“自分”を研ぎ澄ます
ここのところ、良く考える事がある。
「自分らしさ」って何か、って事だ。
私を含め、同年代の多くの人々は、社会や目上に人達から与えられた「基準」に沿って生きる事を強いられてきたと思う。
周りから「こうあるべき」「幸せとはこういうもの」「充実した人生とはこうだ」といった価値観に適合することこそが人生の醍醐味であり、
そこから逸脱する者は不適格者だ、ぐらいの圧迫感を、私は感じて生きてきた。
けれど、そうした価値観がここ数年ぐらいでガラガラと音を立てて崩れ、もうそれが通用しない所まで来ている。
私みたいな“普通”から外れた人間からしたら、その傾向は本当に歓迎すべきものだ。
「ようやく時代が私に追い付いて来たか。今まで感じていた生き辛さは、自分が先を行き過ぎていたからだ。」と、少々武者震いと冗談を交えながらも、
結構本気でそう思う部分もあるのが事実だ。
そうは言いつつも、幼い頃や若い頃の私は、「この世界に馴染まなきゃ、認められなきゃ。」と、健気に頑張ってもいた。
だからこそ、もっと自分に価値を付けようと、沢山の本や価値観に触れて知識を増やすために努力して来た。
一生懸命インプットして来たその事が、今私の考えを支えてくれている。
今、この場を借りてアウトプットしているんだけれど、
書いているのは紛れもない、私の本心。
ただ、その本心は、きっと今まで大量にインプットして来た、多くの文章や価値観が熟成されて生まれた物だと思う。
ここに書かれた私の上澄みは、奥深くに沈殿された、多くの物から浮かび上がって来たもの。
だとしたら、以前の価値観が私に与えてくれたものも、少なくはないのかも知れない。
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