見出し画像

マーク・アンドリーセンのように書く: 私の書き方ポッドキャスト

34,636 文字

物事を書き記す人には、とてつもない力があるんや。なんでハイパーリンクが青いかって? ワシが青が好きやからや。あんたはある意味ミームの帝王やな。ちょっとイライラしとる時の方が、あんたは一番ええ感じになるんやで。おもろいことに、ニーチェを120年前からTwitterに連れてきたら、おそらく史上最高のツイッター使いになるやろうな。少なくとも100万人のフォロワーは付くやろ。
せやな、まさにそのとおりや。歴史上、何度も繰り返し現れるメディアの基本単位みたいなもんがあるんや。そのことについて教えてくれへんか。1、2年以内に、文章を入力したら短編映画を作ってくれるAIツールが登場するやろうな。5年後には、ここに座ってこう言うてるやろ。「ああ、すべてが変わってしもたな」って。
ここで初めて聞いたことやで。ほな、あんたがインタビューで話してた文章で、めっちゃ面白いと思ったんやけど、「It's time to build」の記事のことやな。あんた、怒りに任せて書いたって言うてたやん。その怒りについて教えてくれへんか。
そうやな、あの時はまさに怒り狂うてたわ。具体的な出来事があってな。コロナが始まった頃やったんや。当時、大見出しで騒がれとったのはPPE(個人用防護具)の話やった。マスクのことやな。
予測では、すべての病院が患者であふれかえるって言われとってん。実際、ニューヨークの病院は患者であふれかえってもうた。そんで、PPEが大量に不足してもうた。文字通り、ホワイトハウスの連中が手術用マスクの調達方法を必死になって考えとった。ほんで州同士で争いが始まってもうて、もう大変やったんや。
んで、ある時点でニューヨークの病院から手術用ガウンがなくなってもうたんや。そんで、ニューヨーク市長のデブラシオが呼びかけたんや。市民の皆さん、病院用にレインポンチョを寄付してくれへんかって。これがウォール・ストリート・ジャーナルの一面トップ記事になったんや。
ワシはこれを読んで、「よっしゃ、これで決まりや」って思うたんや。もう馬鹿げたことの極みや。そやろ? もちろん、これはアメリカの文化における長年の話題やったんやけどな。アメリカはモノを作るんかって話や。これについては長く議論できるけど、明らかにアメリカの生産精神は何かを失ってもうたんや。そんで、ワシの中に溜まっとったエネルギーが全部出てきてもうた。
ヘミングウェイやったかな、「書くことは静脈を切り開いて、血を紙の上に広げることや」って言うたの。
どこにおったんや? 何時頃やった? 家におったんや、家に。
あんた、夜型やと思うんやけど。そうや、夜やったんか? どうやって書き始めたんや? パソコンの前に座って...
そうやな、あれはコロナ禍の始まりやったからな。当時はまだ自宅にオフィスがなかったんや。普段はオフィスで仕事しとったからな。
朝食用の部屋で仕事しとって、朝食用の椅子に座っとったんや。快適やなかったわ。ほんで、Zoomってのが始まった頃やってん。そんで、1日12時間くらいZoomで会議しとって、体の右側に激痛が走るようになってもうた。運動もせえへんくなってな。
世界で起こっとることにめちゃくちゃ気分悪くなってもうたわ。うちの会社もめちゃくちゃになるんちゃうかって心配しとってん。そんな状況やったんや。
ほんで、ワシが書くんやったら、それは夜中になるわな。
どんな風に書いたんや? どれくらい時間かかったんや? あの文章はほとんど推敲せんと書いたんやろ?
書いたらすぐに公開したって感じやな。
せやな。「推敲せんかった」っていうのは褒め言葉なんか?
いやいや、ただの事実や。編集者はおらんのか?
10年くらい前に言うてたと思うんやけど、自分の文章はあんまり編集したくないって。確か、書いてすぐに公開したって言うてたよな。
せやな、かなり早かったわ。ワシが思うに、多くの人にとって上手く書くコツは、話すのと同じように書くことなんや。多くの人が書こうとすると、話し方とは全然違う声で書いてしまうんや。そうすると不自然で堅苦しくなってしまう。ワシが知っとる面白い人たちは、話すのと全く同じように書く時が一番ええ文章になるんや。
だから、ワシが話すように書けば、それがワシにとっては最高の文章になるんやと思うとるんや。今はエッセイや本の形式で書いとるから、もっと簡単なチャレンジになっとるな。
あんたは怒っとる時の方が一番ええ感じになるんやで。
そうやな、ワシもそう思うわ。せやな。
エネルギーがあるんやな。
そうや、めちゃくちゃエネルギーがあるんや。
それってよくあることなんか? ワシの書き方についてもう一つ言うと、ワシはあんまりプロフェッショナルじゃないんや。いつかはもっとプロになりたいと思っとるんやけどな。いろんなインタビューを読んだり、あんたの作品を見たりしとると、プロの作家は皆システムを持っとるんやな。読んだものを追跡するシステムとかな。アルベルト・エーコが論文の書き方について書いた本を読んだことがあるんやけど、カード目録システムを使っとったな。Evernoteを使う人もおるし。
でもワシにはそういうのは一切ないんや。一日中読んで、一日中人と話して、頭の中にどんどん情報が入ってくる。ある時点で臨界質量に達するんや。基本的に二段階のプロセスなんや。まず、できるだけ早くアウトラインを書き出すんや。
構造をできるだけ早く書き出すんや。それから物語風に書き直すんや。
待って、それは意外やわ。あんた、アウトライン作るんか?
驚くのはわかるわ。アイデアに情熱を傾ける人の多くは、ただ書き始めるだけやからな。全部一気に出さなあかんのや。あんたのやり方は珍しいわ。
ワシはもっと早くしようとしとるんや。最初の段階では、もっと早く進めようとしとる。全てのポイントを文章にしようとして遅くなりたくないんや。
小説家が作るような詳細なアウトラインじゃないんや。基本的に箇条書きや。ワシは箇条書きで考えるんや。15から20の重要なポイントを列挙できれば、あとは全部書き出せるんや。この時点では、その話題についてずっと考えてきたから、言いたいことがたくさんあるんや。
全部書き出して、それをある程度筋の通った順番に並べるんや。
「It's time to build」ってフレーズから始めたんか? それとも書いてる途中で出てきたんか?
いや、それは...つまり、それが...文字通りそうやったんや。
テーブルの前に立って、「It's time to build」って言うたんか?
単純で、straightforwardで、パンチの効いたものじゃないとアカンのや。ワシはな...マーケティングのトレーニングを受けとるんや。マーケティングの芸術は、とにかく目立つことや。世界中がありとあらゆるメディアで溢れとる。何かを伝えたいなら、パンチが効いてて、攻撃的でなきゃアカンのや。
「build」については、もっと広い意味で使いたかったんや。ワシがこれまでやってきたのはほとんどソフトウェアやけど、かつて持っとった産業の精神を取り戻さなあかんのや。今のシステムからは失われてしもうたんや。
あんたが「一日中読んで、一日中話してる」って言うてたけど、それをどうやってスケジュールに組み込んどるんや? あんたの最近公開されたスケジュールを見たんやけど、読書の時間は30分しかないやん。「自由時間」ってのはあるけど、それについても聞きたいわ。読書とか人との会話をどうやって生活に組み込んどるんや?
そうやな、いくつか言えることがあるわ。まず、ワシの仕事には幸運な点があってな。日々話す人たちが、とても面白い人たちなんや。
特に創業者たちやな。テック業界の創業者たちが、あらゆるプロセスを経て、ようやくワシらと会える段階まで来るんや。彼らの会社が成功するかどうかは別として、彼らは自分たちが話すトピックについて、世界でトップレベルの人たちなんや。
ワシらは彼らと深い会話をしようとするんや。彼らは自分たちのことを最大限説明しようとする。資金調達したいし、ワシらに自分たちのやっていることを理解してほしいからな。パートナーになるなら、やっていることを理解してほしいんや。
だから基本的に、彼らは全てを話してくれるんや。実際、めちゃくちゃすごいことなんや。NDaもサインせんのに、全部話してくれるんや。
ワシが直接会う人もおるし、パートナーが会って教えてくれる人もおる。ワシが会えへん人の記録もある。トピックXの専門家と1時間話せば、めっちゃ勉強になるんや。これは明らかやな。
それが一つ。読書の方は、基本的に毎日やっとる。ワシはずっとそうやってきた。暇な時間があれば、ほぼ全て読書に使うんや。スマホやiPadで、あらゆるものを読むんや。
面白いことに、AirPodsは多分ワシの人生で一番大きな技術的飛躍やったな。子供の頃以来、本当に重要なもんやった。オーディオブックやポッドキャスト、インタビューなんかを聴くのに最適やからな。
毎日2、3時間は音声コンテンツを聴いとる。朝起きてから、寝る前まで。運転中も全部そうや。他に何もすることがなければ、常に何かを聴いとるんや。
ポッドキャストとオーディオブックの比率はどんな感じなんや?
行ったり来たりやな。何かにハマったら、ポッドキャストやYouTubeのインタビューをどんどん聴いてしまうんや。
今はすごくええ時代になったな。テキスト読み上げの技術がめっちゃ良くなっとる。Substackアプリには素晴らしいテキスト読み上げ機能があるし、ワシは「Natural Reader」っていうのを使っとる。これがめっちゃええんや。
実際、Appleは人工知能の声でオーディオブックを作っとるんや。めっちゃ素晴らしい出来や。本当に機能し始めとるんや。
何かにハマったら、できるだけ深く掘り下げようとするんや。そうでない時は、オーディオブックに戻ろうとしとる。有名なポッドキャスターに失礼やけど、できるだけオーディオブックに戻ろうとしとるんや。
理由は単純や。オーディオブックは、ワシが全然知らない新しい分野を学ぶチャンスなんや。10時間か20時間くらいの音声時間を確保できたら、歴史の一時期とかについて本当に深く学べるんや。
オーディオブックで聴く本と実際に読む本の種類について、何か傾向はあるんか? それとも、どっちでもええんか?
ノンフィクションに関しては、実際にもっと読むようにしようと思っとるんや。この夏、Kindleのセットアップを全部やり直して、いろいろ頑張ったんや。
たまにLibGenからダウンロードすることもあるかもしれんな。
そんなこと言うたらアカンな。もちろん、ハードカバーも買うとるんやけどな。実際そうなんや。
でも実際のところ、ほとんどのノンフィクションはオーディオで聴いとるな。
ほかには、ほとんどの時間をオンラインの資料を読むのに使っとる。いろんな種類のオンライン資料やな。
基本的に、情報の摂取を二極化しようとしとるんや。超最新の情報か、普遍的な情報のどっちかや。昨日から10年前くらいまでの情報は読まんようにしとる。そういう情報は全部スクリーニングしようとしとるんや。
超最新の情報は、現在の専門家と話すか、Twitterのタイムラインを見るかのどっちかや。
普遍的な情報はほとんど本やな。この二つの間を行ったり来たりしとるんや。歴史や伝記の本を聴いたり、新しい需要について学んだり、最新のAIの動向を追ったりしとるんや。
グループチャットのアイデアはどうやって思いついたんや? あんたはグループチャットの王様やな。あんたのグループチャットの使い方はめっちゃ面白いと思うで。
最近では、オンラインコミュニケーションは現実世界に比べてダメやって言う人が増えてきたな。みんなそう言うとる。実際、ある程度はそうやと思うけど、逆もまた真実やと思うんや。
多分あんたもそう思うと思うんやけど、チャットアプリやグループチャットでつながっとる人とは、ほぼ毎日話してるやろ? 毎日や。常に周りにコミュニケーションがある感じやな。
ワシにもいろんなところに友達がおるんやけど、一対一のコミュニケーションには限界があるんや。理由は明らかやな。
理想的には、全ての議論が完全に公開の場でできるような世界やと思うんやけどな。実際、ワシ自身も多くの人と同じように、この点では変わってきたんや。
ワシがTwitterで活動し始めたのは、2013年か2012年くらいかな。そんなに早くはなかったけど、2012年か2013年くらいやな。当時は...まあ、めちゃくちゃナイーブな考えやったんやけど、Twitterで考えとることを全部話せると思っとったんや。でもそれは違うってことがわかった。何度か痛い目に遭って学んだわ。
ティモシー・スナイダーの言葉を借りれば、「公的な嘘、私的な真実」の時代に生きとるんや。良かれ悪しかれ、公的な嘘のレベルが史上最高になっとる時代に生きとるんや。
それに戻るけど、グループチャットのアイデアは...公的な嘘がある一方で、グループで話すことで面白いことが出てきたり、ある種の真実が得られたりするんやないかな。どうやってグループチャットをキュレートしたら、真実を最大化できると思う?
4人から8人くらいの、信頼関係の強いグループには、何か美しいスケールがあるんや。でも10人くらいになると、急にステージ恐怖症みたいになって、公的な...なんていうか、パフォーマンスみたいになってしまうんや。
グループチャットで最高の情報や最高の人を集めるには、どうしたらええと思う?
そうやな、それも一つの要因やな。もう一つ別の視点を加えるとしたら...グループの偏向っていう有名な概念があるんや。いくつか研究があるんやけど、ある方向に偏りがちなグループを集めて、しばらく話し合わせると、みんながその方向にもっと極端になってしまうんや。
典型的な例を挙げると、週末に銃を撃つのが好きやけど、銃規制については特に政治的な意見を持ってない人たちがおるとするやろ。1年後には...みんな一緒におると、過激な銃規制反対派になってしまうんや。
どんな問題でもそうなりがちなんや。グループの既存の傾向が互いに強化し合うんや。一種の社会的証明効果みたいなもんやな。みんなが...
だから、これをうまくやるには、一つのグループチャットだけじゃなくて、複数のグループチャットが必要なんや。たくさんのグループチャットを作って、それぞれに全然違う視点や傾向を持つ人を入れるんや。理想的には、全然違う視点や傾向の人たちをな。
そして全体を俯瞰して見ると、それぞれのグループが独自の方向に進んでいくのが見えるんや。中にはあまりにも極端になったり、一つの考えに固執したり、ウサギ穴に落ちてしまうグループもある。そういう時は新しいグループを作って、ダイナミクスをリセットするんや。
あと、メンバーを選ぶ時の話に戻るけど、ディナーパーティーと一緒や。一人一人が大事なんや。誰も話さないディナーパーティーになるのは簡単やな。面白くもないし、退屈やな。
でも一人が場を完全に支配して、自分のことばっかり話すようなディナーパーティーになるのも簡単なんや。
8人くらいのグループで、7人が「あの1人はいらん」って気づいた時のソーシャルプロトコルみたいなもんもあるんや。そしたら新しいグループを作って、その1人には気づかれないようにせなあかんのや。
おもろいな。メタ的に見ると...
せやな、せやな。
過去10年間、あんたの文章を読んできて、こんな感じやと思うんや。あんたの中には、多作で創造的でありたいっていう深い欲求があるんや。それが核心にあって、あの怒りに通じとる。ワシにはそれが感じられるんや。でも同時に、あんたには公的なイメージがあって、いくつかの論争に巻き込まれてきた。そんで、あんたは断続的に活動してきたんやな。
そうや、まさにその通りや。
そうやな。まあ、これは多くの人にとっても一般的な問題かもしれんな。
もしワシがフルタイムの公共知識人や作家やったら、自分のことだけを考えて...めっちゃワクワクするようなことを言ったり、面白い問題に首を突っ込んだりできるかもしれん。でも今の世の中では、ワシは会社を代表しとるんや。パートナー全員を代表し、一緒に仕事してる会社全部を代表しとるんや。
多分あんたは、ワシが公の場でこの葛藤と向き合ってるのを見たことがあると思うんやけど、実際にはキャリブレーションのプロセスがあるんや。自分に正直でありたいし、常に誠実でありたい。面白くありたいし、物事について独自の視点も持っとる。その視点を伝えたいんや。
でも無謀になることはできへんのや。無謀になったらアカンという職業上の責任があるんや。トピックを選ぶだけやなく、関わり方も選ばなあかんのや。これは継続的なプロセスなんや。例えば...
今のパートナーたちとの取り決めでは...彼らはワシを愛してくれとるし、ワシも彼らのことを深く尊敬しとる。この件について助けてくれて本当に感謝しとるんや...ワシはアクティブなツイッタラーちゃうんや。だってトラブルに巻き込まれるのがあまりにも簡単やからな。
でも彼らとワシ自身が許可しとるのは、エッセイを書くことや。エッセイなら自分の考えを完全に表現するチャンスがあるんや。それに、エッセイやポッドキャストから一部を抜き出して人を批判することはできるけど、一つのツイートで人を吊るし上げるようなことはしにくいんや。
エッセイなら、周りのコンテクストを想像せんでもええ。実際に周りのコンテクストが見えるからな。
だから今のところ、ワシにとっては実際にできるのはエッセイと会話なんや。
あんたのTwitterのいいねがコミュニケーションの手段やった頃が懐かしいわ。シュトラウス的やったな。
せやな、せやな。そこには本当のシグナルがあったんや。そしたら...これがまた...
記者たちがワシのTwitterのいいねについてヒットピース(批判的な記事)を書き始めたんや。もしワシが単なる一般市民のマーク・アンドリーセンやったら、それでもええんやけどな。でも、一緒に仕事しとる500社くらいの会社を代表しとるんや。そんなことはできへんのや。
そういうCEOたちを、従業員に対してワシがなんでそのツイートにいいねしたのかを説明せなあかん立場に追い込むわけにはいかんのや。
でもあんたはある意味ミームの帝王やで。「ソフトウェアが世界を飲み込む」っていうフレーズも作ったよな。あれはどうやって生まれたんや? 2012年のウォール・ストリート・ジャーナルやったっけ?
そうやな、その頃やな。あれは、ワシにとっては明らかなことを述べただけやったんや。あの時の大きな心配は、実はあまり刺激的じゃないんちゃうかってことやったな。世界がそう動いてるのは明らかやと思っとったからな。
でも当時を刺激的にしたのは...2008年の金融危機の後やったんや。ワシらは会社を立ち上げたばかりで、いろんな企業と仕事しとった。周りを見渡すと、モバイルが普及し始めて、クラウドが広まり始めて、SaaSが広まり始めて...全部が広まり始めとったんや。新規参入者やブロードバンド、モバイルブロードバンドなんかもな。
ソーシャルネットワークもや。「わお、実際に起こっとることを見てみい」って感じやった。まさにインターネットが急激に普及し始めた時期で、あらゆるものの中心になり始めたんや。
その記事はどうやって書いたんや? どんなきっかけがあったんや? ビッグバン理論みたいなもんはあったんか?
いや、誰も書いてなかったからや。たぶん怒りやな。
またそのパターンや。
そうや、まさにそのとおりや。実際に座って書くのにそんなに時間はかからへんかったけど、何年もの議論と思考の積み重ねがあったんや。テーゼを組み立てて、考えを深めてきたんや。
そして、まさに不満やったんや。正直言うて、多くは日々のヘッドラインに対する不満やったんや。ワシが思うに、めちゃくちゃネガティブすぎたんや。人々は...何が起こっとるのかを理解してなかったんや。
ワシがいつも文章を書く時に心がけとるのは、人々が何かを理解してないと思った時の不満を解消することなんや。でもそれは、よく考えたらワシの責任なんや。ワシが説明してないからや。少なくとも説明しようとせなあかんのや。
人々が聞くかどうかは別やけど、少なくとも試みはするんや。だからその不満を解消するために、少なくともテック業界の中では楽観主義のテーゼを示そうとしたんや。テック業界の外の人々には、実際に何が起こっとるのかを理解してもらいたかったんや。
それがウォール・ストリート・ジャーナルの論説やったってことは、あんたの配信アプローチについて何を物語っとるんやろ? それから10年後、あんたは「It's time to build」を書いた。それは自前のプラットフォームで公開したよな。
このセクションを残せるかどうかはわからんな。ワシらは「ソフトウェアが世界を飲み込む」を掲載しようとしたんや。ウォール・ストリート・ジャーナルになったけど、他のメディアとも話をしたんや。
2020年の「It's time to build」の時は、もう一度ジャーナルに掲載してもらおうと思ったんや。でも断られてしもうた。
他の主要な出版社にも声をかけたんやけど、みんな「ノー」やった。結局、どこにも載せてもらえへんかったんや。
これはワシにとって大きな転機やったな。2015年から2020年にかけて、主流メディアのテック業界に対する敵意が高まっていくのを見てきたんや。でもその時点でも、まだ真剣な思考や議論の場としてのメディアっていう考えにしがみついとったんや。
でもそん時、彼らがワシを説得してくれたんや。そうじゃないって。
今から考えると、もっと早く大きな独立したオーディエンスを作るべきやったな。
これはあんたにとっては新しい話やないと思うけど、あんた、ツイートストームを発明したんやで。
知っとるで、まさにそのとおりや。それ以前にも少し関わりがあってな。
ツイートストームはどうやって生まれたんや?
ツイートストームは...ワシには言いたいことがありすぎたんや。140文字じゃ明らかに足りへんかったんや。
イーロン・マスクがまだ来てへん頃やったからな。あんたはたくさんできたんや。
初期はどんな感じやった?
たぶん不満やったんやろうな。もっと言いたいことがあったんや。だからツイートを追加し続けたんや。
もちろん、当時はめちゃくちゃ反発があったな。半分は真剣で、半分は冗談めいた感じやった。「そんなやり方は間違っとる」とか「メディアを悪用しとる」とか言われたな。
ワシは「そうやな、メディアを悪用しとるかもしれんな。でもそれがメディアの存在意義やろ」って思ったんや。
歴史上、何度も繰り返し現れるメディアの基本単位みたいなもんがあるんや。
そうやな。流行り廃りがあるんやな。
昔は「警句」ってのがあってな。偉大な作家や哲学者たちは...ニーチェの作品の半分くらいは警句やったんや。他にもラ・ロシュフーコーとか、みんな警句を書いとったんや。
ある時点で、それは自己...「プアー・リチャーズ・アルマナック」みたいなもんになってしもうた。警句はダサくなって、人々は使わんようになったんや。機知に富んだ短い言葉とかもな。完全に流行らんくなってしもうた。
そしてツイートが登場したんや。Twitterが警句を復活させたんや。Twitterは警句を提供するサービスみたいなもんやな。歴史的な連続性があるんや。
おもろいことに、ニーチェを120年前からTwitterに連れてきたら、おそらく史上最高のツイッター使いになるやろうな。少なくとも100万人のフォロワーは付くやろ。
せやな、まさにそのとおりや。プロフィールページにめっちゃカッコええバナー画像を設定するんやろうな。
「神は死んだ」ってな。
そうや、そういうのがめっちゃ上手かったんや。
もう一つはエッセイやな。ワシが育った頃は、エッセイをあんまり読まんかったんや。ワシが読み始めた頃には、真面目な作品はほとんど長編の物語形式やったからな。
でも昔は、エッセイが主流の時代もあったんや。ニーチェの本も含めて、100年前や200年前の本を読むと...その頃の本の多くは、基本的にエッセイをまとめたもんやったんや。
今日では、100くらいの小さな章がある本が多いけど、それはもっと一般的な形式やったんや。多くの本が連載形式で、新聞記事として始まって、後で本にまとめられたりしたんや。そういう短い形式の物語文章があったんや。
でも20世紀に入って本が大きなビジネスになって、大衆向けの商品になると、200ページか300ページが標準になってしもうた。今でもそうやな。8章か10章で、200ページか300ページ。
そんで、エッセイは変な文学的・学術的なもんになって、誰も気にせんようになってしもうた。
そしてブログ投稿が登場したんや。急にエッセイが復活したんや。
ワシのもう一つのお気に入りの例は詩やな。ワシが子供の頃は、詩は...昔の人がやるもんやと思っとった。なんか...知らんけど、普通の人は読まへん文学的な高尚なもんやと。
そしたらヒップホップが登場して、文字通り詩を...そうや、詩を復活させたんや。
結局のところ、これらの文学形式は何度も繰り返し登場するんや。決して死なへんのや。そして、インターネットはこれら全ての...メタメディアみたいなもんになったんや。
これが、情報伝達におけるインターネットの大きなブレイクスルーやと思うんや。インターネットは、それ以前のあらゆる形式の文学芸術や視覚芸術を表現できるんや。音声も何でもや。
そしたら突然、警句やエッセイ、詩が...ツイートやブログ投稿、ラップの歌詞という形で爆発的に...重要になったんや。主要なコミュニケーション手段になったんや。
あんたの個人ブログを始めた動機は何やった?
同じことやな。言いたいことがたくさんあったんや。実際、その多くは...そうやな。不満やな。その多くは...スタートアップへの悪いアドバイスやったんや。
世の中には悪いアドバイスが溢れとるんやけど、特にスタートアップへの悪いアドバイスが多すぎるんや。スタートアップにアドバイスする人の多くは、自分が話してることを実際に経験してへんのや。
良かれ悪しかれ、ワシはそれを全部経験してきたんや。全ての間違いを犯してきたし、全てを見てきた。スタートアップで下す決断の全ての結果を経験してきたんや。だからそういうことを書き始めようと思ったんや。
ヴェンカテッシュ・ラオを身近に置いとって、何を学んだんや? 「Breaking Smart」はめっちゃええで。
「Breaking Smart」や。彼はワシらの最初で唯一の常駐哲学者やったな。また同じようなことをしたいんやけど、忙しすぎてできてへんのや。でもまたやりたいな。
彼はめっちゃ特別な人なんや。ワシの人生で出会った人の中で、基本的に常に横方向の思考をする人は3人しかおらへんと思う。L-A-T-E-R-A-Lの横方向や。
実際に言うと、彼とバラジ・スリニヴァサン、そしてピーター・ティールやな。彼らは...めっちゃ違う視点と人生経験を持っとるんやけど、共通点があるんや。状況に直面した時、他の人と同じように考えることが絶対にないんや。そういう人たちなんや。
結果として...ワシはこの3人と可能な限り多くの時間を過ごすようにしとるんや。ワシも横方向の思考は悪くないと思うんやけど、彼らの方がずっと上手いんや。
二つ理由があると思うんや。一つは、彼らがめっちゃ頭がええことと、たくさんのことについてよく知っとることや。だから、いろんな種類の知識を組み合わせることができるんや。
もう一つは、彼らにはそれが...習慣というか、そういう人なんや。反射的にそうなるんや。だから彼らと時間を過ごすと、ワシも反射的にそうなり始めるんや。「もしワシが彼らのような本当の横方向思考家やったら、これをどう考えるやろう?」って常に考えるようになるんや。
彼らと長年過ごすことで、ワシもそういう風に考えるようになってきたんや。誰かが何か言うたら、そのまま受け取らずに、「別の見方があるんちゃうか」って必ず考えるようになったんや。誰かが行動計画を提案したり、世界の仕組みについて評価したりしたら...
いろんな角度から考えて、それについて深く考えるようにしとるんや。
なんで10人くらいの天才的な横方向思考家を雇って、年間10万ドルくらい払って、身近に置いとかへんのや? それ、めっちゃ簡単にできそうやん。インターネットもあるし。なんでこれをやらへんの?
ええアイデアかもしれんな。
実際にやろうとしたら、こんな問題が出てくるやろうな。「そんなに賢いんやったら、意思決定のループに入れるべきやないんか?」ってな。
いや、でも違うベクトルで賢いんやで。ヴェンカテッシュ・ラオは10億ドル規模のスタートアップは作らへんやろうけど、あんたのために横方向の思考をしてくれるんや。あんたを同じ思考のサイクルから抜け出させてくれるんや。
これ、めっちゃ簡単にできる方法やと思うんやけど、なんで人々はもっとやらへんのやろ?
グループダイナミクスの問題かもしれんな。部屋にもっと人がおるってことやからな。
ほな3人くらいにしたらええやん。
わかるけど...部屋に人が増えるたびに、ダイナミクスが変わってしまうんや。人々は自分の言うことを恥ずかしがるんちゃうか? だってこの人たち、知識人やからな。
みんなが決定権を持ってへんのに、この人たちの意見を聞くのを待つようになるかもしれん。そしたらなんで彼らが部屋にいないんや? 決定権がないのに。
そしたら若い社員が「待って、彼らが席を占めとるやん。ワシがそこにおるべきやろ」って思うかもしれん。
そうやな...ええ問題提起やな。チャレンジングな質問や。
実際に...誰かがあんたの言うてるようなことをやったことあるんか? ワシらはやったし、やっとる間はよかったんやけど...他に誰かがそんなことをやったことあるんか?
ピーター・ティールはある程度やっとると思うで。
そうやな。特定の人とはな。でも言うとくけど...それでも問題は起こるんや。ガラスが割れるみたいな感じやな。
場合によっては嫉妬が生まれるかもしれん。「あの人たちが彼の耳に入る特別な存在や」みたいな感じでな。わからんけど。
組織を運営することとのバランスを取らなあかんのやけど、ええ問題提起やな。考えてみるわ。
ほな、みんなが頭の中で考えとる明らかなことやけど...今や、全ての部屋にLLM(大規模言語モデル)を置くべきかもしれんな。同じ理由で...全ての椅子にボットを置くべきかもしれんな。
もちろん、今のところ誰もそんなことしてへんけどな。そんなことしとる人の話は一つも聞いたことないわ。今日からみんながそうできるのに。
実際、音声認識がめっちゃ良くなってきとるし、「曖昧性の解消」ってやつもめっちゃ良くなってきとる。グループ会話をリアルタイムで文字起こしするシステムがあるんや。それをLLMに送り込んで、意見を言わせることもできるんやで。
5年後には、ここに座ってみんながそうしとるかもしれんな。
あんたのソフトウェアエンジニアとしての背景は、文章にどう現れとるんや?
ええ質問やな。
ソフトウェア自体が文学のジャンルやと言いたいところやな。ソフトウェアコードは文章として書かれるんや。
ワシ、コンピューターサイエンスの授業でD-を取ってしもうたんや。実は...
期末試験で寝坊して、1時間15分遅刻したんや。D-を取ったけど、オフィスアワーに行って頑張ったんや。完全に落第やったけど、教授が気の毒に思ってD-にしてくれたんやろうな。
だから、あんたがソフトウェアエンジニアリングの話をする時...ワシにはようわからんのや。詳しく説明してくれへんか?
まだテストの悪夢とか見るんか?
他の悪夢は見るけどな。実はな...あんたのせいで大学生活が台無しになったんや。
ワシはノースカロライナにおって、あんまりよくない講義に出とったんや。冗談やないで、本当の話なんやけど、部屋に戻って「なんでワシが適当な教授の講義に行かなあかんねん。部屋でマークのツイートを読む方がええやん」って思うようになってもうたんや。
そしたらYouTubeを見つけて...実際それが、インターネットで学べるっていうアイデアを思いついたきっかけやったんや。そしたら「待てよ、これ双方向のメディアやん。インターネットで書いたり、人と出会ったりもできるんや」って気づいたんや。それがワシにとって世界で一番すごいことやったんや。
そうやったんか。そんな風に楽しくなかったんやな。
その二つの現実は今でも存在しとるし、まだその巨大な教育システムはそれを考慮に入れてへんのや。まだその巨大な...出版システムもそれを考慮に入れてへんのや。
世界はまだ...どっちの側面にも適応できてへんのやな。
ほな、ソフトウェアの考え方やけど、これはめっちゃ面白いトピックやと思うんやけど...ソフトウェアを書くのは、小説を書くのと橋を建てるのを組み合わせたようなもんなんや。同時にな。
まず、橋を建てるのとは違うっていうところから始めよう。ソフトウェアの人が橋を作ったら、絶対に誰もその橋を渡りたがらへんやろうな。
歴史上、出荷されたソフトウェアには全てバグがあるんや。「早く動かして、壊れても構わへん」っていうのは、ブルックリン橋には絶対に使いたくない考え方やな。
そうや。土木工学とは違うんや。ただの土木工学とは違うんや。理由があるんやで。
ソフトウェアの人たちが...エンジニアリングが下手やとか、怠慢やとか、完璧を求めへんからっていうだけやないんや。創造的な要素があるからなんや。橋を建てるのにはない要素なんや。
もちろん、橋を建てるのにも創造性はあるけど...橋の創造性は最初のデザインにあるんや。橋の実装は、倒れへんようにするのが仕事や。
そやけど、ソフトウェアは最後まで創造し続けるんや。構造的な部分もあるんや。ソフトウェアは構造的に機能せなアカン。でも小説を書くみたいなもんなんや。絵を描くみたいなもんや。違う...基本的に...違う...創造的な表現の形式になる必要があるんや。最高のプログラマーはそれをうまくやるんや。
だから...右脳と左脳、定量的なものと定性的なものの組み合わせなんや。ポール・グレアムが「Hackers and Painters」っていう本を書いたのも偶然やないんやろうな。
まさにそのとおりや。そういうことなんや。
そして具体的に何をしとるかっていうと、文字通り書いとるんや。詩を書くのと同じように、アウトラインを書くのと同じようにコードを書いとるんや。構造化された文章なんや。
特定の形式があって、セミコロンを正しい場所に置かなあかんけど、それでも書いとるんや。
ちなみに、書きながらコメントも入れるんや。実際に英語の説明を織り交ぜとるんや。
そして起こったのは、プログラミング言語が進化してきて...どんどん高レベルになってきたんや。つまり、コンピューターの動作の細かい部分から離れて、より高レベルな抽象化に移行してきたんや。
これによってプログラマーの生産性が上がるんや。そして今、リアルタイムで大きな変化が起きとるんや。
新しいコーディングのインターフェースは、古いインターフェースとは違うんや。古いのはコードを書いて実行して、バグを見つけて修正するっていう流れやった。新しいのは、コードを書きながらチャットボットがそれを読んで...
コパイロットがリアルタイムでコメントしてくれるんや。「アホか、ここ間違っとるで」みたいな感じでな。あるいはチャットボットがコードを書いてくれて、人間がフィードバックするんや。「アホか、ここ間違っとるで」ってな。
昔は「ペアプログラミング」っていう概念があってな。二人のコーダーが同じキーボードの前に座って、お互いに話しながらコードを書くんや。それが今や...
それはいつも珍しいことやったんや。ほとんどの人はそんなことせえへんかったけど、これからはペアプログラミングがもっと広く行われるようになるんや。人間と機械のペアやけどな。
ちなみに、これはまだ起こってへんけど、他のあらゆる形式の文章でも同じことが起こると思うんや。散文を書くのも、フィクションを書くのも、将来的には...ほとんどのプロの作家がこういう形式で仕事するようになると思うんや。
AIと常に対話しながら、全体的な成果物は自分でコントロールするっていう感じやな。
シリコンバレーが文章文化に与えた貢献は、密度の高さと非常に論理的な議論やと思うんやけど、それは偶然やないと思うんや。
コードを書くのに慣れとると、文章を構造として考えることに慣れるんやな。
正直言うて、たぶんそれがワシがアウトラインで考える理由やと思うわ。コードは実質的にアウトラインの形を取るからな。
あんた、独学でコーディングを学んだんか?
独学でコーディングを学んだんや。コンピューターを持つ前に本でコーディングを学んだんや。
えっ? そんなことあるんか?
そうなんや。ワシが10歳くらいの時...ワシはコンピューターが出てきた頃に思春期を迎えた世代なんや。だからコンピューターを発見して、コンピューターがニュースに出まくっとったけど、みんなまだ持ってへんかった。まだ存在してへんかったんや。
それがアーバナ・シャンペーンに行った理由なんか?
最終的にはな。でもワシが話しとるのは1980年か1981年くらいの話や。ワシが9歳か10歳か11歳くらいの時やな。メディアの波が押し寄せてきた頃や。アップルが大きくなり始めて、スティーブ・ジョブズがあらゆる雑誌の表紙を飾っとった頃やな。
そんで、ワシは10歳くらいで...ワシがおった場所から100マイル以内にコンピューターなんか1台もなかったんや。でも図書館に「コーディングの学び方」みたいな本があったんや。「よっしゃ、ええやん」って思ってな。
そんで朝も夜も、学校に行く時もバスの中で、後ろの席に座ってその本を読んでコードを書いとったんや。
学校で文章を書くの得意やったんか?
まあ、ワシが行ってた学校では...ワシが行ってた学校では文章をあんまり書かへんかったんや。
どんな学校やったん? 文章を書くのは普通やと思うんやけど。
田舎の公立学校や。ど田舎やな。
そんなに厳しくなかったんや。でもな...
ワシはいつもシステム思考が好きやったんや。システムや構造のアイデアに慣れとる人...数学とかそういうのが得意な人やけど、それだけやなくて創造的な要素も欲しがる人...単なる保険統計士や会計士みたいな仕事では満足できへん人...そういう人たちがそれをできるんや。二つの組み合わせなんや。
あんたが書く時の制約は何なんや? 時間やとは言わんといてな。それは...
いや、いや、実際そうなんや。
「ソフトウェアが世界を飲み込む」はめっちゃ早く書いたし、「It's time to build」もめっちゃ早く書いたやん。時間の問題やないやろ。
そうやな...これは永遠のプロジェクトなんや。誰かのTo Doリストにあるような永遠のプロジェクトや。「もっと書かなあかん」ってな。今も何か書いとるところやで。
ほな、こう言うてみよう。歴史上、毎日書くことで上手くいく作家もおるし、突然湧き出てくるタイプの作家もおるんや。「フランケンシュタイン」を書いた女性は、スイス旅行中に夢を見て、それがそのまま出てきたんや。
だから時間が...実際には制約になってへんと思うんや。
ええフィードバックやな。
そうか。パフォーマンスか。ワシは...
めっちゃ刺激的やな。ワシは毎年100人くらいの学生と付き合うんやけど、みんなありとあらゆる言い訳をしようとするんや。ワシの仕事は「あかんな」って言うことなんや。
ほな、書くことについて一番悩んでることを教えたるわ。数年前、デヴィッド・ミルチっていう人と1日過ごす機会があってんけど...
彼はテレビや映画の脚本家なんや。HBOの「デッドウッド」が彼の代表作やけど、伝説的な人物で、いろんなことをやってきた人やな。
彼は現存する最高のフィクション作家の一人やな。その日の終わりに、彼がワシをじっと見て...「あんた、フィクションを書くべきやで」って言うたんや。
わお。
フィクションを書くなんて、ワシには一度も思いつかへんかったんや。フィクションを書こうとしたこともないんや。
でも人生でいつかやるべきことのリストを作る度に、それを試さなあかんって気がしてるんや。
あんた、テレビ番組や映画を書けそうやな。
彼は...まあ、ワシには思いつかへんかったんやけど、神の声みたいな瞬間やったんや。あの人がそう言うんやったら、試してみる義務があるんちゃうかって。
アイデアはあるんや。
ほな、ワシが本当に書きたいものを教えたるわ。
ほな、ワシが本当に書きたいものを教えたるわ。ロマンティクレフを書きたいんや。
それ何や?
ロマンティクレフは、全ての名前や日付、出来事はフィクションやけど、実際に起こったことを全て書く小説なんや。
洗練された自伝やメモワールみたいなもんやな。いくつか例があるんやけど、テレビ版のロマンティクレフやと「Ray Donovan」っていう番組があるんや。ハリウッドのフィクサーについての番組で、スタジオのために問題を解決する人の話なんや。ハリウッドの全てがめちゃくちゃになっとる感じやな。
フィクションの番組やけど、伝説によると、彼が解決する全ての状況が、実際にハリウッドで起こったことやって。
そうやな...もう30年近くテック業界にいて、いろんなことを見てきたんや。絶対に暴露本は書かへんし、人物を特定できるような形で書くこともせえへんけど、めっちゃクレイジーなことを見てきたんや。
だからワシの...ワシのクレイジーなアイデアの一つは、基本的に見てきた全てのクレイジーなことを書き出して、それをフィクションの物語に織り込むことなんや。
だから、もしワシがいつか小説を出版したら、その中の全てのことが実際に起こったことやって覚えといてな。ここで初めて聞いたで。
そのとおりや。これは面白いな。あんたについて気づいたパラドックスの一つに通じるわ。
一方では強い privacy への欲求があって、もう一方では多作で公の場に出たいっていう欲求があるんやな。
そうやな、ワシらのやってることの性質上、重要なんや。人々は気にするんや。時々めっちゃ喜んでくれるし、時々めっちゃ怒るんや。
テック業界のドラマは、ワシが関わり始めた頃と比べてめっちゃ増えてるんや。ワシがテック業界に入った頃は、全てがかわいくて楽しかったんや。新製品のプレス報道は全部「わあ、これめっちゃええやん」か「この製品はイマイチやけど、次はもっとええかも」みたいな感じやった。
今や...人生のあらゆる分野に関わっとるし、人々が心配しとる大きな問題全てに関わっとるんや。
二つのこと。一つ簡単なコメントやけど、誰かがティム・ウーの情報の集中と分散に関する本みたいな、あんたが言うてた創造的なメディアの循環について本を書くべきやな。そういう本を書く人を募集しとるで。
次に、A16Zでの内部での文章はどれくらい書いとるんや? あなたの...
めっちゃ書いとるで。
どんな形式なん? ワシにとっては、たくさんのメール、たくさんの...テキストメッセージの技術やな。
でも、たくさんの文章資料を処理しとるし、時々ここで長文を書くこともあるんや。ここで長文を書く時は、たいてい新しい取り組みについてか...深刻な対立や曖昧さがあるトピックについてや。一か所にまとめて「ここに異なる考慮事項があって、こうすべきやないか」みたいなことを書くんや。時々そういうことをやるな。
つまり、エッセイの内部版みたいなもんやな。実際の書き方について教えてくれへんか? そういう時のプロセスはあるんか? 公開する時とは違う形になるんか? 公開する時よりも内部での方が文章がええと感じることはあるんか? それについて教えてくれへんか。
同じやと思うわ。同じことやな。同じや。ワシがそういうのを書く時は、何かが頂点に達しとるからや。問題があって...
修正せなあかん問題か、飛びつくべきチャンスがあるんや。でも、ワシが書く時には、たいてい長い議論の期間があって、しばらくここで考えとったことがあるんや。そしたらそれを形にする時が来るんや。
ちなみに、ワシが観察したことの一つで、みんなが知っとることやのに、ほとんど誰も実際には行動に移さへんことがあるんや。もしかしたら人々は知らへんのかもしれんけど...
物事を書き留める人には、とてつもない力があるんや。組織や世界での実際の公式な役割とは関係なくな。
物事を書き留める人がほとんどおらへんのや。テック企業でよく見るのは、将来有望な人を見つける方法の一つが「誰が計画を書いたんや?」ってことなんや。
全てを思いついたってわけやないし、全てのアイデアを出したわけやもないけど...自分の考えをまとめて、文章で伝える能力とモチベーション、スキルを持っとる人や。そういう人が目立つんや。
みんながそれを知っとると思うんやけど、そのレベルの包括性と質で何かを書く人の数は...
会議でもノートを取るのは地位が低いと思われとるんや。
そうやな、もしワシが...キャリアプランにそれを入れとったかどうかわからんけど、これは若い人へのアドバイスの一つやな。会議で自主的にノートを取って、最後にまとめを書く人になれってな。そしたら全てを公平に表現せなあかんのや。
新人にとっては、全てを公平に表現せなあかんのや。
他にも、例えば誰かがあんたにコンタクトを取りたいとして、めっちゃよく書かれたメールを送ったら、あんたが読む確率は100%やと思うんや。
あんたのインボックスを荒らしたくはないけど...もしめっちゃよく書かれたメールの数を100倍にしたらどうなるやろ? 異論のある視点、専門知識、よく書かれたメール...あんたが読む確率は少なくとも90%はあるやろ?
そうやな。めっちゃ珍しいんや。
何が起こっとるんやろ? これは市場の非効率性みたいなもんか、もっと大きなトピックがあるんか...一日中、下手な文章や...コンテンツを見てられへんのや。
いつも思うんやけど、古い本を見ると、これが存在するのは...本当に古い本は書かれなあかんかったんやな。そしてコピーを作るには、誰かが本全体を書き写さなあかんかったんや。
今でもラビたちがトーラーを手書きで全部書き写しとるけど、昔はそうやって本を作っとったんやな。
今や、Command A、Command C、Command V でコピーして、たくさんの人に送れるんや。だから、今は書くのが簡単すぎるんやな。
そのとおりや。ここにパラドックスがあるんや。今や書くのがあまりに簡単になったから, 低質なコンテンツであふれかえっとるんや。
世界は下手な投稿、下手なツイート、下手な本、下手な法律、下手なテキストコード、下手な全てのもので溢れかえっとるんや。一日中、低質なコンテンツに溺れることもできるし、多くの人がそうしとるんや。
一方で...これらのツールが今やめっちゃ効果的になったから、高品質なコンテンツの大爆発が起こってもええはずなんや。あらゆるジャンルで、今までに見たこともないような素晴らしい文章であふれかえってもええはずなんや。
だからもう一つの側面は...ええもんはどこにあるんや? 超天才のブレイニアックな作家、脚本家、小説家たちはどこにおるんや? もっと大量の作品を、もっと速いスピードで生み出しとる人たちは?
それがワシの仕事の理由なんや。そういう人たちを生み出そうとしとるんや。
インターネットが新しいコンテンツの花を咲かせたって意味ではすごいことやと思うんやけど...
まだ見つけるのが難しいし、絶対的な質のレベルでは100倍くらいあってもええと思うんや。
そのとおりや。だってそういう人たちがあんたにメールを送ったら、あんたは読むやろ? なんか変な非効率さがあるよな。
これについて聞くべき人はあんたやと思うんやけど、ハイパーリンクはなんで青いんや?
ワシが青が好きやからや。
それが理由なんか?
そうや。しっかりした色やし、見やすいからな。
どういう話なんや? あんたがオフィスに座って、何か色を選ばなあかんかったんか?
その時は...HEXコードに6つの数字と文字を入力せなあかんかったんか?
その当時は...その当時、ワシらがこれをやっとった頃は、多くのグラフィックスコンピューターは256色しか表示できへんかったんや。8ビットカラー、8ビットのカラーパレットやな。
256色全部見えて、「好きなの選んでや」みたいな感じやったんや。
サーモンピンクとかでもよかったんやな。
そうや。黄色とかな。
ページの中で目立つ色じゃないとアカンかったんや。
基本的に青か赤か紫か緑やったんや。ワシはそれ以外の色が好きやないんや。
それはクレイジーやな。ちなみに、ワシはこれをうまく伝えきれてへんかったんやけど...
ワシは白い背景の上のテキストを読むのが好きやないんや。目が光に敏感やからな。だから初期のMosaicとNetscapeを見ると、背景は常にグレーやったんや。
黒いテキストをグレーの背景の上に置いてたんや。そのことでワシはよく批判されたんやけど...
ワシが本当に欲しかったのはダークモードやったんや。でもその時点では実現できへんかった。
当時のディスプレイでは、黒い背景に白いテキストを表示するのは難しかったんや。グレーの階調が足りへんかったし、画面の解像度も足りへんかったんや。
コメント欄の質があんまり向上してへん理由について、あんたはどう思う?
今や、人間の本質についてのめっちゃ根本的な質問をしとるな。あんたはある意味インターネットを発明したようなもんやから、こういう質問をする日が来たら聞こうと思っとったんや。
それと同じ質問は、なんでこんなにレベルの低いコメンターが多いんやろうか?っていう人間の状況についての質問やな。
まじめな答えをすると、まず悪魔の代弁をさせてもらうわ。Reddit のコメントはめっちゃうまくいっとると思うんや。いくつか反例を挙げると...コメントが実際にうまくいっとる例やな。
あの人たち、ずっと昔にシステムを考え出したんや。スティーブとアレクシスが karma システムでめっちゃうまくいく方法を見つけたんや。めっちゃうまくいっとると思うで。
YouTubeのコメントにも本当に驚いたんや。あんたもそう思わへん? 少なくともワシが見るYouTubeの動画の多くで、質の高いコメントを浮かび上がらせて、悪いものを沈めるのがうまくいっとるんや。
Twitterのアルゴリズムも、年々めっちゃ良くなってきとると思う。
質を評価して表示するシステムを意識的に調整する必要があるんや。ちなみに、LLMもこれに役立つはずや。LLMはテキストの評価がめっちゃ得意やからな。
人々は...これはたぶんもう起こっとると思うけど、コメントシステムを作るなら、LLMに評価させるべきやな。
LLMに「このテキストはええか?」って聞くだけやなく、「このコメントの感情的な負荷はどうや?」って聞くこともできるんや。LLMは怒っとるか幸せか教えてくれるやろ。そしたら「怒っとるものは隠せ」みたいなことができるんや。
実際、意識的にそうしてへんシステムでは...悪いものに溺れてしまうんや。
ウェブにはまだ存在してへん機能があるんやけど、ほとんど実装できそうやったのに、できへんかったんや。
それは、ウェブページの上に書き込みレイヤー、コメントレイヤーを作る機能やった。実際にプロトタイプも作ったんや。元々のMosaicのバージョンに「annotations(注釈)」って呼んでたんや。
基本的に、全てのウェブページに...ウェブは本質的に非同期メディアやから、あんたとワシがページを読んでる時、たいてい違う時間に違うページを見とるんやけど...
時々同時に見とることもあるやろ。あるいは昨日見た時に面白い考えが浮かんだかもしれん。その考えをそこに追加できたらええと思わへん?
それがページ自体の形式で起こるなら、wikiやコメント欄って呼ぶやろうな。でもワシらには、オーバーレイみたいなアイデアがあったんや。ウェブ全体の上にコメントシステムのオーバーレイを作るべきやって。
ブラウザに実装して...文字通りウェブページを見とる時に、同時にでも違う時間でも、ワシらが見とるっていう事実を利用して、みんなが見れるコメントを書き込めるようにしようと思ったんや。
複数のコメントレイヤーがあってもええかもしれんな。実際に「annotation server(注釈サーバー)」って呼んでたものを作ったんや。
全てのウェブページの上の全ての注釈の中央リポジトリになるはずやったんや。
そしたらどうなったんや?
でかすぎる仕事やったんや。注釈サーバーはウェブ全体をカバーできるように拡張せなあかんかったからな。
かなりの規模のプロジェクトやな。
そのとおりや。それにUIの問題もあってな。結局、実現できへんかった機能なんや。
でも、こういうものがどう進化していくかっておもろいもんやな。地球2.0では...
全く違う書き方の環境があるんや。
オンラインの文章の書き方は、20年前に想像してたのとどう違うんやろ?
インターネットの文章が今や政治が展開される場になっとることは、めっちゃ衝撃的やな。
長い間、そうやなかったんや。政治的な議論をネットでしたかったら、80年代や90年代のUsenetの特定のグループに行かなあかんかったんや。
例えば、猫のUsenetグループとか、サンフランシスコ・ベイエリアのUsenetグループとかでは、誰も政治的な話題を持ち出さへんかったんや。そんなことするのは無礼やと思われとったんや。
でも2015年か2014年か2013年くらいに、突然スイッチが入ったみたいに、みんなが政治をあらゆるものに持ち込み始めたんや。
たぶんそれは外部で起こったことやと思うんや。インターネットとは関係なく...ただ世界が変わったんや。だから全てが変わって、これも変わったんやと思う。
でもな、もう一つ起こったのは、インターネットが中心になったってことやな。インターネットが人々の全てをする場所になったんや。全てについて読んで、全てについて学んで、全てについて議論する場所になったんや。
だから、ある意味で犬が車を捕まえたみたいなもんやな。ワシらは人々の生活の中心になりたかったし、実際になったんや。そしたら人々の生活の中心にあるものの一つが政治やったんや。
インターネットが中心になったら、必然的に超政治的になって、全てのインターネットコンテンツが超政治的になったんや。これが基本的に起こったことやな。
ワシにとっては、他の誰にとってもそうやったように、めっちゃ大きなショックやったな。古いモデルに慣れすぎとたから、実際に起こっとる時も信じられへんかったんや。
文体のために読むことはあるんか? それとも内容だけのために読むんか?
実際のところ、内容のためだけに読むと思うわ。
でも、内容のために読んどって、めっちゃ優れた文体で書いとる人を見つけると、いつもめっちゃ楽しいんや。まだパンチが効いとるのがすごいんや。
例を挙げると...ワシは伝記をよく読むんやけど、つい最近テディ・ルーズベルトの伝記を読んだんや。エドモンド・モリスの本やな。
ああ、めっちゃええって聞いたことあるわ。
せやろ。キャロル・キャロルがまだ一番上かもしれんけど...エドモンド・モリスはキャロルの一つ下くらいやな。つまり、歴史上最高の一人ってことや。
文体の質が...今、別の大統領の伝記を聞いとるんやけど、名前は言わへんわ。侮辱したくないからな。めっちゃええんやけど...文体のレベルの違いがめちゃくちゃ大きいのがわかるんや。
「ああ、理論的には全ての文章がこんな風に書けたらなあ」って思うんや。これはLLMの話題に戻るけどな。
文体のどういうところがあんたを魅了するんや?
全ての文章、単語、構造が意図的に選ばれとるんや。
生き生きとしてるとこか? 詩的なとこか? 何なんやろ?
たぶんワシのコンピューターサイエンスの背景のせいやと思うけど、ワシにとっては構造的なところが大きいんや。
全てが完璧に流れとるんや。各トピックに費やす時間が完璧やし、ちょうどええ量の詳細がある。ぴったりの言葉を使って、ぴったりの感情を生み出すんや。
ワシが普段読むものとは全然違う体験なんや。ワシが読むほとんどのものは、プロフェッショナルやけど、ロバート・キャロルやトム・ウルフのレベルではないんや。
でも時々、そのレベルのものに出会うと、そのレベルで書くことが実際に可能なんやってことを思い出すんや。そんな体験をしとる間は、めっちゃすごいんや。
そしたらそれが終わって、「さあ、普通の文章に戻らなあかんな」って感じになるんや。普通の文章の方がずっと一般的やからな。
アーティストやな...彼らは絶頂期にあるんや。ゲームの頂点におる人たちがおるんや。
ジェームズ・エルロイは?
誰やそれ? 全然知らんわ。
ああ、よかった。教えられてうれしいわ。
全然知らんわ。
おお、そうか。教えられてよかったわ。彼は現存する最高のアメリカ人小説家やと思うんや。彼のジャンルは犯罪小説やけど、シェイクスピアが恋愛物語を書いたって言うようなもんやな。
エルロイは20世紀のアメリカの歴史を神話化する一連の小説を書いとるんや。彼の最も有名な作品は「L.A. コンフィデンシャル」や。映画を見たことあるかもしれんな。
映画見たことないんか。
そうか。新しい世界やな、アンドリーセンさん。「L.A. コンフィデンシャル」は1950年代のロサンゼルスを舞台にした犯罪映画や。ラッセル・クロウとか、めっちゃすごい俳優陣やった。
映画はすごいんやけど、小説の「L.A. コンフィデンシャル」は20倍くらい規模が大きいんや。1950年代のロサンゼルスの歴史を信じられんくらい多面的に再現しとるんや。
彼は最近「Perfidia」っていう小説を書いたんや。1940年代を舞台にした新しい四部作を書いとるんやけど、年を取るにつれて時代をさかのぼっとるんや。
「Perfidia」は彼の最近の小説の一つで、1000ページくらいあって、めっちゃ詳細なんや。真珠湾攻撃の一週間後のロサンゼルスがどんな感じやったかを描いとるんや。
これがめっちゃ重要なんは、実際に彼らは自分たちが次のターゲットやと思っとったからや。文字通り、ロサンゼルスが次のターゲットで、日本の爆撃機がいつ現れて街を破壊するかわからんって思っとったんや。
だから街全体がめっちゃパラノイアになってしもうたんや。日系アメリカ人の強制収容所計画が始まったのもこの時期やった。めっちゃ濃密で激しい時期やったんや。
彼はその場にいる感覚を作り出すんや。彼の仕事の仕方についてのインタビューを読むと...彼はコンピューターを持ってへんのや。まだタイプライターで書いとるんや。
彼は...意図的にその時代の中で生きようとしとるんや。まだ図書館に行って1940年代の新聞のマイクロフィルムを引っ張り出したりしとるんや。
「その場にいる感覚を作り出す」っていうフレーズ、ええな。
そうや。「ああ、これが本当に...」って感じがするんや。さっき言うたデヴィッド・ミルチもこれをやるんや。「デッドウッド」を見ると、「ああ、これが1860年代の西部開拓時代の本当の姿なんやな」って感じがするんや。
泥や臭いや...必死に尊厳を保とうとしてる人々の姿がリアルに感じられるんや。
SF小説に触れへんのが意外やわ。子供の頃、あんたに大きな影響を与えたんやろ?
そうやな。たぶんただ...実際の歴史にはそんなにたくさんのことがあるからやと思うわ。SF小説は...定義上、思索的なものやからな。
小説家が実際の人間の行動を予測しようとしとるけど、歴史では実際の人間が行動したんや。めっちゃクレイジーで奇妙な...めっちゃええことも悪いことも、歴史では実際に起こったんや。
人々はめっちゃええ決断もしたし、ひどい決断もしたんや。デヴィッド・ミルチがこの点でやってることで、もう一つええのは、みんなが常に酔っ払っとるってことや。
昔のアメリカ南部や西部、植民地時代に戻ると...実際に研究されとるんやけど、当時の人々は今の4倍くらいアルコールを飲んどったんや。
その理由の一つは、きれいな水が手に入らへんかったからや。朝起きたらすぐにビールを飲み始めるんや。だから人々は一日中べろべろに酔っとったんや。
そしたら喧嘩が多発したり、ひどいことが起こったり、ひどい判断をしたり、いろんなことが起こるんや。その多くは、単に酔っ払っとただけなんやけど...
誰かが手を取って、それが実際どんな感じやったかを明確に示さんとわからへんのや。自分では経験できへんことやからな。
あんたは、大麻やワイン、ビールみたいな違う種類のドラッグが、文章や創造性にどんな影響を与えると思う?
文化全体に影響を与えとると思うわ。全てに影響を与えとると思うんや。
典型的な例は、イギリスで始まったアルコールからお茶、そしてコーヒーへの切り替えやな。カフェインが...基本的にそれが啓蒙主義の触媒的な出来事やったんや。文字通り化学的な触媒やな。
そしたら実際に金融市場の発展につながったんや。金融市場は基本的にコーヒーハウスから始まったんや。
ロイズ・オブ・ロンドンを知っとるか?
保険会社やろ?
そうや。ロイズ・オブ・ロンドンは最初の専門的な保険会社の一つやった。文字通り、コーヒーショップで定期的に会う人々のグループやったんや。
基本的に保険を引き受けとったんや。そして多くの初期の科学的発見は、人々がコーヒーハウスで出会って情報交換したことから生まれたんや。アメリカの捕鯨産業も、パリの...
そうや、まさにそのとおりや。文学サロンや、最終的には政治的な...革命的なサロンもな。
全部そうやな。基本的に面白いことが起こる時は、人々が集まって交流して、物事を解決しようとしとるんや。みんな酔っ払っとったら、ある種の結論や活動に至るし、カフェインで興奮しとったら...
ハンター・S・トンプソンの一日のルーティンを見たことあるか?
そうや、まさにそのとおりや。そのとおりや。クレイジーやな。朝3時15分に起きて...ウイスキーを飲んで、コカインを吸って。
そして朝2時から書き始めるんや。
そのとおりや。
それとは別のバージョンで...アイン・ランドの話もあるな。彼女は30年間ベンゼドリン(アンフェタミン)を使っとったんや。高濃度のアンフェタミン...基本的にメタンフェタミンやな。
長期的な影響があるんや。時間が経つにつれて、実際に判断力が低下していくんや。
ワシらの時代では...もちろんアルコールはまだ大きな要因やけど、ニコチンも減ってきたんや。ニコチンは興奮剤やからな。
肥満率の上昇やテストステロンレベルの低下について、面白い疑問がいくつかあるんや。これらは喫煙の減少の結果やと考えとる人もおるんや。
ニコチンを取り除いたら、そういう副作用が出るんや。そしたらシステムからエネルギーが抜けてしまう。特にニコチンを大麻に置き換えたら、この文脈では後退してしまうんや。興奮剤を鎮静剤に置き換えとるからな。
みんなが酔っ払っとった時代に戻るようなもんやな。今やみんなハイになっとるんや。
緑茶の何が好きなんや?
ちょうどええ量のカフェインを摂取する方法なんや。ダイエットコーラや普通のコーヒーを飲むと...
ダイエットコーラ?
そうや。過剰に興奮してしまうんや。
適量のカフェインを継続的に摂取する必要があるんや。飲みたい量のカフェインを飲むと、心臓が飛び跳ねるようになってしまうんや。そうなったらアカンのや。
継続的にな。一日にどれくらい飲むんや?
わからんな。ずっと飲んどるわ。
ほんま? ええな。あんたのオフィスについて教えてくれへんか? ここが好きそうやな。
一番おもろいのは、本を棚に置かずに積んどることやな。
そうやな...いつかは棚を作らなあかんな。ワシはただ...本をよく注文するんや。
何が起こっとるんやろ?
基本的に、ワシがお金を稼ぎ始めた時に決めたんや。読みたいと思う本は全部買おうって。とにかく全ての本を買うことにしたんや。
だから常に本が届いとるんや。理論的には何かシステムを持つべきやな。でも持ってへんのや。だからただ積み上がっていくんや。
かっこええな。雰囲気がある。
目標はただ...そうやな、積み上げたものをある程度整理しとくことやな。
あんたは夜型やと思うんやけど、めっちゃかっこええ自宅オフィスがあって、そこで文章を書いとるんやろ?
基本的にそうやな。
ええ自宅オフィスの条件は何やと思う?
本、本かな。わからんけど...本と緑茶、音楽やな。ほとんどいつも音楽を聴いとるんや。
最近はヘッドフォンでな。いろんな種類の音楽が好きなんや。特にクラシック音楽をよく聴く。ジャズも好きやし、いろんな種類のロックも好きや。
でも文章を書く時に最近やっとるのは、YouTubeでシンセウェーブとか...フューチャーガレージっていうジャンルがあるんや。あとはローファイとかな。
脳の活発な部分を安定させつつ、気が散らへん音楽を探しとるんや。
映画音楽とかな。本当に雰囲気を出したい時はな。
同じ曲をリピートするタイプ?
いや、いや、そうやないな。フラストレーションが溜まりそうや。
でもな...トランス状態に入りたいんや。
ああ、そうか。わかるわ。
昨日、同じ曲を45回くらい聴いたわ。
ええな。でも経験上、あんまり複雑な曲やったらアカンのや。そうやないと飽きてきて、イライラしてくるんや。
そうやな、一定のビートがある曲がええんやな。
歩くことや運動することが、あんたの創造性にどう影響すると思う?
思わへんな。全然影響せえへん。本当に?
ワシには、散歩しながら会議をする友達がたくさんおるんやけど、ワシはそんなことせえへんな。トレッドミルに乗っとる時は、テレビを見とるんや。
時々Twitterもチェックするけど、それはワシの切り離す時間なんや。
ワシにとっては、心拍数が上がって歩き始めた時が、一番創造的な時間なんや。
そうは思わへんな。ニーチェが書いたことを知っとるやろ。一日8時間、山を歩いとったんやで。
そうや、そのせいで彼の本はエッセイと警句の寄せ集めみたいになってるんやと思うわ。1年間ノートに書き続けて、それをまとめて本にして送り出すみたいな感じやったんやろうな。
あんたのパートナーのベンから、文章について何を学べると思う?
ああ、彼は実際に...ワシと違って、本物の成功した...
ここで本物の作家が出てくるんやな。
彼は本物の成功したプロの作家なんや。
そうか。今やっと...
そうや、今からポッドキャストの本題に入るわ。
ようやく役に立つ話になるんやな。
ベンには、これに関していくつかのええ特徴があるんや。まず、彼の父親はめっちゃ成功した、今でも成功しとるプロの作家なんや。
ああ、彼の父親はデヴィッド・ホロウィッツっていう人で、めっちゃ...政治的な作家で活動家なんや。彼はアメリカの政治において有名な人物や。
1960年代の極左にいて、1964年にバークレーで起こった「フリースピーチ運動」の創設者の一人やったんや。これがヒッピー運動や反戦運動の始まりやったんや。
そしてデヴィッドは実際にブラック・パンサー党の資金調達をしとったんや。オークランドで彼らがアメリカの政治において強力な勢力やった頃にな。
そしてニュースでも...彼はめっちゃ活動的やった。60年代と70年代の急進左派の大きな雑誌「Ramparts」を運営しとったんや。
だから彼は文学的な...ベンが子供の頃、父親の仕事は書くことやったんや。本を書いて雑誌を運営しとったんや。
そして80年代に、デヴィッドは急に右に転向したんや。レーガン革命に加わって、時間とともにどんどん右寄りになっていったんや。今ではめっちゃ熱心なトランプ支持者になってるんや。全部の変遷を経験したんやな。
ベンの反応は二つの形で現れたんや。一つは、ベンはできる限り非政治的になったことや。父親を見てきたベンの結論は、政治には関わるなってことやった。
ベンの父親は本当に政治を楽しんどったけど、常に論争に巻き込まれて、みんなを怒らせとったんや。だからベンは本質的に非政治的な方向に向かって、ビジネスの世界に入ったんや。
でもデヴィッドは常に書いとったんや。たぶん40冊くらいの本を書いて、無限の数の...デヴィッドはエッセイ集を何シリーズも出版してる人やな。
彼の自伝は「Radical Son」っていうんやけど、めっちゃええ本で、彼が経験した全ての変遷について書かれとるんや。めっちゃええ本やで。
だからベンは、父親がそういうことをしとる環境で育ったんや。特に70年代に、父親は非政治的な3つのベストセラーを書いたんや。フォード家、ロックフェラー家、ケネディ家の家族伝記やった。
実際、ベンは子供の頃にそれらの本のリサーチアシスタントをしとったんや。だからベンは...今大統領選に出とるボビー・ケネディ・ジュニアに1970年代に会ってるんや。ベンが15歳くらいの時やな。
ボビー・ケネディがいろんなことでニュースになっとった頃や。彼のWikipediaページで見つけられると思うで。
だから彼はずっと...文学的な家族の中で生きてきたんや。
そうやな。そして彼は...ワシらが一緒にやった会社、Loud Cloudのことで...彼には十分な...言うたら十分な傷跡があって、本を書くための材料があったんや。
それがめっちゃうまくいったんや。彼はそのコツを掴んだんや。ワシがよく考えとったことの一つやけど...
ビジネス本やハウツー本、コーチングやメンタリングの本を書く人はたくさんおるけど、ほとんどは来ては去っていくんや。でも時々、ずっと売れ続ける本が出てくるんや。
ピーター・ティールの「Zero to One」みたいな本やな。ベンの「The Hard Thing About Hard Things」もそうや。あの本はずっと売れ続けて、今や27か国語くらいに翻訳されて、世界中で売れとるんや。
彼があんたのコーチやったら、あんたの文章についてどう言うと思う?
ワシのコーチ? ワシは...実際に彼が言うことは正確に言えるわ。
彼は...今ワシは大きなものに取り組んどるんや。ワシにとっては大きなもんや。たぶん30ページか40ページくらいになるやろうな。ワシにとってはこれが大きいんや。
でもワシは予定より遅れとるんや。彼は最近ワシのことを「ブログ記事を書くカニエ・ウェスト」って呼んだんや。
遅れとるっていうのに反応があったな。今日初めて反応があったわ。
予定より遅れとるんや。もう出てるはずやったんや。でもワシは...今回はめっちゃ高いハードルを設定しとるんや。時間が経っても通用するものにしたいんや。
インパクトのあるものにしたいんやな。
そうや。だからワシは...自分で決めたスケジュールより遅れとるんや。この部屋にいるかもしれん特定の人たちがめっちゃイライラしとるんや。
でもベンが言うたんや。「何言うとるんや? あんたはブログ記事を書くカニエやで」って。ちなみに、彼は...以前のカニエのことを言っとるんやで。
そうやな、そうやな。カニエにはいろんな意味があるからな。それはどういう意味なんや?
ベン語で言うと...時間がかかるだけかかるってことやと思う。でも出来上がったら、クリエイティブにええもんになるってことやな。ワシはそれを褒め言葉として受け取ったわ。
今のあんたの文章に足りんものは何やと思う?
ああ、今回のやつか。今回はこんな感じなんや。今回は...哲学を主張しようとしとるんや。
めっちゃ重要なトピックについて、どう考えるべきかっていう...めっちゃ重要なことについての哲学やな。
技術の哲学、基本的な技術の哲学についてや。めっちゃ賢い人たちが長い間考えてきたことがたくさんあるんや。社会における技術の役割については、多くの人が考えてきたトピックなんや。
ワシはそういう人たちの文章をたくさん読んできたんやけど...そこにはたくさんのコンテンツがあって、たくさんの議論があるんや。
技術が社会にとってええか悪いかについて、ええ議論も悪い議論もあるんや。だからワシは...基本的に...
そういうことを全部知っとる人や、今そういうことをやっとる人が読んだ時に、「同意するかどうかは別として、少なくともこの人はトピックを理解しとる」って思ってほしいんや。
全部読んで、全部理解して、人々が実際にしとる議論に応えとるって。スキップしたり、無視したりせずにな。
大きな作品を書くプロセスを教えてくれへんか。
まだ完成してへんからな...
そうやな、これはワシが今まで書いた中で一番大きなものやと思うわ。たぶん今まで書いた中で一番大きなものやな。
そうやな、多くは同じやな。長い間考えて、たくさん読んで、自分の頭の中を整理するんや。それからこれについては基本的にアウトラインを作っていくんや。
言うたように、全てのポイントを書き出して、それを整理し始める。構造を埋めていって...全体像を絞り込んでいく。そしたら一つずつポイントを練り上げていくんや。
Google Docsを使っとるんか?
そうや、今の時点ではGoogle Docsやな。
ワシはあっちこっち行ったり来たりしとるんやけど...引用すべきかどうか迷うんやけど、たぶん何も引用せえへんと思う。
今回は、たぶん何も引用せえへんわ。いろんな主張をするけど、全部引用できるんやけど、たぶんせえへん。
なんでや?
正直言うて、する必要がないからや。誰が気にするんや?
みんな実際に気にするんやけどな。
でも最後に読書リストは付けるつもりや。もし読書リストの本を全部読んだら、ワシが主張したことの全ての裏付けが得られるはずや。
そしたら...これはマニフェストやから、論争的な内容になるんや。説得力があって、信者を集めるようなものにせなあかんから、そういう精神とエネルギーを持たせんとアカンのや。
古いマニフェストをたくさん読んで、ちょうどええ雰囲気を掴もうとしとるんや。
そこから何を学んだんや?
めっちゃすごいんや。これもまた...これは驚くべきことの一つやな。もっとマニフェストがあってもええはずなのに。めっちゃ強力な...
どこにも行かへんマニフェストはたくさんあるけど、「共産党宣言」みたいな影響力のあるものを見ると...ワシは「ファシスト宣言」も読み直したんやけど。
「未来派宣言」は読んだことあるか?
それを考えとったとこや。そうや。
ミリネッティのやつやな。
もちろん、これは芸術や文学の宣言やけど、同時にその時代の精神を捉えてて、ファシズムの台頭を予言しとるんや。そうや、イタリアのファシズムや。
実際、ミリネッティは重要な役割を果たしたんや。イタリアファシズムの着想源の一つやったんや。
同時に芸術的で感情的で知的で...ある程度政治的やったんやけど、「戦争の栄光」みたいなことにも触れとったんや。
もちろん、彼には後に何が起こるか予測できへんかったんや。これ、1910年か1912年くらいの話やからな。だからこの人たちには...マルクスだって後に起こることは予測できへんかったし、明確に政治的な人でさえ、後に起こることは予測できへんのや。彼はその中間くらいやったんやろうな。
あんたが文章についてフィードバックを求める時、何についてのフィードバックを求めとるんや?
まあ、主に褒め言葉やな。自我を満足させるためやな。「マーク、これ素晴らしいわ。こんなの読んだことない」みたいなんを求めとるんや。自分のことをよく思わせてくれるのが主な動機やな。
まあな...いくつか求めとるものがあるわ。一つは、あまりにも多くの人を怒らせへんかってことや。特に意図せずにな。
人を怒らせるつもりなら、わかった上で怒らせたいんや。意図せずに怒らせたくないんや。過去にそういうことがあったからな。
それが一つ。あとは...明確さやな。理解できるか? 伝えたいことが伝わっとるか?
そして正直なところ...特に信頼しとる人からは...「これはええか?」「スタイル的にええか?」「退屈になってへんか?」みたいなことを聞きたいんや。
昔からある作文のアドバイスで、「最後の段落を最初の段落にしてみい」っていうのがあるやろ。ワシはいつもそういうことを考えとるんや。順番は合っとるか? 最初にインパクトがあるか? 最後まで読ませる力があるか?
これらのことは本当に...こういうものを書いてると、自分では近すぎて...
新鮮な目で読むのが難しくなるんや。
人々はあんたの何を一番批評するんや?
たぶん人を怒らせることやな。だから...攻撃性を調整することかな。
あとは...ワシは効果を狙っとるから...フィードバックの中には「わあ、これめっちゃ論争的やな」とか「これめっちゃ...」みたいなのがあるんや。
そしたらワシは「そうや、それがまさにワシが狙っとることや」って言うんや。客観的な観察者になろうとしてへんのや。30,000フィート上空から物事を見下ろすような観察者になろうとしてへんのや。
今まさに起こっとることについて、ワシらがその真っ只中にいるものについて書こうとしとるんや。
映画を書いてみたいと思うことはある? 短編映画とか?
もし...そうやな、デヴィッド・ミルチの言葉が重くのしかかっとるな。わからんわ。
8分くらいのマニフェストを作って、YouTubeに上げるのはどうや? バズるで。
悪くないアイデアやな。実際にめっちゃええアイデアやわ。
アシストをくれたな。めっちゃええアイデアやで。
そのとおりや。ゴールは2点、アシストは1点やな。
めっちゃええアイデアやわ。
これはええ例やな。こういう例はあるんや。実際に起こっとるんや。
でもな...技術が可能にしたことを考えると、もっとたくさんの文字通りのアニメーション短編があってもええはずやな。
マニフェストを作って、エネルギッシュなものにしようとしとるなら、映画にして、8分くらいの長さで、Twitterに投稿したらめっちゃうまくいくと思うわ。
そうやな、また時代とともにメディアが循環しとるんや。短編映画はずっとあったけど...
短編映画祭に行ったことあるか?
ないわ。
大学の時に何回か行ったことあるわ。
なんか変やろ? 短編小説みたいなもんやな。変なジャンルやねん。短編小説や短編映画の嫌なところは、やっと面白くなってきた頃に終わってしまうことやねん。
常に期待させては裏切るみたいな感じやから、フィクションとしてはちょっとフラストレーションがたまるんや。
でもあんたの言うとおり、そこに何か魔法のようなものがあるんや。ワシらはこれについて話したけど、ワシは本当にワシらが今境目におると思うんや。
LLMとか生成AIとか...文字通り今やっと機能し始めたところで、もうめっちゃうまく機能しとるんや。全然機能せえへんかったのが、いきなりめっちゃうまく機能するようになったんや。
文章を書くのを助けるのにめっちゃうまく機能するし、アートを生成するのにもめっちゃうまく機能するんや。ワシらはこの瞬間に座っとって...理論的には1、2年以内に、エッセイを入力したら短編映画を作ってくれるAIツールができるはずなんや。
でもそれはまだ存在せえへん。でもほとんどその寸前までおるんや。今日それをやろうと思ったら、手作業でできるんや。Journey や Stable Diffusion みたいなのを使って、あんたが言うてたことをめっちゃ早くできるんや。
ワシ自身でもテキストを入力するだけでできるかもしれんな。だからワシらはこの...でもあんたも知っとるように、ほとんどのプロの作家はこれをやってへんし、ほとんどのプロのアーティストも...
ワシら全員がこの潜在的な能力がそこにあるって知っとるのに、まだ実際にはやってへんのや。ワシには判断が難しいけど...
5年後には、ここに座ってこう言うてるやろ。「ああ、すべてが変わってしもた」って。突然、言葉のアーティストも視覚のアーティストも、自分を表現するのがめっちゃ早くなって...
めっちゃ生き生きとしたものになったって。
Twitterでの情報環境のキュレーションについて、あんたはどう考えとる?
常に戦いや、常に苦労しとるんや。
あんた、たくさんの人をフォローしとるよな。
そうや、たくさんフォローしとるわ。
リストは使っとるんやろ?
そうや、リストは使っとるわ。
リストのことで学んだことがあってな。昔は公開されとったんやけど、今はそうやないんや。人々がワシのリストについてヒットピースを書き始めたからな。
だからそれは回避したんや。
ちなみに、イーロンはワシのことを臆病者やと思っとるけど、ワシはまだ非公開にしとくつもりや。
彼は「なんで気にすんねん?」って言うんや。ワシは「ワシの下で働いとる人がおるからや」って言うたら、彼は「ワシの下でも働いとる人がおるやん」って。ワシは「わかっとるよ」って。
だから...バーベルのアイデアに戻るんやけど...
基本的にワシの主な情報摂取は本とTwitterやねん。Twitterに求めとるのはめっちゃ具体的なことなんや。今まさに起こっとることの直接的な情報が欲しいんや。それも、ワシが見つけられる中で最も賢くて洞察力のある人たちからな。
だからワシのやり方は、一般的なフォローについては、一つのツイートでフォローするかどうか決めるんや。そして一つのツイートでブロックするかどうかも決める。
基本的に...これが文章の力やと思うんやけど、実際にTwitterでフォローしとる人の中に、一つのツイートで天才やと気づいた人が何人かおるんや。
何かを指摘して、ワシが「わお、ここに何か特別なものがある」って思うんや。140文字以内で、めっちゃ多くのことを伝えられるんや。「この人は本当に特別や」って思えるんや。
信じられへんな。2、3文の中で、その人がめっちゃ頭が切れて、高いIQを持っていて、世界の見方が普通と違うって分かるんやな。
そうや。2、3文やで。
あんたも知っとるように、それはめっちゃ少ない文字数やねん。2、3文に入れられる単語の組み合わせは限られとるのに、それでも目立つ人がおるんや。本当にそうなんや。
Twitterはそういう人を見つけるのにめっちゃええんや。ワシはいつも言うんやけど、Twitterは世界で最高で最悪のものやって。
みんなTwitterがどれだけひどいかばっかり言うけど、まさにこの理由で同じくらいすばらしいものでもあるんや。
ワシは一つのツイートでフォローするし、一つのツイートでブロックするんや。めっちゃ気軽にブロックするんや。
全体的なフォローリストは、世界が自分に向かってくるような全体像を掴むためのものや。
そして、もっとキュレーションされた小さなリストのセットを持っとるんや。ちなみに...ワシは考えを変えるんや。
ワシをめっちゃイライラさせる人がおるんや。しばらくはフォローするのが楽しいけど、そのうち「この人、ワシに何かしとるな」って思うんや。そしたらフォロー解除や。
最後の質問や。P MarcoについてB教えてくれへんか。
なんであんたのスクリーンネームがそれなんや?
大学生の時...イリノイのスーパーコンピューターセンターで働いとったんやけど、誰もワシのことを知らへんかったんや。ただの大学生やったからな。
でも、当時のワシの上司の上司が、ちょっと有名やったんや。彼には二つのメールアドレスがあってな。普通のやつと、Pで始まる「プライベート」なやつ。彼が実際に読むのはそっちやった。
ちょっと「ああ、この人は偉い人やから、二つのメールアドレスが必要なんや」みたいな感じやったんや。でも同時に「みんなに自分が偉い人やってことを知ってほしいんや」みたいな感じもあったんや。
そんな状況やったから、ワシが「P Marco」って名乗るのはめっちゃおもろかったんや。ワシも偉い人で、二つのメールアドレスが必要やって感じやったからな。
今やみんながそれを知っとるから、プライベートメールアドレスの意味がなくなってしもうたな。
うん、裏目に出たな。
まあ、それはええ楽しみやったわ。ありがとう、マット。
ええよ。素晴らしかったわ。ありがとう、デヴィッド。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?