手で確認せなあかん習慣があります。アガサ・クリスティは毎晩、執筆を終えた後に風呂に入ってリンゴを食べとったそうです。
これらの習慣に深い意味はありません。心理分析をするのは間違いです。純粋な意味の現れ、意味のない意味の現れなんです。トラウマや楽園のイブがリンゴを食べたとか、そんな意味はありません。わしらの人生の明白な混沌とした無意味さに対抗するための、空虚な意味の現れなんです。
二つ目は、人工知能は本当に罵れへんということです。罵ることは非常に興味深いもので、単なる下品さやありません。人間はことばの中に存在し、ことばで考えますが、決してことばの中で安住できへん。そのことの証明が罵りなんです。
何かの客観的な出来事に対する不満を表現するんやなく、それをことばで表現できへんことへの欲求不満なんです。宗教的な友人とも話しましたが、時代錯誤的な位相的な動きが好きなんです。
十字架上のキリストを想像してください。「父よ、なぜわたしをお見捨てになったのですか」を忘れて、死にかけた時に罵るべきやったかもしれません。これはパラドックスですが、「ああ、キリストよ、わしはどこにおるんや」とか言うべきやったかもしれません。
わしらが言語の中にいられへんという困惑が、わしらの人間性を構成しとるんです。
最後に、もう一つ驚くべきことをお話しします。今日、わしを本当に悲しませるのは、恥知らずの爆発的な増加です。10年前には公共の場で絶対に言えんかったことが、今では公然と言えるようになっとります。
ドナルド・トランプやボリス・ジョンソンの下品さだけの話やありません。わしは決して反ユダヤ主義者やありません。イスラエルの立場も理解できます。でも、最近イスラエルで起きた2つのことに本当にショックを受けました。
8月、クネセト(イスラエル国会)で議論があり、エルサレム南部の刑務所でハマスの囚人たちが収容されとる施設で、警備員が残虐な行為をしとることに、シオニストの議員が抗議しました。針の付いた大きな金属棒を直腸に押し込むなどの行為で、多くの囚人が出血で死んでしまいました。
中立的に話そうとしとります。他の側が何をしとるか分かりません。でも、クネセトでの議論を見て落ち込みました。YouTubeで簡単に見られますが、主な論調は「こんなことをした警備員が逮捕されるなんて恥ずかしい。ハマスのメンバーは人間以下やから、何をしてもええ」というものでした。
この種の露骨さよりも、偽善の方がましです。
似たようなことで、イロン・ムライというイスラエル兵士の話もショックでした。ガザで、ブルドーザーで数百人のパレスチナ人の生死者の上を走るという恐ろしい命令を受けて、危機に陥って自殺してしまいました。
少なくともわしなら、彼に良心があったことは明らかやと反応するところですが、イスラエル国防軍の公式心理学者の反応は「兵士がこういう行為に倫理的な問題を感じんようにするにはどう訓練すればええか」というものでした。
わしにとって、これが終わりです。この恥知らずさです。
最後に、わしが非常に魅了されとるのは、わしの師であるラカンが、1969-70年に「精神分析のもう一つの側面」というセミナーで、68年の出来事への反応として語ったことです。
単に学生運動を支持するんやなく、「お前らに欠けとるのは恥やで」と言いました。今日の許容的な時代における精神分析の究極の目標は、父権的な抑圧から解放されて全ての幻想を実現することやなく、恥の欠如に対処することやと。
これは普遍的な倒錯につながるんです。ラカンはフロイトが既に知っていたことを参照しています。倒錯は、ヒステリーほど破壊的ではありません。この対比は、よく性的にも解釈されます。「女性はヒステリックで、ただ文句を言うだけやけど、本当は新しい主人を求めとる」という男性優越主義的な考え方があります。でも違います。
男性は倒錯的で、夢見ることを実行するんです。フロイトは既に「無意識が最も抑圧されとるのは倒錯においてや」と言うとりました。偉大なことは全てヒステリーを通じて起こるんです。
これが今日のわしらへの教訓です。若い頃、わしらは古い型の左翼で、権力者には品位があると思うとった。でも、わしらが下品な身振りをしたり、汚い言葉を使うたりした時、権力者の方がわしらが想像しとった以上に下品やということが分かってもうた。
直近の選挙で、民主党は全く学べへんかった。トランプが嘘をついとるのが露見した時、「これで捕まえた」と思うたんです。でも、それが彼を助けただけでした。トランプの下品さや嘘が露見したことは、むしろ人々との一体感の基礎になったんです。人々は、そういうところで彼を好きになったんです。
だから、今日のこの種の許容的な時代に、基本的な恥の感覚をどう取り戻すかが問われとるんです。
ご清聴ありがとうございました。長くなってもうて申し訳ありません。

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