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サイモン・シネック | あなたの人生の次の50年のための50分

25,390 文字

ほな、あなたの輝きを見つけて、それを実現するために守れる5つの小さなルールを教えたろか。
まず1つ目は、自分の欲しいもんに向かって突き進むことや。ちょっと話をさせてもらうわ。
ある日、友達と一緒にセントラルパークでランニングしてたんや。週末になると、ロードランナーズ協会がレースを開催しとってな。レースが終わると、スポンサーがりんごとかベーグルとかを配るんがよくあるんやけど。
その日は、走り終わったらタダでベーグルがもらえるって言うてな。ピクニックテーブルが並んどって、片側にはボランティアの人たちがおって、テーブルの上にはベーグルの入った箱があって、もう片側には長い行列ができとったんや。
ほんで、友達に「ベーグルもらおうや」言うたら、友達が「いやぁ、行列長すぎるわ」言うてきよったんや。ほんで、「タダやで」言うたら、「行列に並びたくないわ」言うてな。「タダやで」言うても、「いやぁ、長すぎるわ」言うて。
そこで気づいたんや。世の中には2種類の人間がおるんやなぁって。欲しいもんしか見えへん人と、欲しいもんを手に入れるのを邪魔するもんしか見えへん人や。
ワイはベーグルしか見えへんかったけど、友達は行列しか見えへんかったんや。ほんで、ワイは行列に近づいて、2人の間に手を伸ばして、箱からベーグル2個取り出したんや。誰も怒らへんかったで。なぜかって、ルールは「欲しいもんは何でも手に入れてええけど、他人が欲しいもんを手に入れるのを邪魔したらアカン」ってことやからな。
確かに、選ぶ権利は諦めなあかんかったけど、行列に並ぶ必要もなかったわけや。
つまり、行列に並ぶ必要はないし、みんながやってきたようにする必要もないってことや。自分のやり方でやればええんや。ルールを破ってもええけど、他人が欲しいもんを手に入れるのを邪魔したらアカンってことや。これが1つ目のルールや。
2つ目のルールも好きなんやけどな。18世紀にヨーロッパで広まって、最終的にアメリカにも伝わったもんがあんねん。「産褥熱」っちゅうんやけど、「お産の黒死病」とも呼ばれとったんや。
要するに、女性が出産して、その48時間以内に亡くなってしまうってことが起こっとったんや。このお産の黒死病がヨーロッパを荒らしまくって、1世紀以上にわたってどんどん悪化していったんや。
病院によっては、出産した女性の70%も亡くなってしまうところもあったんや。でも、これはルネサンス時代やったんや。経験的なデータと科学の時代で、伝統や神秘主義なんかは捨て去られとった。これらは科学者や医者たちやったんや。
これらの医者や科学者たちは、このお産の黒死病の原因を調べようと研究を始めたんや。彼らは亡くなった女性の遺体を調べて、朝には解剖をして、午後には赤ちゃんを取り上げて回診を終えるっていう具合やった。
1800年代半ばになって、オリバー・ウェンデル・ホームズ博士(最高裁判事オリバー・ウェンデル・ホームズの父親)が、朝に解剖をしてる医者たちが、午後に赤ちゃんを取り上げる前に手を洗ってへんってことに気づいたんや。
彼はそのことを指摘して、「みんな、問題はあんたらや」言うたんやけど、みんなは30年も無視して、彼のことを狂っとるって言うたんや。
最終的に誰かが、手を洗うだけで問題が解決するって気づくまでな。そして、実際にそうなったんや。器具を消毒して手を洗うようになったら、お産の黒死病はなくなってしもたんや。
ここから学べる教訓は、時には自分が問題やってことやな。つまり、自分の行動に責任を持つってことや。
うまくいったことに対しては、好きなだけ功績を主張してもええけど、同時に失敗したことに対しても責任を取らなあかんってことや。バランスが取れてないとアカンのや。片方だけってわけにはいかへん。功績を主張するんやったら、責任も取らなあかんのや。これが2つ目の教訓や。
3つ目の教訓は、お互いのことを気遣うことや。アメリカ海軍特殊部隊(ネイビーシールズ)は、世界でも最高峰の戦士やと言えるやろな。
あるシールズ隊員に「選抜過程を通過して、シールズになれるのはどんな人間なんや」って聞かれたんや。彼はこう答えたんや。「シールズになれる人間のタイプは言えへんし、新兵訓練を乗り越えられる人間のタイプも言えへん。でも、シールズになれへん人間のタイプは言えるで」
彼は言うたんや。「筋肉もりもりで、タトゥーだらけで、世間に自分の強さを証明したがるような奴らは、誰一人として合格せえへん」って。
「責任を人に押し付けて、自分は何もせえへんようなリーダー気取りの奴らも、誰一人として合格せえへん」って。
「大学でスター選手やった奴らで、本当の意味で自分の内面を試されたことのない奴らも、誰一人として合格せえへん」って。
彼は言うたんや。「合格する奴らの中には、痩せこけた奴もおるし、ひょろっとした奴もおる」って。「合格する奴らの中には、恐怖で震えとる奴を見かけることもある」って。
でも、合格する奴ら全員に共通しとるのは、体力的にも精神的にも限界に達して、もう何も与えられへんって状況になったときに、どうやってか、なんとかして、自分の内側から力を絞り出して、隣にいる奴を助ける energy を見つけ出せる奴らやって。そういう奴らがシールズになるんや」って。
彼は言うたんや。「エリート戦士になりたいんやったら、自分がどれだけ強いかとか、頭がええかとか、速いかとか、そんなんは関係ない。エリート戦士になりたいんやったら、左にいる奴を助けるのと、右にいる奴を助けるのに、めっちゃ上手くならなあかんのや。それが、この世界で人が前に進む方法やからな」
世の中は危険すぎるし、難しすぎるから、一人でなんとかなると思うたらアカンのや。自分の輝きを見つけたら、それはええことや。でも、次は誰に助けを求めるんや?そして、助けを差し伸べられたときに、いつ受け入れるんや?
その技術を学ぶんや。お互いを助け合うことを実践して学ぶんや。人生で学べる中で、一番価値のあることになるで。助けが差し伸べられたときに受け入れることと、自分でできへんって分かったときに助けを求めることをな。
不思議なことに、助けを求めることを覚えたら、周りにはずっとあんたを助けたがっとる人がようけおるってことに気づくんや。ただ、あんたが全部コントロールできとるってふりをしとったから、みんな助けが必要やとは思わへんかったんやな。
でも、「分からへん」「行き詰まっとる」「怖い」「できる自信がない」って言うた瞬間に、あんたを愛しとる人たちがどっと押し寄せてきて、あんたの面倒を見てくれるんや。でも、それは最初に自分が他人の面倒を見ることを覚えたときにしか起こらへんのや。
これが4つ目の教訓や。ネルソン・マンデラは、リーダーシップの世界では特別な事例やな。なぜかって、世界中で偉大なリーダーとして認められとるからや。他の有名人やったら、国によって評価が分かれることもあるけど、ネルソン・マンデラは世界中で偉大なリーダーとして認められとるんや。
実は彼は部族の首長の息子やってん。ある日、「どうやって偉大なリーダーになることを学んだんや」って聞かれたんや。彼はこう答えたんや。父親と一緒に部族の会議に行ってたんやけど、2つのことを覚えとると。
1つは、父親が他の長老たちと会うときは、いつも輪になって座っとったこと。もう1つは、父親がいつも最後に発言しとったことや。
人生を通じて、「聞く力を身につけなあかん」って言われ続けるやろな。でも、ワイが言いたいのは、「最後に発言する力を身につけなあかん」ってことや。
毎週のように取締役会で見かけるんやけど、自分のことを良いリーダーやと思っとる人、実際にまあまあのリーダーかもしれへん人でも、部屋に入ってきて「問題はこれや。ワイはこう思うけど、みんなの意見も聞きたいな。順番に意見を聞こうか」って言うんや。でも、それじゃ遅いんや。
みんなが発言し終わるまで、自分の意見を抑えとく技術は2つのことをもたらすんや。
1つは、他の全員に「自分の意見が聞いてもらえた」って感じてもらえること。他の全員に「自分も貢献できた」って感じてもらえるんや。
2つ目は、自分の意見を言う前に、他の全員の考えを聞くことができるってメリットがあるんや。
本当の技術は、自分の意見を抑えとくことなんや。誰かの意見に賛成やったら、うなずいたりせんことや。誰かの意見に反対やったら、首を横に振ったりせんことや。
ただそこに座って、全部を吸収するんや。唯一許されることは、質問をすることやな。相手の言っとることの意味と、なぜそんな意見を持っとるのかを理解するためにな。
相手が何を言うとるかだけやなくて、どういう立場から話しとるのか、なぜそんな意見を持っとるのかを理解せなあかんのや。最後に、あんたの番が回ってくるで。
簡単そうに聞こえるかもしれへんけど、そうやないで。最後に発言する練習をするんや。ネルソン・マンデラはそうしとったんや。
5つ目は、ワイの一番のお気に入りや。これは本当にあった話や。
元国防次官補が、1000人ほど集まる大きな会議で講演を頼まれたんや。彼は舞台に立って、発泡スチロールのカップに入ったコーヒーを持ちながら、後ろにパワーポイントを映して準備した話をしとったんや。
コーヒーを一口飲んで、にっこり笑って、カップを見下ろした。そして、用意した原稿から外れて、こんなことを言い始めたんや。
「去年も、まったく同じ会議で話をさせてもらったんです。去年は、まだ次官補をしとった頃やったんですけどね。去年ここで話をしたとき、ビジネスクラスで飛行機に乗せてもらって、空港に着いたら、誰かが待っててホテルまで送ってくれたんです。
ホテルに着いたら、もうチェックインも済んどって、そのまま部屋まで案内してくれたんです。次の朝、ロビーに降りたら、また誰かが待っててくれて、この会場まで車で送ってくれたんです。裏口から入れてもらって、控室に案内されて、きれいな陶器のカップに入ったコーヒーを渡されたんです」
彼は続けて言うたんや。「もう次官補やないんです。今回はエコノミークラスで飛んできて、タクシーでホテルまで行って、自分でチェックインしました。今朝、ロビーに降りてきて、またタクシーでここまで来て、正面玄関から入って、自分で控室を探しました。誰かに『コーヒーありますか』って聞いたら、角のコーヒーマシンを指さされて、自分でこの発泡スチロールのカップにコーヒーを入れたんです」
彼はこう言うたんや。「教訓は、あの陶器のカップは、ワイのためやなかったってことです。ワイの地位のためやったんです。ワイが受けるべきは発泡スチロールのカップなんです」
これを覚えといてください。名声を得ても、財を成しても、地位が上がっても、先輩になっても、人はあなたをよりよく扱うようになります。ドアを開けてくれたり、頼んでもいないのにお茶やコーヒーを持ってきてくれたり、「さん」付けで呼んでくれたり、いろんなもんをくれたりします。
でも、そのどれも、あなた自身のためやないんです。それは、あなたの地位のためなんです。あなたが達成したリーダーのレベルや成功のためなんです。
でも、あなたにふさわしいのは、いつだって発泡スチロールのカップなんです。この謙虚さと感謝の教訓を忘れんといてください。無料のもんは全部もらってもええし、特典も全部楽しんでもええんです。でも、それらに感謝して、自分のためやないってことを分かっとかなあかんのです。
特典に値するのは、ワイらの誰一人としておらへんのです。ワイら全員、発泡スチロールのカップにふさわしいんです。
ワイは、自分の仕事に対する愛を失ってしまった時期があったんです。もう朝起きて仕事をする気が起こらんくなってしまったんです。もうダメやって感じやったんです。
誰でもストレスを経験するし、誰でもトラウマを経験します。今、メンタルヘルスは大きな、そして重要なトピックになっとります。誰かが「大丈夫や」って言うとるときは、嘘をついとるんやと思います。現代社会で、孤独な人間ほど危険なもんはありません。
ワイには、ワイと一緒に泥の中に座ってくれる人が必要なんです。ワイを直そうとしたり、ワイをきれいにしたり、タオルをくれたりする必要はありません。ただワイと一緒に泥の中に座ってくれるだけでええんです。泥の中に座っとるとき、一人やないって感じられるようにな。
友達が苦しんどるとき、ワイは「ゆっくりでええで」なんて言いません。友達が苦しんどるとき、ワイは「続けて」って言います。友達が泣いとるとき、ワイは「続けて」って言います。その裏にある
メッセージは、「ワイはここにおるで、一緒に泥の中に座っとるで」ってことなんです。それは、ワイの人生で最高の栄誉なんです。ワイはそのコードに従って生きとるんです。
ワイは、自分の仕事に対する愛を失ってしまった時期があったんです。表面的には、ワイの人生は良かったんです。自分の会社を持っとったし、すごいクライアントもおったし、すばらしい仕事もしとったんです。でも、もう朝起きて仕事をする気が起こらんくなってしまったんです。もうダメやって感じやったんです。
そして、すごく恥ずかしく感じたんです。「こんなええことしとるのに、こんなことができとるのに、落ち込んだり、仕事に行きたくないなんて思うべきやないやん」って思って。
そんで、そういうネガティブな感情を全部自分の中に押し込めてしまったんです。これは本当にアホなことです。そういう感情は、どんどん暗くなっていって、それ自体が悪化していくんです。
ネガティブな感情を自分の中に押し込めることの問題は、それが膨らんで大きくなっていくってことなんです。最終的には、本当に暗い場所に行き着いてしまったんです。
でも、ワイのエネルギーは全て、自分が実際に感じとる以上に幸せで、コントロールできとって、成功しとるようなふりをすることに使われとったんです。だから、誰も気づかへんかったんです。
ある日、本当に親しい友達が来て、「なんか変や。なんかおかしいんや。何かは分からへんけど、なんかがおかしい」って言うてくれたんです。
なぜかは分からへんけど、ワイはそのとき心を開いて、すべてを打ち明けたんです。それは浄化作用があったんです。肩の荷が下りたみたいな感じやったんです。
毎日嘘をついたり、隠したり、ふりをしたりすることに使っとったエネルギーが、今や新しいエネルギーに変わったんです。実際に解決策を見つけるための新たなエネルギーに変わったんです。
友達が「なんかおかしいで」って言うて、あなたが「いや、大丈夫や」って言うて、そしたら友達がそのまま放っておくのは、本当に難しいことやと思います。
あるいは、「なんかおかしい」って言うのが居心地悪くて、友達が言い出せへんこともあるかもしれません。ワイらは不快なことが嫌いやし、不快な思いをさせるのはもっと嫌やし、緊張感や喧嘩を引き起こすのも嫌やから、そのまま放っておくんです。
でも、本当に勇気のある友達、本当に本当にあなたを愛しとる友達は、その緊張感に飛び込んでいくんです。「あんたが何を言おうと関係ない。あんたが嘘をついとるのは分かっとる。あんたのことを死ぬほど愛しとるから、なんかおかしいのは分かっとる。あんたが教えてくれるまで聞き続けるで」って言うんです。
もっと重要なのは、「何があっても、ワイはあんたの味方や。あんたを愛しとる。あんたは安全や。何がどうなっとるかは分からへんし、どうでもええんや。ただ、ワイはあんたのパートナーやってことを分かっといて。あんたは決して一人やない」って言うてくれることです。
彼女は、ワイに「あんたは一人やないで」って言うてくれたんです。だから、彼女には、ワイの心を開かせる勇気があったんです。そしてワイは、その安全な空間に踏み込んだんです。
メンタルヘルスは今、大きな、そして重要なトピックになっとります。最近、誰かと話をしとって気づいたんですけど、ワイは実は「メンタルヘルス」っちゅう言葉が好きやないんです。
なんか、固定された目的地みたいに聞こえるんです。「健康」やないと、なんか問題があるみたいに聞こえるんです。だから、ちょっとでも違ったり、悲しかったりしたら、完璧やないってことになってしまう。それは正しくないと思うんです。
「メンタルヘルス」って呼ぶのは、不公平な基準やと思うんです。結局のところ、体のことを考えてみてください。ジムに行くとき、ワイらはそれを「フィットネス」って呼びます。
ジムでええ日もあれば、悪い日もあります。体の調子がめっちゃええ日があって、重いウェイトを持ち上げられる日もあれば、なぜか分からへんけど、十分な睡眠を取って、ええもん食べて、水分も取っとるのに、体がうまく動かへん日もあるんです。
ワイら全員、そういう経験があると思います。でも、そんなに気にせえへんです。「今日は調子悪いな」って思って、そのまま進むんです。そういうことが起こるのを許容するんです。
でも、ワイらのメンタルの調子については、同じように扱わへんのです。人間として、悲しみがあったり、喜びがあったり、疑いや不確実さや不安があったりするのは、100%メンタル的に健康なことなんです。それが人間であるってことなんです。
体が時々痛むのと同じで、体に何も問題がないのと同じなんです。だから、「メンタルヘルス」よりも「メンタルフィットネス」って呼ぶ方が好きなんです。
ワイはいつも、自分のメンタルフィットネスに取り組んどるんです。そして、暗い時期があることも許容しとるんです。だから、今あなたが「調子どう?」って聞いてくれたとき、ワイが今いる状態は、実はかなり孤独を感じとるんです。
コロナの時期に、それまで以上にメンタルフィットネスの管理の仕方を学びました。だって、たくさんのことに対処せなあかんかったからです。
それまでは、「孤独を感じとる」って言うのが恥ずかしかったんです。隠したり、抑え込んだりしてました。ネガティブな感情が嫌やったんです。
でも今は、そのまま受け入れとるんです。心配せえへんのです。ジムで調子の悪い日があるのを許容するのと同じように、それが自分の中を通り抜けていくのを許容しとるんです。
奇妙なことに、必ずしも楽しいわけやないのに、それを感謝しとるんです。なぜかって、それが自分を人間らしくしてくれるからです。自分が人間やってことを認識させてくれるんです。共感できるものなんです。
だから、今はこんな気分なんです。もっとオープンに、暗い場所にいることや、影の中にいることについて話せるようになったんです。なぜかって、それが自分を正常に感じさせてくれるからです。人間らしく感じさせてくれるんです。
それはメンタルフィットネスの一部なんです。調子の悪い日や週がなかったら、何を改善すればええか分からへんですよね。何が良いことかも分からへんし、幸せな日々をどう感謝すればええかも分からへんです。だから、今経験しとることに、奇妙な感謝の気持ちを感じとるんです。
人間は、自分で思っとる以上に強くないし、賢くもありません。でも、チームになったり、グループになったりすると、すごいんです。
だから、人生の問題を自分一人で解決しようとするのは、悪いニュースですが、できません。だからこそ、依存症が存在するんです。自分ではこの問題を解決できへん、このストレスを自分では乗り越えられへんから、酒を飲むんです。
あるいは、自分自身や家族や人間関係に害を与えるようなことをするんです。すべての依存症がそうです。携帯電話中毒であれ、アルコール中毒であれ、薬物中毒であれ、人間関係を壊し、自分自身を壊すんです。
あなたを愛する誰かが「大丈夫や、ワイがおるで。一緒にやっていこう」って言うてくれることには、すごい価値があるんです。あるいは、あなたが友達に電話をかけて「ワイ、困っとるみたいや。一人じゃできへんみたいや。助けてくれへんか」って言うことにも。
それは屈辱的かもしれませんが、おそらく人間が学べる中で最大の教訓なんです。「分からへん」「助けが必要や」って言えることです。
助けを求めることや「分からへん」って言うことに慣れるのは、おそらく、ワイらの周りにはワイらの面倒を見たがっとる人、助けたがっとる人がようけおるってことに気づくきっかけになるんです。
でも、彼らはそうしてくれへんのです。なぜかって、ワイらが助けを必要としとると思ってへんからです。ワイらが完璧で、すべての答えを持っとるようなふりをするのに忙しすぎて、彼らはただ何もせえへんかっただけなんです。でも、ワイらが助けを求めたら、彼らは助けてくれるんです。
人が孤独を感じとるって言うとき、それは何やと思うんです。ワイらは社会的な動物やから、仲間に入れてもらいたいと思うし、人に理解されたり、聞いてもらったり、分かってもらいたいと思うんです。
ワイの孤独の症状は、誤解されとる感じがしたり、人がワイのことを分かってくれへんって感じたり、もっと悪いのは、自分が誰やってことをうまく伝えられへんって感じることなんです。
ワイらは一人ではできへんのです。暗闇を見つけたとき、どう定義するにしても、あなたの暗闇を見つけたとき、あなたは一人やって感じるし、誰も助けてくれへんって感じるし、何もできへんって感じるし、コントロールを失ったって感じるんです。
そんなとき、ワイらの多くがまずすべきことは、友達に連絡して「困っとるんや」「助けが必要なんや」「孤独なんや」「落ち込んどるんや」「悲しいんや」って、どんな感情でもええから言うことなんです。
多くの人が最初にする間違いは、それを直そうとすることです。直すもんやないんです。ジムで調子悪い日があるのと同じで、直すもんは何もないんです。直すもんは何もないんです。
ワイには友達との間にルールがあるんです。そのルールは「一人で泣かない」ってことです。親しい友達は皆このルールを知っとって、守っとります。
世間的に有名な人から電話がかかってきて、「ちょっと時間ある?」って言われることがあるんです。「うん、どうしたん?」って言うと、「ちょっと泣きたいんや」って言うんです。
そしたらワイは「ほな、なんやねん?何があったん?」って聞くんです。そしたら相手は自分の心の中を話して、泣くんです。
これがワイのルールなんです。友達との間のルールは「一人で泣かない」ってことです。なぜかって、もし絶対的な挫折感や疲労感や何かで、もう抑えきれへんくらいになったら、ワイか誰かに電話して、誰かと一緒に泣いてほしいんです。
一人で泣くべきやないんです。だからワイは、こういう状況になったら、誰かに電話をして話すのがめっちゃ上手なんです。一人でこれを乗り越えたくないからです。
ワイの友達の中には、「どう感じとる?」「ああ、そうなんや」「それはめっちゃ frustrating やろうな」「うん、めっちゃ大変や」「もっと詳しく教えてくれへん?」「ああ、こんなことがあって、ああなってん」みたいに、スペースを作る技術を持っとる人もおります。
それだけでええんです。ワイには、誰かが一緒に泥の中に座ってくれることが必要なんです。ワイを直してほしいわけやないし、ワイをきれいにしてほしいわけやないし、タオルをくれる必要もないんです。
ただ、ワイと一緒に泥の中に座ってくれるだけでええんです。泥の中に座っとるとき、一人やないって感じられるようにな。
そして、ワイらの責任は、友達や愛する人や同僚のために、そういう技術を持つことやと思うんです。
ワイらは「聞くこと」を教えてへんし、「難しい会話」の仕方も教えてへんのです。今、メンタルヘルスについてこんなに多くの会話があるのは、もちろん一つには、コロナやロックダウンやソーシャルメディアみたいな狂ったことを経験したからです。
でも、本当は、メンタルヘルスについてこんなに大きな声で話されとるのは、ワイらが深くて意味のある関係を築く方法を知らへんってことを示しとるんやと思うんです。
それは、ワイらの現状に対する告発やと思うんです。友達のためにそこにいる技術を持ってへんだけやなく、それに対する反応として、友達を助ける方法を教えてもらうんやなくて、自分を助けるリソースを探そうとしとるんです。
ワイらは間違った方向に進んでいると思うんです。ワイはいつも「リーダーシップは先に行動することや」って言うとります。だからこそ、あなたをリーダーって呼ぶんです。
答えを持っとるってことやないし、正しいってことでもありません。ただ、未知の領域に最初に踏み出したってことです。ワイらは最初に行動するリスクを取ったんです。
だから、人間関係でも、一人が主導権を取れるんです。一人が先に行動して、どんな感じかを示すことができるんです。「今日は調子悪いんや。直してほしいわけやないんや。ワイが経験しとることは分かっとるんや。これら全部を話したいのは、あんたにワイと一緒にここにおってほしいからなんや。ワイもあんたと一緒にここにおりたいんや。だってこんな気分で一人でおりたくないからや」って言うことができるんです。
偉大なリーダーには2つのものが必要やと思うんです。共感力と視野の広さです。これらのことは、よく忘れられがちやと思います。
リーダーたちは、自分の地位や組織内での立場のことばっかり気にしとって、自分の本当の仕事を忘れとることが多いんです。リーダーの本当の仕事は、指揮を執ることやないんです。自分の責任下にある人たちの面倒を見ることなんです。
人々はこのことに気づいてへんし、このための訓練もしてへんと思うんです。ワイらが若手のとき、唯一の責任は自分の仕事をうまくこなすことだけです。それだけやったんです。
中には、もっと仕事がうまくなるために高度な教育を受ける人もおります。会計士とかそういうやつです。そして、出社して一生懸命働くんです。
会社は、ワイらの仕事のためにたくさんのトレーニングをしてくれます。ソフトウェアの使い方を教えてくれたり、会社のために何かをするトレーニングを受けさせたりします。
そして、ワイらがその仕事をうまくこなすことを期待するんです。ワイらはそうするんです。一生懸命働くんです。そして、仕事がうまくできたら昇進させてくれます。
ある時点で、以前自分がやっとった仕事をする人たちの責任者になるポジションに昇進するんです。でも、誰もそのやり方を教えてくれへんのです。
だからこそ、リーダーやなくてマネージャーが生まれるんです。マネージャーがワイらに細かく指示を出すのは、実際に自分たちの方がワイらよりも仕事をうまくできるからなんです。それで昇進したんですからね。
本当にワイらがせなあかんのは、移行期を経ることなんです。すぐに移行できる人もおれば、ゆっくり移行する人もおります。残念ながら、その移行を全くできへん人もおります。
ワイらがせなあかんのは、仕事に責任を負うことから、仕事に責任を負う人たちに責任を負う人間になる移行をすることなんです。
前にも言うたように、ワイらの会社のほとんどに欠けとる大きなことの一つは、リーダーシップの教え方を教えてへんってことなんです。
リーダーシップは、他のスキルと同じで、練習して学べるスキルなんです。それは筋肉みたいなもんで、毎日練習したら、うまくなって、強いリーダーになれます。練習をやめたら、弱いリーダーになります。
親になることと同じです。誰でも親になる能力はあります。でも、誰もが親になりたいわけやないし、誰もが親になるべきってわけでもありません。
リーダーシップも同じです。ワイら全員にリーダーになる能力はあります。でも、誰もがリーダーになるべきってわけやないし、誰もがリーダーになりたいわけでもありません。
なぜかって、それには大きな個人的な犠牲が伴うからです。覚えといてください。あなたは指揮を執るんやないんです。あなたの責任下にある人たちに責任を負うんです。
つまり、すべてがうまくいったら、すべての功績を他の人に譲らなあかんってことです。そして、すべてがうまくいかへんかったら、すべての責任を取らなあかんのです。
それはしんどいですよね。誰かに何かを教えるために遅くまで残るとか、何か本当に壊れたとき、何かがうまくいかへんかったとき、怒鳴ったり叫んだりして自分で引き受けるんやなくて、「もう一回やってみ」って言うとか、そういうことです。
プレッシャーは部下にかかるんやなくて、ワイらにかかるんです。結局のところ、偉大なリーダーは仕事に責任を負うんやなくて、仕事に責任を負う人たちに責任を負うんです。
結果にさえ責任を負うわけやないんです。CEOと話すのが好きなんですけど、「あなたの優先事項は何ですか?」って聞くと、みんな誇らしげに手を腰に当てて「ワイの優先事項は顧客です」って言うんです。
ワイは「本当に?あなた、15年も顧客と話してへんやん」って思うんです。この世界に顧客に責任を負うCEOなんておらへんのです。そんなことはありません。
彼らは顧客に責任を負う人たちに責任を負う人たちに責任を負うんです。
本当にあった話を教えましょう。数ヶ月前、ラスベガスのフォーシーズンズに泊まったんです。素晴らしいホテルでした。
素晴らしいホテルである理由は、豪華なベッドがあるからやないんです。豪華なベッドなら、どのホテルでも買えます。素晴らしい理由は、そこで働いとる人たちのおかげなんです。
フォーシーズンズで誰かのそばを通ると、その人が「こんにちは」って言うてくれるんですけど、本当に「こんにちは」って言いたくて言うてくれとるって感じがするんです。
誰かに「すべての顧客に挨拶せなあかん」って言われたから言うとるんやないって感じがするんです。彼らが本当に気にかけてくれとるって感じがするんです。
ロビーにコーヒースタンドがあって、ある午後、コーヒーを買いに行ったんです。ノアっていう名前のバリスタがおったんです。ノアは素晴らしかったです。フレンドリーで楽しくて、ワイと話をしてくれました。
コーヒーを買うのがめっちゃ楽しくて、たぶん100%のチップを渡したと思います。素晴らしかったです。
ワイの性格上、ノアに「仕事好き?」って聞いたんです。ノアは躊躇なく「仕事大好きです」って答えたんです。
そこで、ワイは「フォーシーズンズが何をしとるから、『仕事大好きです』って言えるんや?」って聞いたんです。
ノアは躊躇なく答えたんです。「一日中、マネージャーたちが通りかかって、調子はどうか、仕事をするのに何か必要なものはないかって聞いてくれるんです」って。
「ワイのマネージャーだけやなくて、どのマネージャーでも」って言うたんです。
そして、ノアは魔法の言葉を言うたんです。「ワイはシーザーズパレスでも働いとるんです。シーザーズパレスでは、マネージャーたちは、ワイらが全部正しくやっとるかどうかを確認しようとするんです。ワイらが間違ったことをしとるのを見つけようとするんです」
「そこで働くときは、目立たんようにして、給料をもらうためにその日を乗り切ろうとするんです」
「でも、ここフォーシーズンズでは、ワイらしくおれるんです」
全く同じ人間やのに、顧客から見たら全然違う経験になるんです。
だからワイら、リーダーの立場にある者は、いつも部下を批判しとるんです。「正しい人材をチームに入れなあかん」「ワイのチームは間違っとる」「正しい人材を見つけなあかん」って言うとるんです。
でも、実際は人やないんです。リーダーシップなんです。正しい環境を作れば、フォーシーズンズのノアみたいな人が現れるんです。間違った環境を作れば、シーザーズパレスのノアみたいな人が現れるんです。
人やないんです。なのに、ワイらはすぐに人を雇ったり解雇したりしようとするんです。子供を雇ったり解雇したりはできへんでしょ。子供が苦労しとるからって、「学校でCを取ったから、養子に出すわ」なんて言わへんでしょ。
じゃあ、なぜ仕事で誰かのパフォーマンスに問題があるとき、ワイらの本能は「あんた、クビや」って言うことなんでしょうか。
ワイらは共感を実践してへんのです。共感ってどんなもんか、こんな例を考えてみてください。
これは、ワイらのビジネス界では普通のことです。誰かのオフィスに入っていって、「あんたの数字、3四半期連続で下がっとるで。数字上げんと、あんたの将来、保証できへんで」って言うんです。
次の日、その人がどれだけやる気を持って仕事に来られると思います?
これが共感です。誰かのオフィスに入っていって、「あんたの数字、3四半期連続で下がっとるで。大丈夫?心配しとるんや。何かあったん?」って言うんです。
ワイら全員、パフォーマンスの問題を抱えることがあります。誰かの子供が病気かもしれへん。結婚生活に問題があるかもしれへん。親のどちらかが死にかけとるかもしれへん。
その人の人生で何が起こっとるか、ワイらには分からへんのです。もちろん、それは仕事のパフォーマンスに影響するでしょう。
共感とは、その人の生産性だけやなく、人間そのものを気にかけることなんです。
なぜか分からへんけど、ここ20年、30年の間に、ワイらの仕事の世界は変わってしもたんです。80年代、90年代の経営理論の副作用に苦しんどるんです。それは人にとって悪いし、ビジネスにとっても悪いんです。
例を挙げましょう。「株主至上主義」っちゅう概念は、1970年代後半に提案された理論です。80年代、90年代に普及して、今では標準になってしもたんです。
どの上場企業に聞いても、「あなたの優先事項は何ですか?」って聞いたら、「株主価値の最大化です」って答えるでしょう。
本当にそうなん?それって、コーチがプレイヤーのニーズよりもファンのニーズを優先するようなもんやで。そんなモデルでどうやって勝てるチームを作るんや?
でも、今ではそれが普通になってしもて、壊れとるとか、間違っとるとか、時代遅れやとか思わへんのです。
80年代、90年代は好景気の時代で、比較的平和で、もっと穏やかな冷戦の時代でした。もう誰も学校で机の下に隠れる練習なんかせえへんかったんです。
もうそんな時代やないんです。もう好景気の時代やないし、平和な時代でもありません。そんなモデルは今の時代には通用せえんのです。
もう一つの例を挙げましょう。大量解雇です。誰かの生活の糧を奪って収支のバランスを取るっちゅうことです。今のアメリカではそれが当たり前になってしもて、どれだけ壊れとるか、どれだけダメージを与えとるか、人間にもビジネスにも分からへんのです。
企業は信頼と協力を築きたいって言うとるのに、解雇を発表するんです。信頼と協力を一日で破壊する一番の方法、知っとります?まさに人を解雇することです。みんな怖くなるんです。
家に帰って「ハニー、もう家族を養えへんかもしれへん。会社が今年の勝手な予測を達成できへんかったからや」って言うのを想像できます?
仕事を失った人のことを考えてください。仕事を失わへんかった人のことを考えてください。なぜかって、企業が下す決定の一つ一つが、一種のコミュニケーションなんです。
企業は他の全員にこう伝えとるんです。「これは実力主義やない。あんたがどれだけ頑張ったか、どれだけ長く働いたかは関係ない。ワイらが予測を達成できへんかって、あんたがたまたま表計算ソフトの悪い方に入ってしもたら、雇用は保証できへん」って。
つまり、ワイらは毎日怖がりながら仕事に来とるんです。そして、ワイらの若い世代に、こんな環境で働けって言うとるんです。
ワイらの誰が立ち上がって「ワイ、間違いを犯してしもた」って認めるでしょうか。
ワイらはずっと「脆弱になる必要がある」「リーダーは脆弱になる」って言われ続けとるんです。それって一体どういう意味なんでしょうか。
泣きながら歩き回るってことやありません。脆弱になるっちゅうのは、誰かが手を挙げて「ワイ、何しとるか分からへん。仕事を任されたけど、そのトレーニングを受けてへん。助けが必要や」って言えるような環境を作ることなんです。
「ワイ、間違いを犯してしもた。何かをめちゃくちゃにしてしもた。怖いんや。心配なんや」
こういうことを、会社の中で誰も認めようとせえへんのです。なぜかって、次のリストラのときに、自分の首に矢印が付いてしまうからです。
だから、ワイらはそれを自分の中に押し込めるんです。会社がうまくいくわけがありません。誰も間違いを認めようとせえへん、怖がっとる、何をしとるか分からへんって言おうとせえへんのに。
ワイらは文字通り、毎日みんなが来て嘘をつき、隠し、偽るような文化を作ってしもたんです。
そして、ワイらの若い世代に、こんな環境で働いて、成功して、自分を見つけて、自信を築いて、テクノロジーへの依存を克服して、職場で強い人間関係を築けって言うとるんです。
ワイらは彼らにこれをせえって言うとるんです。「あんたらは未来のリーダーや」って。ワイらが今のリーダーです。ワイらがコントロールしとるんです。ワイらは今、何をしとるんでしょうか。
これが共感の意味するところです。
若者の間で鬱、不安、自殺が増えとることは、ほとんどの人が認めると思います。統計を見ると、本当に警告を発しとるレベルです。
つまり、一つの世代全体が、前の世代より自尊心が低い状態で育っとるんです。
もう一つの問題は、それに加えて、ワイらはFacebookやInstagramの世界で育っとるってことです。
つまり、ワイらは物事にフィルターをかけるのが上手なんです。ワイらは、自分が鬱やのに、人生が素晴らしいって見せるのが上手なんです。
ワイらの承認は今や、いいね!の数、フォロワーの数から来とるんです。
あなたには依存症があるんです。そして、すべての依存症と同じように、時間とともに人間関係を壊し、時間とお金を奪い、あなたの人生をより悪くしていくでしょう。
依存症の問題は、依存症の人は自分がしとることが体に悪いってことを知っとるってことです。
アルコール依存症の人の中には、自分がしとることが体に悪いって分かっとる人がようけおります。でも、彼らは依存症なんです。だからこそ、やめられへんのです。
ワイらの多くは、自分がしとることが体に悪いってことを認められると思います。そして、それが依存症的やってことも認められると思います。ワイらは依存してしまっとるかもしれません。
問題は、テクノロジーからワイらが得とる利益に、どんなコストがかかっとるかってことです。なぜかって、ワイらが得るものすべてには、必ずコストがかかるからです。タダのもんなんて何もありません。
ソーシャルメディアや携帯電話を使うと、ドーパミンっちゅう化学物質が放出されることが分かっとります。だからこそ、メッセージをもらうとええ気分になるんです。
ワイら全員、ちょっと気分が落ち込んどるとき、ちょっと孤独を感じとるとき、10人の友達に「やあ」「やあ」「やあ」「やあ」って10個のメッセージを送ったことがあると思います。返事が来るとええ気分になるからです。
だからこそ、ワイらはいいね!の数を数えるんです。だからこそ、ワイらは10回も戻って、自分のInstagramの伸びが遅くなってへんかチェックするんです。「ワイ、何か間違ったことしたんかな?もう好かれてへんのかな?」って。
若い子が友達から外されるのがトラウマになるのは、ワイらがそれを手に入れたときにドーパミンが出て、ええ気分になるからです。だからワイらはそれが好きなんです。だからワイらは何度も何度も戻っていくんです。
ドーパミンは、ワイらがタバコを吸うとき、お酒を飲むとき、ギャンブルをするときに、ええ気分にさせるのと全く同じ化学物質なんです。
つまり、めっちゃ依存性が高いんです。
ワイらには、タバコ、ギャンブル、アルコールに年齢制限があります。でも、ソーシャルメディアや携帯電話には年齢制限がありません。
これは、酒棚を開けて、10代の子らに「ほな、この思春期って難しい時期、うまくいかんかったら、これ飲んだらええで」って言うてるようなもんです。
基本的に、それが起こっとるんです。ストレスの多い思春期を過ごしとる若い世代全体が、ソーシャルメディアや携帯電話を通じて、依存性のある麻痺させる化学物質、ドーパミンにアクセスできる状態になっとるんです。
なぜこれが重要なんでしょうか。ほとんどすべてのアルコール依存症の人は、10代のときにアルコールを発見したんです。
ワイらがめっちゃ若いとき、必要な承認は親からの承認だけです。でも、思春期を迎えると、今度は友達からの承認が必要になるんです。
親にとってはめっちゃ frustrating なことですが、ワイらにとってはめっちゃ重要なんです。それによって、ワイらは直接の家族以外の、もっと広い集団に適応できるようになるんです。
これは、ワイらの人生の中でめっちゃストレスが多くて不安な時期なんです。そして、友達を頼りにすることを学ぶはずなんです。
ところが、偶然にもアルコールを発見して、思春期のストレスや不安に対処するのに、ドーパミンの麻痺効果を利用する人がおるんです。
残念ながら、それが脳に刷り込まれてしまって、その後の人生で大きなストレスを感じたときに、人に頼るんやなくて、お酒に頼るようになってしまうんです。
社会的なストレス、経済的なストレス、仕事のストレス、これらがアルコール依存症の人が飲む主な理由です。
今起こっとることは、ワイらがこのドーパミンを生み出す機器やメディアに無制限にアクセスさせとるから、それが脳に刷り込まれてしもとるんです。
ワイらが見とるのは、子供らが大人になるにつれて、深くて意味のある関係を築く方法を知らへんってことです。彼ら自身の言葉を借りると、多くの友情が表面的やって認めとります。
友達を頼りにしとるって言うけど、実際には友達を頼りにしてへんって認めとります。友達と楽しく過ごすけど、もっとええことが起こったら友達に断られるってことも知っとります。
深くて意味のある関係がないんです。なぜかって、そのスキルを練習したことがないからです。
もっと悪いことに、ストレスに対処する方法を持ってへんのです。だから、人生で大きなストレスが現れ始めたとき、人に頼るんやなくて、機器に頼るんです。
ソーシャルメディアに頼るんです。一時的な安らぎを与えてくれるもんに頼るんです。
科学は明確です。Facebookに長時間費やす人は、あまり時間を費やさない人よりも鬱の割合が高いってことが分かっとります。
これらのことはバランスが大事なんです。アルコールが悪いわけやありません。飲みすぎるアルコールが悪いんです。
ギャンブルは楽しいです。やりすぎるギャンブルは危険です。
ソーシャルメディアや携帯電話に問題があるわけやありません。問題なのは、バランスを欠いとることなんです。
友達と食事してて、そこにおらん誰かにメッセージを送っとるとしたら、それは問題です。それは依存症です。
聞くべき人や話すべき人がおる会議で、あなたが携帯電話をテーブルの上に置いとるとしたら、表向きやろうが裏向きやろうが関係ありません。
それは部屋にいる人たちに、無意識のうちに「あんたらはそれほど重要やない」っちゅうメッセージを送っとるんです。
それが起こっとるんです。あなたがそれを手放せへんのは、依存してしもとるからなんです。
朝起きて、彼氏や彼女や配偶者におはようって言う前に携帯をチェックしとるとしたら、あなたには依存症があるんです。
そして、すべての依存症と同じように、時間とともに人間関係を壊し、時間とお金を奪い、あなたの人生をより悪くしていくでしょう。
だから、自尊心が低い世代が育っとるんです。ストレスに対処する方法を持ってへん世代が。
そこに、即座の満足感っちゅう感覚が加わるんです。
彼らは、すべてが即座に満たされる世界で育ってきたんです。何か買いたいと思ったら、Amazonに行けば翌日には届きます。
映画を見たいと思ったら、ログインして映画を見ます。映画の時間を調べる必要もありません。
テレビ番組を見たいと思ったら、一気見します。毎週毎週待つ必要もありません。
シーズンの最後に一気見するために、シーズンをスキップする人もおるって知っとります。
instant gratification、つまり即座の満足感です。欲しいものは何でも、すぐに手に入れられます。
ただし、仕事の満足感や人間関係の強さは除きます。それらにはアプリがありません。
それらは、ゆっくりとした、曲がりくねった、居心地の悪い、めちゃくちゃな過程なんです。
だから、この若い世代が学ぶ必要があるのは、忍耐力なんです。
愛とか、仕事のやりがいとか、人生の喜びとか、自信とか、スキルセットとか、こういった本当に大切なことは、時間がかかるんです。
一部分は早めることもできるかもしれません。でも、全体的な旅は苦労が多くて、長くて、難しいんです。
助けを求めへんかったり、そのスキルセットを学ばへんかったりしたら、山から転げ落ちてしまうか、最悪の場合は...既に見え始めとるんです。
この世代で、薬物の過剰摂取による事故死が増えとるのを見とります。
鬱のせいで学校を中退したり、休学したりする子供らがどんどん増えとるのを見とります。前代未聞のことです。
これはめっちゃ悪い状況です。これらは全部悪いケースです。
一番ましなシナリオでも、人口全体が育って、人生を歩んでいくけど、本当の喜びを見つけられへんってことになります。
仕事や人生で、深い、深い充実感を見つけられへんのです。ただ「ふつう」って感じるだけです。
「仕事どう?」「ふつうやで、昨日と同じや」「人間関係は?」「ふつうやで」みたいな。
これが一番ましなシナリオなんです。
これが4つ目のポイント、環境につながるんです。
ワイらは、この素晴らしい若者たちのグループを...ただ悪い手札を配られただけの、彼らに何の落ち度もない若者たちを...
デジタルの世界の課題を乗り越えて、もっとバランスを取ることを助けてくれへん企業環境に放り込んどるんです。
即座の満足感への欲求を克服するのを助けてくれへんし、長期間にわたって一つのことに一生懸命取り組むことから得られる喜びや影響や充実感を教えてくれへん環境に。
1ヶ月や1年ではできへんことを。
会議室に携帯電話を持ち込むべきやありません。一切です。ゼロです。
外に置いて、メッセージを待つみたいなんやなくて、会議が始まるのを待っとるときに、みんながこうするみたいなんでもありません。
会議が始まるのを待って、「ほな、会議始めましょう」って感じで始めるんやないんです。それじゃあ人間関係は築けません。
覚えといてください。ワイらが話したように、ちっちゃなことが大事なんです。人間関係はこうやって築かれるんです。
会議が始まるのを待っとるとき、こんな感じで話すんです。「お父さんの具合どう?入院しとったって聞いたけど」「ああ、ありがとう。実はもう家に帰ってきとるんや」「それはよかったわ。めっちゃ怖かったやろうに」
これが人間関係を築く方法なんです。
「あのレポート、できた?」「あー、まだなんや。ごめん」「手伝おうか?全然できるで」「ほんま?」
これが信頼を築く方法なんです。信頼は、ある日のイベントで突然築かれるもんやありません。
悪い時代でさえ、信頼はすぐには築かれません。ゆっくりと、着実に、一貫性を持って築かれるんです。
ワイらは、そういうちっちゃな、何気ないやりとりが起こる仕組みを作らなあかんのです。
友達と食事に行くとき、ワイは友達とこんなことをします。一緒に食事に行くとき、携帯電話を家に置いていくんです。
誰に電話するんですか?もしかしたら、ワイらの誰かが1台携帯を持っていって、Uberを呼ぶ必要があるかもしれません。1台だけ持っていくんです。
アルコール依存症の人が、家からアルコールを取り除く理由と同じです。ワイらは、自分の意志の力を信じられへんからです。
ただ単純に、そんなに強くないんです。でも、誘惑を取り除いたら、実際にずっと楽になるんです。
だから、「携帯見んといて」って言うだけやと、みんな文字通りこんな感じになります。でも、携帯を持ってへんかったら、ただ世界を楽しむだけです。
そこでアイデアが生まれるんです。常に、常に、常にやりとりしとる状態では、革新やアイデアは生まれません。
アイデアは、ワイらの心がさまよって、何かを見て、「あれ、あんなことできるんちゃうか」って思うときに生まれるんです。それが革新っちゅうもんです。
でも、ワイらはそういうちっちゃな瞬間をすべて奪ってしもとるんです。
ワイらの誰も、ベッドの横で携帯電話を充電すべきやありません。リビングルームで充電すべきです。
誘惑を取り除くんです。夜中に目が覚めて眠れへんかったら、携帯をチェックしてしまって、それが状況を悪化させます。
でも、リビングにあったら、落ち着いて、大丈夫です。
「でも、目覚まし時計として使っとるんや」って?目覚まし時計を買いましょう。8ドルで買えます。
だから、ワイらはこれらの要因を無視できへんと思うんです。その一つが、もちろんソーシャルメディアと携帯電話のアンバランスな使用です。
ワイはそれに反対しとるわけやありません。量が問題なんです。
友達と食事に行って、1時間半の間、携帯をフライトモードにして、ただ友達と一緒にいられへんっちゅうのが問題なんです。
じゃあ、このアンバランスとどう戦えばええんでしょうか。
あなたは、自分がその場にいるって言うたからといって、その場にいるわけやありません。他の誰かがあなたがその場にいると言うたときに、初めてあなたはその場にいるんです。
例えば、ワイらが瞑想をする理由は、落ち着きや静けさや集中力みたいなものを学ぶからです。
瞑想するとき、何か考えが浮かんでも、その考えにラベルを付けて、脇に置いといて、後で対処することを学びます。
だから、友達と一緒にいて、友達が話しとるとき、あなたは次に何を言おうかって考えへんのです。
自分の考えは脇に置いといて、友達が言うとることに完全に耳を傾けるんです。友達のことだけに集中するんです。
友達が会話の最後に「聞いてくれてありがとう。聞いてもらえたって感じたわ」「ここにいてくれてありがとう」って言うてくれるまで、あなたはその場にいるとは言えへんのです。
ワイらは、ワイらがそのままの姿なんです。言うたように、ワイらは若いときの経験によって、かなり若い年齢で完全に形作られるんです。
そして今、人生が与えてくれる機会は、ワイら本来の姿とバランスを保つ決断をするか、そうでないかっちゅうことです。
ワイは、ワイらのほとんどが不快感を感じたり、自分らしくないって感じたり、自分が誰かわからんくなったりするのは、ワイらの本当の原因、つまりワイらの「なぜ」と一致しない決断をしとるからやと思うんです。
ワイらは、自分の決断の影響から距離を置く方法を探します。「出世するためにはそうせなあかんのや」「上司がそう望んどるんや」「みんなそうしとるんや」「システムがそうなっとるんや」「ワイには選択肢がないんや」みたいなことを言います。
これらは、ワイらが自分の責任から切り離す方法なんです。
あなたは、個人のアスリートがチャンピオンになって、その後鬱になるケースを挙げました。これはよくある話です。
オリンピック選手からもこういう話を聞きます。マイケル・フェルプスが史上最多のメダリストになって、すぐに鬱になりました。
アンドレ・アガシが史上最高のテニス選手の一人になって、すぐに鬱になりました。
ワイがこういうアスリートたち、特にアスリートたちと話して学んだことですが、ビジネスの世界でも同じことが起こっとると思うんです。
それは、かなり若いときから、ワイが言うところの、かなり利己的な目標を設定するんです。「Xで一番になりたい」「最高のテニス選手になりたい」「最高のゴルファーになりたい」「何でもええから最高になりたい」っちゅう感じです。
オリンピック選手の言い方で、ワイが面白いと思うのは「オリンピックで勝ちたい」っちゅうやつです。まあ、オリンピック全体で勝つ人なんておらへんですよね。自分の競技で勝者になることはできますけど。
そして、かなり若いときから、彼らの人生のすべての決断が、この限られた目標を前進させるためのものになるんです。
彼らのすべての人間関係が「あなたは、ワイの目標達成を助けてくれるか?」っちゅうものになります。
そして「もうあなたがワイの目標達成を助けられへんなら、もうあなたは必要ない」っちゅう感じになります。コーチでも、友達でもです。
誕生日を逃したり、クリスマスを逃したり、人生の大きな出来事を逃したりするような、大きな犠牲を払うんです。練習せなあかんからです。自分の目標を達成するためにね。
そして、ニュースやオリンピックでインタビューを受けたりすると、「なぜこれをしとるんですか?」って聞かれて、「小さな子供たちに刺激を与えるためにやっとるんです」って答えるんです。
でも、それは完全な嘘です。若いころの vision board を見てみたら、表彰台や金メダルや金や高級車の写真はあっても、自分がやっとることの対象になる小さな子供の写真は一枚もないんです。
もちろん、子供たちに刺激を与えることはできます。でも、それがあなたがやった理由やないんです。それはただの副産物みたいなもんです。
そして、この目標を達成しても、達成できへんでも、もうそのために競争できへんくなったとき、彼らは自分の全人生を、すべての人間関係を、この一つの限られた利己的な目標のために設定してきたってことに気づくんです。
だから、それが終わったとき、周りに本当の友達があんまりいないってことに気づくんです。
本当に親密な人間関係もあんまりないし、目的意識すらないんです。なぜかって、過去20年くらい、一つの目的、つまりこの限られた目標のために生きてきて、それがもう尽きてしもたからです。
ブロードウェイの俳優にも同じことが起こります。ウエストエンドやブロードウェイに立つことを人生の目標にして、すべてのクラス、すべてのタップダンスのクラス、すべての歌のクラスをそのために受けるんです。
そして、やっと目標を達成して、そこにたどり着くんです。そしたら、鬱になったり、少なくともやる気をなくしたりするんです。
上級幹部も同じです。「100万ドル稼げたら」「ミリオネアになったら、そしたら気分がよくなる」みたいな。
でも、これらすべての問題は、さっき言うたように、利己的やってことです。
それはあなたの目標で、あなたの理由のためです。それは、どんな社会的な動物にとっても、どんな人間にとっても、満たされるもんやありません。
ワイらの喜びや充実感や愛や目的意識は、他の人のために尽くす能力から来るんです。
子供を持ってみてください。人生がどう変わるか教えてください。恋に落ちてみてください。人生がどう変わるか教えてください。
愛のためにワイらがした、バカげたこと、非合理的なことを考えてみてください。
「愛してる」って言うためだけに、飛行機に乗って世界中を旅するんです。バカげたことをするんです。そして、それら全部が価値あることに感じるんです。
子供のためにする犠牲も、すべて価値があるように感じるんです。
でも、これらはもはやワイらのためやないんです。これらは、ワイらの人生を超えて生き続けるもんなんです。限られたもんやないんです。無限のもんなんです。
個人的な達成に何も問題はありません。目標を設定することに何も問題はありません。
でも、それはもっと大きなものの文脈の中になければいけません。そして、人生を一つの出来事としてやなく、連続したものとして見ることの方が、ずっと健康的です。
ワイは「自己啓発」っちゅう言葉があんまり好きやないんですけど、自覚、自己認識っちゅう考え方は好きです。
ワイら全員、blind spots(見えない部分)を持って生きとります。ワイら全員、情報の欠落や隙間を持って生きとります。
それは、ワイらの人生の残りの期間ずっと続くでしょう。
そして、その隙間を埋めへんまま生きることを選ぶ人もおります。そういう人らは停滞したままで、精神的にも肳体的にも不健康になっていくって言えるでしょう。年を取るにつれて、どんどん不健康になっていくんです。
自分のより良いバージョンに、より自覚のあるバージョンになりたい人にとっては、情報を求めていくんです。
それはいろんな形で来ます。人間関係かもしれません。
例えば、ワイは「聞く」クラスを受けに行きました。ある人とデートしとって、その人にワイが「聞くのが下手や」って言われたんです。
ワイは「ワイの仕事、知っとる?ワイ、めっちゃ聞くのうまいんやで。何言うとるか分からへん」って思いました。
でも、そのクラスを受けてみたら、ワイは二度と会うことのない人の話を聞くのはめっちゃ上手いけど、友達や家族の話を聞くのはめっちゃ下手やってことが分かったんです。
ワイには基本的なスキルセットがあったんですけど、一番近い人たちには全然適用してへんかったんです。
「ワイは聞き方を知っとる」っちゅうことを言い訳にしとったんです。
これは blind spot やったんです。これは隙間やったんです。
そして、ワイを愛する人が言うてくれても信じへんかったんです。この客観的な外部の人、少なくともこのクラスを受けて、この気づきを得るまでは。
それは素晴らしい気づきでした。blind spot に気づいて、より良い兄弟、息子、彼氏、友達になるために必要なスキルに気づいたんです。
誰かのためにスペースを作る方法を学ばなあかんかったんです。そして、それを実践せなあかんかったんです。
これが自覚です。残念ながら、聞き下手なことに気づくのに別れを待つ人もおります。
不健康な食生活に気づくのに心臓発作を待つ人もおります。これが自覚です。顔面蹴られて初めて自覚するんです。
ワイは、他人の人生に価値を与えたいと思うすべての人間の責任は、自分が世界でどう振る舞うか、世界が自分にどう影響を与えるかについて、自覚を求めることやと思うんです。
自分のメンタルヘルス、肳体的な健康、人間関係を維持し、育む能力について。
他人の人生により良く現れたいと思う人にとって、ワイは健康であることは他人へのサービスやと考えとります。
でも、ワイらは何十年もの間、ワイらの動物としての社会性を無視してきたんです。
そして、ソーシャルメディアや携帯電話、そういったテクノロジーの遍在性が、人間らしくある能力を複雑にしてしもたんです。
ワイは気づき始めました。ワイらはここで混乱しとるんです。
ワイらは、自分がその場にいるかどうかを決める権利はないんです。その場にいる練習をする権利はあります。
だから、瞑想を実践したことのある人なら誰でも分かると思うんですけど、間違いなくワイらに利益をもたらすんです。
それは重要なメンタルヘルスと肳体的な健康の利益です。そして、ワイらはそれを実践すべきです。間違いなく。
でも、ワイが思うに主な理由、他の人が二次的と考えるかもしれない理由もあるんです。
例えば、瞑想を実践すると、一つのことに集中することを学びます。
あなたのマントラ、音、呼吸、何でもええです。一つのことに集中することを学ぶんです。
何も考えへんのやなくて、一つのことを考えるんです。一つのことに集中するんです。
そして、何かがそれを妨げても、「洗濯機つけっぱなしやったかな」みたいな考えが浮かんでも、それを「考え」ってラベル付けして、頭の外に押し出すんです。
「後で対処しよう」って言うんです。それが全体的な考え方です。完全な集中と、自分の考えを頭の外に押し出して、この一つのことに集中し続ける能力です。
さて、つらい時期を過ごしとる友達の話を聞いとるときのことを考えてみてください。
あなたは聞いとるんですか?それとも、自分が話す番を待っとるだけですか?
あなたがずっとやってきた瞑想の練習が、今このときに生きてくるんです。
友達が言うとることに完全に集中できるんです。
外の車のタイヤの音とか、周りで話しとる人の声とか、あらゆる気が散るようなものが聞こえへんようになるんです。
友達が言うとることだけが聞こえるんです。友達が言うとることに完全に集中するんです。
そして、自分のアドバイスを与えたいとか、友達に言いたいことがあるとか、「ああ、ワイも同じことがあったわ」みたいな自分の考えが浮かんでも、「今はそれは重要やない」って言うて、頭の外に押し出して、後で対処するんです。
そして、その会話の最後に、友達が「ありがとう。聞いてもらえたって感じたわ」「ここにいてくれてありがとう」「スペースを作ってくれてありがとう」「聞いてくれてありがとう」って言うてくれるんです。
これらはすべて、おめでとう、あなたは他人のためにその場にいたってことを示すんです。
ワイは、ワイらの人生に目的を与えるのは、毎朝起きて瞑想を学んで、自分自身のためにその場にいられるようになることやないと思うんです。それも価値あることですけどね。
ワイらの人生に目的を与えるのは、他人のためにこれらのことをすることなんです。
自分自身のためにこれらのことをして、その恩恵を楽しむことに何も問題はありません。どうぞそうしてください。
でも、人生や仕事に対する深い意味や目的意識は、これらのことが主に他人のためであり、自分の利益は二次的なものであるときにのみ生まれるんです。
そこから、ビジネスや人間関係、友情の喜びや愛が生まれるんです。
これらすべてには大きな皮肉があります。他人のために犠牲を払うことが、ワイらにできる最も美しいことなんです。
それが愛の本質なんです。他人のために犠牲を払うことです。
より良いコミュニケーターになること、マインドフルネスや瞑想を学ぶこと、体型を維持すること、これらすべてのことを他人のために活かせるなら、これらすべてのことがより高い目的を持つようになるんです。


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