
デイビッド・シャピロ - ポストAGI経済 - キャリアと経済の未来対策 - マインドブロワーズ・ポッドキャスト
16,646 文字
配管工さんや電気工さんが最後まで残るかもしれへんけど、他にもようけの職種が長いこと残るやろね。まず、資格が要る仕事やな。医者とか弁護士とか電気工事士とかやね。機械が人間よりも「より良く、より速く、より安く、より安全に」なったら、たいがいの仕事は機械に取って代わられるんやけどな。これを「オートメーションの崖」って呼んどるわ。
オートメーションが進むと、GDPも経済総生産も上がるから、もっと人を雇えるようになんねん。仕事が増えるからな。でも、家を建てるロボットができたら、家の建築費用が30〜50%も安なるかもしれへん。
ほんでもな、私は今、人に意味を教えたり、文章の書き方を教えたりすることに集中してる方が、昔のIT関係の仕事よりも稼げてるんやで。
マインドブロワーズ - 明日の謎 このエピソード: デイビッド・シャピロとダニエル・カエールによるポスト労働経済
デイビッド、お会いできて嬉しいわ。来てくれてありがとう。
ここにおれてうれしいわ。
そうやな。今日はポスト労働経済について話すんやけど、みんな規制をどうするかとか、どうやって止めるかとかばっかり話してはるよな。ポスト労働経済について、あんたがどう思てるか、近い将来や10年後くらいにどうなると思てるか、ちょっとずつ解説してもらえへんやろか。
ええ質問やわ。そやな、始めるにはちょうどええと思う。私が考えて、研究して、この2、3年話してきたパラダイムは「より良く、より速く、より安く、より安全に」っちゅうことやねん。これは4つの基準で、機械(エンジンや飛行機からロボットやAIまで全部含む)が人間をこの4つの基準で上回ったら、たいがいその仕事は経済的に避けられへんようになって、機械がするようになるんや。
例えばな、なんで車や飛行機を使うかって言うたら、歩くよりも良くて速くて安いからやろ?そやから、そういう機械を使うんや。実際、飛行機の方が安全なんやで。1マイル当たりの乗客の怪我や死亡者数が少ないんや。これは航空機がよう規制されてて安全やからや。まあ、ここ数年ボーイングで問題があったけどな。これは規制がうまくいかへんかったり、会社が間違ったことを最適化しようとしたりした時に起こることやな。
この原則、つまり「より良く、より速く、より安く、より安全に」っちゅうのが経済的な変化を引き起こすんや。人間が何をするか、どんな機械を使うかっちゅうことにな。組立ラインとかもそうや。この傾向が続いて、ロボットやAIの傾向も続くとしたら、来年かもしれへんし10年後かもしれへん。まだ50年から100年先やと思てる人もおるし、絶対に来へんと思てる人もおるけどな。
でも、いつかは認知労働や、今は人間にしかできへん配管工事や電気工事、素粒子物理学なんかの仕事も、全部AIとロボットに取って代わられる可能性があるんや。もちろん、これにめっちゃ懐疑的な人もおるし、めっちゃワクワクしてる人もおる。怖がってる人もおるな。
でも、歴史的な傾向から見ると、これは「オートメーションのフロンティア」って呼ばれてるんや。経済学者のアントン・コロニクが去年か一昨年に「オートメーションのフロンティア」っちゅうブログ記事を書いてな。基本的に、第一原理の観点から見て、オートメーションの領域っちゅうのは、機械ができることや、オートメーションができることの全体やと。人間から仕事を奪うことができるんや。
彼が言うてるのは、このオートメーションのフロンティアが広がっていく時に、人間の能力のフロンティアも一緒に広がるんかどうかっちゅうことや。それとも、ベン図みたいになるんか、それとも人間の能力の領域が小さくなって、機械ができることの領域に完全に飲み込まれてまうんかっちゅうことや。これが大きな問題やねん。
そやから、いろんな反応があるし、不確実なこともようけあるんや。アントン・コロニクの仕事に詳しいかって聞こうと思てたとこやわ。
彼が言うてたことの一つは、これが人々にどう影響するかは投資のレベルによって変わるっちゅうことやな。直感に反するかもしれへんけど、オートメーションにもっと投資して、もっと資本を投入すればするほど、人間にとってはええことになるんや。そしたら成長がめっちゃ高くなって、人々はもっと稼げるようになるし、最初のうちは失業もそんなに増えへんやろうってことや。
そうやな。これは「オートメーションの崖」って呼ばれてることやな。私はその名前を知らんかったけど、聞いたことはあるわ。基本的に、オートメーションが増えると、GDPも経済総生産も上がるんや。そしたら、もっと人を雇えるようになる。だって、やることがもっと増えるからな。
つまり、機械が生産性のボトルネックじゃなくなるんや。言い換えると、物事を待つ時間が減るんや。そしたら、人間がオートメーションができる仕事に追いつこうとするんやけど、それが終わるのは「オートメーションの崖」って呼ばれるとこや。
人間がやる仕事がどんどん増えていって、最後の瞬間まで続くんやけど、そこでオートメーションのフロンティアが人間ができる最後の仕事も奪っちゃうんや。そしたら、人間はもうボトルネックじゃなくなるんや。
これが起こると信じる理由はええのがあるんや。まず、人間は遅いんや。人間は遅くて、雇うのにお金がかかる。人間は間違えることもあるしな。だから、人間を排除できたら、経済的にはそうすることが重要になることが多いんや。
組立ラインを見てみ。今日では「ライトアウト工場」っちゅうのがあるんや。これは人間の介入なしで動く工場のことや。その工場で製造されるものが何であれ、全工程が完全に自動化された組立ラインでやられるんや。人間は一切おらへん。
これは人間にとっても安全なんや。だって、機械は大きくて重くて力が強いから、人間が邪魔になったら、人間が負けるんや。いつでもな。
だから、これが進む方向やっちゅう証拠はようけあるんや。過去にも、完全に自動化されてなくなった仕事はようけあるで。電話交換手とか、組立ラインの作業員とかな。これはほんの一例やけどな。
そやから、問題は全体的にどんな仕事が完全に自動化されるんかってことや。これはあんたが聞いてる質問とちょっと違うかもしれへんけど、「オートメーションの崖」っちゅう概念を説明するのは大事やと思ったんや。
みんなが仕事を失うまでは良いことやけど、それが一気に起こるわけやないんや。例えば、AI分野では、コールセンターのオペレーターが最初になくなりつつあるんや。商業的には、一部の企業ではコールセンターのオペレーターの90%を減らしてしもたんや。
でも、それらは機械が同じ仕事をするっちゅうわけやないんや。その仕事自体が必要なくなってきてるんや。チャットボットのおかげでな。企業に電話をかける代わりに、ウェブサイトのチャットボットと話すだけでええようになったんや。そしたら、もう電話する必要もなくなるんや。
これは、オートメーションが人間の仕事や一連の作業を完全に不要にしたり、取って代わったりする例やな。
ちょっとタイムラインについて詳しく話してみようか。ここで人々の意見が一致せえへんのを見るんや。「もう起こってる」って記事を投稿してる人もおるし、「もっと洗練された仕事でさえみんな仕事を失い始めてる」って言うてる人もおる。一方で、「ナンセンスや、西洋世界のほとんどではまだほぼ完全雇用やで」って言う人もおるな。
あんたはこれがまさに起ころうとしてると思うか、それとも本当に影響が出るまでにまだ数年かかると思う?
そうやな、さっき言うたように、もう一部の仕事はなくなりつつあるんや。一番影響を受けてるのはフリーランサーやな。フリーランスのグラフィックアーティストは、ミッドジャーニーやDALL-Eみたいなツールのせいで契約を失いつつあるんや。フリーランスのコピーライターも、クロードやチャットGPTみたいなツールのせいで仕事を失いつつあるんや。
だから、もう起こってるんや。私が個人的に予想するのは、これは普通「創造的破壊」って呼ばれるんやけど、新しい技術や新しい経済パラダイムが新しい仕事や新しい機会を作り出す一方で、古い機会を破壊するんや。
例えば、馬の世話をする仕事のことを心配する必要はもうないやろ。求人サイトでそんな仕事を見ることはないやろうな。なんでかって?ほとんどの人が馬を使わんようになったからや。その代わりに、馬の世話をする仕事は自動車整備士の仕事に置き換わったんや。
基本的に全然違う仕事やけど、まだ技術的には輸送に関係してるんや。でも、これは一気に起こったわけやないんや。経済や仕事はいろんな部門に分かれてるからな。それぞれの部門には違う余裕や要件があるんや。
例えば、配管工さんや電気工さんは、資格が必要やし、複雑な物理的な世界や物理的な問題を扱う必要があるから、たぶん最後までなくならへん仕事やと思うわ。
でも、私が経験則として言えるのは、もしあんたの仕事が完全にコンピューターの前でするもんやったら、真っ先になくなるやろうってことや。つまり、コンピュータープログラマーとかコピーライターとかマーケターとかやな。
実際に見てるのは、逸話的なものもあるし、データもあるんやけど、仕事が減ってきてるんや。まだ大量解雇されてへん職場でも、マーケティング部門とかコピーライティング部門とかでは、AIの助けを借りて出力を劇的に増やすか、さもなきゃ来年か再来年には部門が閉鎖されるって通告されてる人が多いんや。
さっき、配管工さんや電気工さんが最後まで残るかもしれへんって言うたけど、他にもようけの職種が長いこと残るやろうな。まず、資格が要る仕事やな。医者とか弁護士とか電気工事士とかやね。要するに、現状では人間にしかできへんって思われてて、その仕事をするのに免許が必要な仕事やね。これらを私は「法定の仕事」って呼んでるんやけど、これらはしばらくの間は残るやろうな。もしかしたら永遠に残るかもしれへん。誰も知らへんけどな。
少なくとも、人間の配管工さんの10倍も良くて、10倍も安くて、10倍も速いロボットの配管工を雇えるようになるまではな。でも、これも「もし」の話や。ロボット技術やAI技術がそこまで行けるかどうか懐疑的な人もようけおるしな。
その間、法定の保護がない仕事については、基本的に十分良くなったらすぐに、企業は合理的な選択をするんや。AIプロバイダー企業にアウトソースするか、社内でAIを作る人を雇うか、それをやるロボットを作る人を雇うかやな。
だから、時間とともに段階的に進んでいくんや。さっき言うたように、オートメーションのフロンティアが新しい領域に広がっていくにつれてな。数学が得意になったり、化学や物理学が得意になったりしていくんや。それから、それらの技術が統合されていくんやけど。
でも、もう一度言うとくけど、基本的なルールの一つは、もしあんたの仕事が完全にコンピューターの前でするもんやったら、それはAIの本領発揮する場所やねん。つまり、あんたはもっと脆弱になるってことや。
いつ本当に起こるかは、他のいろんな要因によるんや。その特定の仕事をするのに必要な条件によってな。
これが今後2、3年の間に失業率に表れると思う?アメリカの失業率は少し上がってるのは知ってるけど、それも新しい人がようけ労働力に入ってきたからみたいやし、AIのせいじゃないかもしれへんな。
そうやな。私が見てる数字はいくつかあるんや。ちなみに、私は専門の経済学者じゃないで。まだ経済学について勉強中やし、これから予定してるプロジェクトのために多くの経済学者に相談してるとこやねん。
でも、失業率だけが見るべき指標やないんや。確かにそれは良い始まりやけどな。私は雇用の絶対数も見てるんや。人口が増えたり、人口構成が変わったりするからな。アメリカの場合、最後に確認した時は約1億6100万人が働いてたと思う。だから、総雇用者数を見る必要があるんや。
それから、労働力参加率も見るんや。これは全市民のうち何パーセントが労働力にいるかってことや。アメリカの場合、労働力参加率のピークは90年代後半か2000年代初頭で、約66%やった思う。今は61%で、ゆっくり下がってるんや。ちょっとずつ上下してるかもしれへんけど。
私が予想して、注目してるのは、人々が永久に労働力から退出することや。これはNEETって呼ばれるもんや。教育も受けてへんし、雇用もされてへんし、訓練も受けてへんって人たちやな。
経済から完全に退出する人の数が増えていくと、これは必ずしも失業データに反映されへんかもしれへん。失業データがどう集められてるかによるんや。国や州によって違うしな。
私が予想してるのは、人々が、例えば退職者が年齢的に労働力から抜けていって、若い人たちに置き換わらへんってことや。また、これも多くは逸話的なものやけど、特に若い男性は労働力に全然入らへん傾向があるんや。
Z世代の若い男性の3分の1か半分くらいが、まだ実家に住んでて働いてへんし、その状況を変える気もないらしいんや。
こういう人口動態の傾向が、私が注目してるものやな。そうやな、あんたが言うたように、もしその数字が上がり始めたら、もし国の労働力の総数が縮み始めたら、それはその国にとって一般的に悪い兆候やな。
例えば、インドは今「人口ボーナス」って呼ばれるものを享受してるんや。これは俗語みたいなもんやけど、基本的に、インドはめっちゃ人口が増えたから、若い労働者がようけおるんや。これは、彼らにはもっとエネルギーがあるってことやし、必ずしもまだ養う家族がおらへんってことやな。
もし家族がおっても、それは彼らが社会的に上昇したり、企業のはしごを上るいい動機になるんや。一方で、日本や中国みたいな他の国では、日本はもうずっと前にその転換点を過ぎてしもたんや。だから、彼らの労働力はめっちゃ急激に縮んでるんや。
ドイツやイタリアなど、多くの国で人々が退職していって、誰も彼らに取って代わらへんのや。これは完全に人口動態のせいで、人工知能のせいでさえないんや。
私が見てるのは、もしかしたら我々は実際にAIとロボット工学が必要かもしれへんってことや。これらの縮小する労働人口を置き換えるためにな。そうせんと、これらの国の経済は本当にめっちゃ苦しむことになるやろう。
日本を見てみ。日本の株式市場は90年代初頭にピークを迎えて、その後一度も本当に回復してへんのや。これが、多くの国が労働力の数を増やすか、人々が働かへんことを何らかの形で補う方法を見つけへんかったら、直面する未来やねん。
そうやな、ええ指摘やわ。実際、フランスみたいな国では、デモが起こってるんを見るんや。「どうして定年退職の年齢を上げるんや」って言うてる人がおるんや。実際、彼らにはまだ労働者が必要なんやからな。
私を驚かせるのは、AIがこの議論に全然入ってへんみたいなことやな。少なくともヨーロッパではな。「AIが救いの手を差し伸べてくれる」みたいな話は全然聞かへんのや。
例えば、ドイツは人口動態的にめっちゃ厳しい状況にあるんや。労働力から抜ける人がようけおるのに、新しく入ってくる人がおらへんのや。中国はもっと悪いしな。私が見る限り、AIは実際に救いの手を差し伸べてくれてるんやけど、そういう対話は聞こえへんのや。
AIの経済学を予測してる政治家は一人もおらへんみたいやな。アメリカとは違うんかな?
そうやな、違うところもあるし、似てるところもあるな。政治家ほどじゃないけど、民間企業がそういう話をしてるんや。特にシリコンバレーやな。GoogleやMicrosoft、Metaなど、みんながそういう話をしてるんや。
私も特にその話を信じてるんやけど、でも、まだ人々は私に聞いてくるんや。「デイビッド、人口崩壊とかそういうことを心配してへんの?」って。私は二つの大きな理由で心配してへんのや。
まず一つ目は長寿やな。あんたがオーブリー・デグレイにインタビューしたのを知ってるけど、人々はもっと長生きするようになるやろう。できるだけ早くそうなってほしいな。それから、再生医療が発達したら、年取った人でも若さを取り戻して、必要なら労働力に戻れるかもしれへんしな。
別に、何世紀も他の人のために働くべきやって言うてるわけやないで。みんな退職して、働かずに人生を楽しむ機会を得るべきやと思うわ。でも、AIとロボット工学に長寿が組み合わさったら、長期的にはそういう問題は心配してへんのや。
ただ、どっちの問題もまだ解決されてへんのや。これが、多くの政治家がそのことについて話さへん理由やと思うわ。自分の国民がどこにおるかを見なあかんからな。
フランスの市民や、ドイツの市民、そして多くのアメリカ人、特に私の聴衆の多くは、政府が自分たちの面倒を見てくれるとは信じてへんのや。政府が面倒を見るべきやとも思ってへんし、システムが時間内に適応するとも信じてへんのや。
彼らは、AIとロボット工学の波が来て、多くの仕事を破壊するのを見てるんや。一方で、大金持ちはもっと金持ちになるのに、自分たちはもう関係なくなるって思てるんや。多くの人が、この場合に経済的に無関係になることをめっちゃ怖がってるんや。
そやから、もし政治家がおって、上院議員や大統領や首相が「これはええことや。経済に火をつけるんや。あんたら労働者はもう関係なくなるんや」って言うたら、選挙で落選してまうんや。これは基本的に政治的自殺みたいなもんやな。
だから、たとえ密室で話し合ってたとしても、どの政治家もそれが計画やって認めへんのや。陰謀論みたいに聞こえへんようにしてるけど、広報や世論の観点から見て、実際どう見えるかを考えてるだけやで。
だから、誰も話してへん理由はたぶんそれやと思うわ。どっちにしろな。ただ待って様子を見るのがええんやろうな。シリコンバレーのCEOや政治家の多くは、そんな感じやと思うわ。「まあ、様子見しよか」みたいな。
アメリカのシリコンバレーはめっちゃうるさくて、いつも守らへん約束ばっかりしてるからな。時には約束を守らへんだけやなくて、間違ったことをしてまうこともあるんや。
Facebookを見てみ。約束は「世界をつなげる」やったのに、実際は世界を分断してもうたんや。約束を守れへんだけやなくて、実際にめっちゃ害を与えてもうたんや。
そやから、シリコンバレーの約束には懐疑的な人がようけおるんや。でも、傾向を見て、データを見て、可能性を見たら、それは単に企業の約束やないかもしれへんのや。
研究の方向性を見て、投資の方向性を見てみ。あんたも言うたように、人工知能とロボット工学への投資額は今、指数関数的に増えてるんや。
まだ分からへんけど、それが私の見方やな。なんで人々がこれについて話してたり、話してへんかったりするのかな。「救いの手」として来る可能性があるって。私はそれが来ると思うけど、問題は2年後なのか、5年後なのか、10年後、15年後、50年後なのかってことやな。
人々は5年から10年くらいの時間枠に落ち着いてるみたいやな。そのくらいの時期に、ロボット工学と人工知能の力が本当に見え始めるんやないかって。少なくとも経済的な観点からはな。
今のところ、AIとロボット工学は経済を全然変えてへんのや。少なくとも大きな意味ではな。だから、これはまだ全部空想やし、希望や願望やねんけどな。
まあ、ある意味、20年後がどうなるかを予測する方が、実際にどう展開するかを予測するより簡単かもしれへんな。
私が話す人たちで、これを規制したいって言うてる人たちは、「これがどう展開するか分かってる」って言うてるんや。少なくとも、彼らが恐れてることは分かってるって。だって、「私は仕事を失うやろう」って言うてるからな。
もし、かなり給料のええホワイトカラーの仕事をしてて、それがかなり繰り返しの作業やったら、「5年以内に仕事を失うやろう。政治家は何もしてくれへん」って言うてるんや。
例えば、10万ドルから、たぶんUBI(普遍的基本所得)があったとしても2万ドルくらいになるんやないかって。これがアメリカの人口が考えてる方法やと思うんやけど。
そうやな、それは人間の反応やと思うわ。変化に対してな。ここで人間の本質を見てみよう。進化生物学に頼るつもりはないけど、人間の本質を見ると、変化はたいてい脅威なんや。
天気の変化でも、近所の変化でも、何かが変わりそうやって感じたら、それは脅威か機会かのどっちかや。でも、たいていの場合、変化は脅威なんや。つまり、慣れ親しんだ現状がなくなるってことやからな。これが人々が反応してることやねん。
さらに、この変化が良いことやないかもしれへんっちゅう歴史的な証拠もようけあるんや。少なくとも短期的にはな。
過去の産業革命を見てみい。200年前、250年前は、ほとんどの人が農民やったんや。それが2世紀経って、ほとんどの人が農民やないってなった。完全に逆転したんや。人口の98%が農民やったのが、2%になったんや。まあ、国によって違うけど、90%から4〜5%くらいになったんやな。スカンジナビア諸国はまだ4〜5%くらいが農民やと思うわ。
とにかく、今は農業が仕事のほんの一部になってもうたんや。でも、統計的に言うても意味ないやろ。人間的に言うたら、生活様式が完全に変わってしもたってことやねん。これが人々が本当に怖がってることなんや。
今、農民に戻りたいって思うか?豚や牛の世話をしたり、畑を耕したりしたいか?まあ、趣味でそうする人もおるけどな。ようけの百万長者や億万長者が退職して農場を買うけど、お金が必要やからやないんや。その生活様式が好きで、生活費を稼ぐプレッシャーがないからやってるんやで。
でも、ほとんどの人は農業に戻りたいとは思わへんやろ。これは何十年、何世紀って単位の話やで。次の5年間どうやって生活するかっちゅう話やないんや。
そやから、そういう不安の多くを認めたいんや。だって歴史的に見ても、たいていは本当にきついからな。でも、早めに移行する人にとっては、違う話になるんやで。
未来を読み取る人、壁に書かれたことを読み取る人を想像してみ。例えば、1890年のフランスの農民やとするやろ。トラクターの話が出始めた頃やな。本格的に普及し始めたのは第一次世界大戦後やと思うけど。
機械化が来るのを見て、「早めに抜けよう。農場を早めに売って街に引っ越そう」って思う人がおるやろ。これはアメリカでもよくある話やな。特に広大な農地があるからな。
多くの人が、農場にしがみついて遅くに売った人もおれば、早めに街に引っ越して新しい仕事を見つけたり、教育を受けたりした人もおるんや。
だから、この経済的な変化に備えて今からできることはようけあるんや。幸いなことに、農場を売って街に引っ越すのとは全然違うけどな。
でも、AIとロボット工学と他の全てが来る前と後では、農業経済から工業経済に変わったのと同じくらい大きな変化があると予想してるんや。そして今は知識経済やけど、これも全く新しい経済パラダイムになるやろうな。
我々には、こういう変革の時期を生きるっちゅう混じった祝福があるんや。面白いけど、挑戦的でもあるってことやな。
もし、上位3つのアドバイスをするとしたら、例えば、いいホワイトカラーの仕事をしてて、民間企業に雇われてるけど、ちょっと先行きが見えてる人がおるとするやろ。来年かもしれへんし、3年後かもしれへんけど、その仕事が続けられへんって思ってる。自動化されてしまうって。そういう人にどんなアドバイスをする?
まず一つ目は、必ずしも金融的なアドバイスやないけど、私がずっとやってきたことやねん。めっちゃ質素に暮らすことや。
私は働き始めてからずっと、年収4万ドル以上あったんやけど、生活費は4万ドルを超えたことがないんや。これは、少ないもので幸せになることを学ぶってことやねん。別に貧困思考を持てって言うてるわけやないで。
でも、少ないもので暮らせるようになって、貯金することを学ぶんや。これだけで、金銭的な安全性が高まるんや。誰でもそうするべきやと思うわ。もしお金のことを心配してるんならな。
長い助走期間があれば、将来のことをもうちょっとうまく準備できるやろ。
もう一つできることは、移行を始めることやな。これが私がやったことや。ちょっと私の話をさせてもらうわ。
2019年にGPT-2で遊び始めて、2020年にGPT-3が出た時、これが未来の方向性やって分かったんや。全てがこっちに向かってるって。YouTubeチャンネルを始めて、全ての研究を記録し始めたんや。AIに関する本も何冊か書いたんや。
「人工知能の一部になりたい。古い情報技術から抜け出したい」って思ったんや。私はクラウドエンジニアやったからな。技術の分野におったけど、「これは古い。新しいものに行きたい」って思ったんや。
技術の世界では、「適応するか死ぬか」っちゅうのが基本やからな。技術の世界では、スキルには賞味期限があるんや。特定のプログラミング言語や特定のプラットフォームにしてもな。だから、時代に合わせて適応することには慣れてるんや。
AIが次の大きなものやって言うたんやけど、4、5年AIの世界におって、これがまだ始まりに過ぎへんって気づいたんや。だから、もう一回移行したんや。
今は実際、人工知能から離れて、哲学とか意味とか、例えばこの会話みたいな、これが今後5年、10年、20年で人類にどんな影響を与えるかってことに取り組んでるんや。
ちなみに、私はまだ「いつかAIに仕事を奪われたい」って言う人間の一人やで。いつかはもうポッドキャストをしなくなるやろうな。私のアドバイスも、意見も、知識も、人工知能に比べたらもう全然意味がなくなるからな。
でも、そこまでは、新しい時代を迎えるのを手伝う立場に自分を置いてるんや。これが私が移行してきた一例やな。その変化を、まあ「利用する」っちゅう言い方はしたくないけど、その変化に生産的に参加するようにしてきたってことやな。
多くの人にとって、それは犠牲を伴うことになると思う?ジュリア・マッコイの話を思い出したんやけど、彼女もめっちゃ成功した会社を売って、収入が10〜20%くらいになったって話をしてたよな。
私も同じようなことをしてるけど、ほとんどは自分がそうしたいからやねん。多くの人にとっては、「それは特権的な立場やからできることや。私にはそんな犠牲はできへん」って言うやろうな。
もっとスムーズな方法はあると思う?まあ、みんな25%くらいは貯金できるかもしれへんけど、「去年の10%の収入になる」っちゅうのは選択肢にならへんかもしれへんな。
そうやな、犠牲をどう定義するかによるな。ちょっと状況を説明させてもらうわ。
私の妻は私の後を追ってるんや。学校に行って修士号を取って、文字通り2年前に職場に入ったんや。ちょうどこれら全てが起こり始めた時やな。
今、彼女は「なんでこんなに頑張ったんやろ」って思ってるんや。たぶん、あんたの聴衆の中にも、同じように思ってる人がようけおるやろうな。「なんでこんなに頑張ったんやろ」って。
幸いなことに、彼女は両親が大学の費用を援助してくれたから、大学のローンはないんや。これは本当に大きな贈り物やな。多くの人が大学のローンのことを心配してるし、あんたも言うたように、家を売らなあかんかもしれへんしな。
ちなみに、我々はもう家を売ったんや。先を見越してな。行きたいところに引っ越すためにな。
だから、いろんな脅威があるんや。技術が変わる、仕事が変わる。彼女はすでに私の後を追う作業を始めてるんやけど、我々が今やってるのは、実は執筆コミュニティを作ることなんや。
SF作家やファンタジー作家のためのコミュニティやねん。我々が起こると思ってるのは、お金のためだけにやってる仕事から人々が離れていって、もっと自分が気にかけることに集中するようになるってことや。
これは、録音の時点で、ちょうど1週間前に発表したことなんやけど、実際には今日から1週間前やな。AIから離れるって発表したんや。
その中で一つやろうとしてるのが、執筆に集中することなんや。だって、執筆が好きやからな。でも面白いのは、人々に意味を教えたり、執筆を教えたりすることに集中することで、今の方が技術の仕事をしてた時よりも稼げてるんや。
これが私が言うてる、変化はたいてい脅威やけど、機会にもなり得るってことなんや。好きなことに全力を注いで、それを収益化する方法を見つけたら、今の立場にしがみついてるよりも、実際にはもっとうまくいくかもしれへんのや。
もう一つのポイントは、好きなことをやって、十分な生活水準があって、デスクに縛られて他人のために働いてへんのやったら、それって本当に犠牲なんやろうか?
私の今の生活を見てみ。毎朝、森の中を歩いたり、ハイキングに行ったりしてるんや。確かに、稼げるはずの金額ほど稼いでへんかもしれへん。でも、自分の時間を完全にコントロールできてるし、毎日何をするかも自分で決められるんや。
それに、今までで一番健康やな。まあ、今までで一番っちゅうわけやないけど、企業で働いてたストレスから健康を取り戻してるんや。
だから、これは見方の問題やと思うんや。幸せを単に稼ぐ金額だけで測るんやったら、たぶんそれは正しくないと思うわ。そんな感じでまとめられるかな。
数年先のことを考えてみようか。AIが社会に与える論理的な影響の一つは、インフレか価格崩壊やと思うんや。
マット・デイモンが出てる映画に触発されたんやけど、タイトルは正確に覚えてへんけど、人々が小さくなって20cmくらいになる映画やったんや。そしたら、本当にええ家が100万ドルやなくて2万ドルくらいになるんや。
AIも理論的には同じことができるんやないかって考えてたんやけど、それを言うたら、みんな私が頭おかしいって思うんや。「価格は常に上がるもんや」って言うてな。
技術は常にデフレ的なもんなんや。大きなリスクを伴うけどな。
例えば、この2世紀の間の食べ物の価格を見てみ。2世紀前、労働者階級やったら、収入の50%以上を食べ物に使ってたんや。時には50%以上になることもあった。
今では、労働者階級でも10%くらい、すごくええもの食べてても20%くらいやろ。技術は一般的に価格を下げるんや。
これが実際、イノベーションと競争の目的なんや。これが自由市場資本主義の超能力の一つやねん。競争が企業に、より安い価格で商品やサービスを提供することを強いるんや。
まあ、大きな注意書きをつけとかなあかんけどな。価格の協調とか、他のやり方でゲームが壊れる可能性もあるからな。でも、イノベーションは効率を上げるんや。
人工知能とロボット工学も劇的に効率を上げる可能性があるんや。でも、全ての分野で同じように起こるわけやないで。
これはどういう意味かっちゅうと、一部の商品やサービスの価格が劇的に下がるのをもう見てるんや。例を挙げるわ。
私が最近出版した本、後ろの棚にあるやつやけど、この本を書き始めた時、生成AIがまだ画像を作れへんかった頃やねん。自分で表紙を作ろうとしてみたんやけど、結局プロのアーティストを雇って、表紙のアートに1800ドル払ったんや。ええ出来やったし、気に入ってたで。
それから2年経って、本が完成して出版準備ができた時、いろんな表紙のアートを市場テストしようと思ったんや。その時にはもうDALL-EやMidjourneyなど、いろんなツールが使えるようになってたんや。
「人々は実際に何を好むんやろ?何に反応するんやろ?」って考えて、人間に払わんでも、数秒で代替バージョンの表紙をようけ作れるようになったんや。
そして、人々が好きなものを見つけたら、人間が作った元の作品とAIが生成した作品を並べて比較したんや。「どっちが好き?人間が作ったこの作品?それともAIが生成したこの作品?」ってな。
そしたら何が分かったと思う?少なくともSFの表紙に関しては、市場は実際にAIが生成したアートワークの方を好むんや。
時間のことを考えてみ。これは「より良く、より速く、より安く、より安全に」の話に戻るけど、人間のアーティスト2人に合計2500ドル以上払って表紙のアートを作ってもらったんや。何週間もかかったし、めっちゃ高かったわ。
一方、Midjourneyは月20ドルで、数秒で作れるんや。速いだけやなく安いし、さっき言うたように、少なくともSFの文脈では、市場は実際にAIが生成したアートの方を好むんや。
だから、より良くて、より速くて、より安いんや。私みたいな個人の趣味人はどうするやろ?何百万ドルも本で稼ごうとしてるわけやないんや。ただ作品を出版したいだけやねん。
数千ドルも人間のアーティストに払うか、それともMidjourneyに20ドル払うか。これが、AIがすでに存在する分野での、めちゃくちゃデフレ圧力の例やな。
90倍くらい安くて、1万倍くらい速いんや。数週間かかるんじゃなくて数秒で済むからな。
だから、コストと時間に関して、何桁も変わるような変化が一部の商品やサービスで起こってるんや。でも、これは全てのものに当てはまるわけやないで。
最近私がやってるのは、人間の認知労働がボトルネックになってるところを第一原理から見つけることや。だって、全てがボトルネックになってるわけやないからな。
自動車製造を見てみ。車に使われるほとんどのものは機械で作られてるんや。巨大なプレス機や組立ラインとかな。人間の脳はそこではボトルネックになってへんのや。
だから、人工知能がどこで本当にデフレを引き起こすかを見るなら、純粋に情報的なもの、純粋にサービスベースのものを見なあかんのや。
例えば、カスタマーサービスとかな。法律の分野でも、人工知能を導入してる法務部門がようけあるから、法律サービスが安くなるかもしれへん。
デジタルエンターテイメントもそうや。ビデオゲームがめっちゃ安くなるかもしれへんし、映画や音楽もな。実際、YouTubeチャンネルやSpotifyのアーティストで、全ての音楽がAIで生成されてるのをいくつか聴いてるで。
ほとんど無料でデジタル商品をようけ作れる可能性が出てきたんや。
でも、これが経済の他の部分に直接影響するわけやないんや。だって、ものの重さを考えてみ。
重いものやエネルギーを多く使うものは、そのコストはあんまり変わらへんやろうな。少なくとも、例えば核融合を発明してエネルギーがめっちゃ安くなるまではな。
でも、木が育つのにはいつも時間がかかるし、船が海を渡るのにも時間がかかるし、列車が動くのにも時間がかかるんや。だから、他の制約やボトルネックはいつもあるんやで。
これが、どこでコストが下がるかを評価する時に使う一般的な原則やな。
もっと実用的で即時的なことに戻ると、家はめっちゃ高いよな。だって、材料がようけ要るからや。人工知能はそれを直接的には影響せえへんけど、家を建てられるロボットができたら、人間の労働力なしで家を建てられるから、家のコストを30〜50%下げられるかもしれへんのや。
だって、人間はめっちゃ遅くて、高くて、ミスもするからな。
そやから、長い話になったけど、AIとロボット工学の組み合わせに、他の下流のテクノロジー、例えば太陽光発電をもっと導入したり、核融合を実現したり、量子コンピューティングを実現したりすれば、経済の他の部分にも多くの波及効果があるかもしれへんのや。
まあ、これらはまだ起こってへんけどな。でも、もし起これば、そういう効果があるかもしれへん。
だから、一部のものは1000倍安くなるかもしれへんし、一部のものは20%安くなるかもしれへん。でも、これが今後見られるやろうパターンやな。
それについての私の理論の一つは、人間が実際に贅沢品になるかもしれへんってことやな。
例えば、レストランを想像してみ。人間の入力がほとんどないレストランができるかもしれへん。ロボットが作った食事をロボットが運んでくるようなな。
でも、「実は人間とのやりとりが好きなんや」って言う人もおるかもしれへん。魅力的なウェイターが独特の体験を作り出すみたいな。それはもっと高くなるかもしれへんな。
特別なものを提供できるんやったらな。他のこともそうかもしれへん。人間が他の人間を好むけど、それは贅沢な選択肢になるかもしれへん。
あんたもそう思う?
そうやな、「人間プレミアム」みたいなものに対する持続的な需要はあると思うわ。つまり、人間ベースのサービスを受ける特権のために余分に払う気がある人はおるやろうってことや。
それに、人々が常に人間を好むやろう仕事もようけあると思うわ。
例えば、神父さんとかな。宗教を信じてる人やったら、ロボットに説教してもらいたいと思うやろうか?たぶん違うよな。意味を人間からもらいたいと思うやろ。だから、神父さんや哲学者なんかはそうやな。
コーヒーショップに行ったとして、ただコーヒーが欲しいだけやったら、ロボットが出しても構わへんかもしれへん。でも、読書したりくつろいだりするためにええコーヒーショップに行くんやったら、かわいいバリスタに出してもらいたいと思うやろ。
高級レストランに行って、ソムリエがロボットやったら、ワインを買うやろうか?たぶん違うよな。他の人間と経験を共有したいと思うはずや。
ここで進化の話に戻るけど、我々は社会的な類人猿やからな。我々の脳や生物学、進化は、他の人間の体の言葉や表情を理解するようにできてるんや。実際、他の人間との良い交流から生化学的な報酬も得てるんや。
いつか遠い未来に、ロボットが人間と区別がつかないくらい良くなる可能性はあるかもしれへん。でも、それはまだSFの世界の話やな。
その間、例えば子どもを保育園に連れて行くことを想像してみ。保育園にロボットがおって手伝ってくれるとしても、そのロボットに子どもを触らせたいとは思わへんやろ。人間のやさしさや共感を持って子どもの面倒を見てほしいと思うはずや。
先生も同じやな。先生がロボットのアシスタントを使って宿題を配ったり採点したりするのはええかもしれへん。でも、先生にとって本当に大事なのは、ただ事実やスキルを教えることやないんや。コミュニケーションスキルを教えたり、子どもたちと感情的につながったりすることなんや。
だから、たとえ機械が仮説的により良くできたとしても、我々が人間やという事実だけで、人間にやってほしいと思うことがようけあるんや。
でも、もし10年後に全てのプログラマーが仕事を失うとしたら、仮定の話やけど、そしたら仕事を探してる人がようけおることになって、他のみんなの賃金も下がってまうやろうな。
たとえ他にもやるべき仕事があったとしても、労働力の供給過剰があると、その労働の価値を下げてまうんや。
だから、そういう仕事が常にあると思うけど、経済の主要な部分にはならへんやろうな。
あんたの昔のビデオのことを考えてたんやけど、ある時期、顔を出すのをやめて、もっとプロっぽい感じにしようとしたことがあったよな。
記憶が正しければ、みんなそれを好まへんかったんやないかな?みんなはあんたが話してるのを見たがってたんちゃうか。
実際、私も同じように感じたわ。「なんで顔を出さへんのやろ?」って思ってな。
これも、これからも続くであろう要因の一つやと思うんや。
時々、AIの声の方がええこともあるわ。彼らの英語は確実に私よりええしな。でも、人々はやっぱり人間らしさを好むみたいやな。
そのとおりや。これは「疑似社会的関係」って呼ばれるものの例やな。これは、インフルエンサーや公人の台頭とともに、もう見てるものやと思うわ。
あんたや私、ジョーダン・ピーターソンみたいな人たちもそうやな。我々には実際、対面で物理的な空間で交流することへのめっちゃ強い好みがあるんや。カメラやコンピューターの画面、マイクはそんなに自然やないけど、画面で誰かの顔を見るのはまだ十分ええんや。
あんたは基調講演者やって言うてたよな。じゃあ、ステージで直接話すのと、録画したものを見せるのとどう違うんやろ?同じ情報やのに、なんで直接ステージで話す方が価値があるんやろ?
練習する時間があって、洗練されたものになるかもしれへんのに、それでも直接ステージに立ってほしがるんや。そのために余分にお金を払うんやで。なんでやと思う?
これは我々の進化、生物学、神経学に戻るんや。我々の脳の働き方なんや。我々は価値の高い対面でのやりとりを好むんや。
だから、そういうことに対するプレミアムは常にあるやろうな。でも、みんながステージに立って話したいわけやないしな。それはめっちゃ特殊なスキルやで。私はまだそれをやったことないんや。