ナイト・ピクニック
もうずいぶん昔の話になる。東京・新宿にある「高野フルーツ・パーラ」に入って、一人で時間潰しをしていた時のこと。私の隣に体格のいい外国人の男性が、どかっと、座った。大きな撮影機を机の上において。
「レモネード、プリーズ」
彼は、そう注文した。けれども、暫くして、店員が運んできたのは、アイスレモンティーだった。なんとなく嫌な予感がした。この店、レモネードなんてあったけ?そばにあったメニューで確認する。やはり、レモネードはない。彼は、口調を強めながら、繰り返した。
「ノー、レモネード、プリーズ」
店員は、ただ困った顔している。英語が得意でないのかもしれない。お互いの意思の疎通ができていないのを感じた私は、一瞬迷ったが、一言、英語で助け舟をだしてみることにした。
「あのー、ここは、レモネードをおいていません」
……問題はそれで解決した。ホッ、と胸をなでおろしていると、彼が英語で話しかけてきた。
「君、英語わかるの?」
「えぇ、少しだけ」
「そうなんだ。日本人の女性はかわいそう。お店に入っても、一人でこんな風に大人しくしているなんて」
「そう?私、夕方から、友人と待ち合わせしているの」
その後は、彼が、まくし立てて話してきたので、私は、聞き役にまわった。「アニメーション、アニメーション」という単語を、連発しているし、秋葉原に行って色々と買い物をしてきた、などと嬉々と話す。始めは「アニメおたく?」と、思ったが、それは私の勘違いで、映画「マトリックス」の3D映像の撮影班の人だった。キアヌリーブス主演で、つい最近も最新型の特殊撮影が話題になったハリウッド映画だ。日本でも話題になっていた。
「これから、仕事の集まりがあってね。でも、僕は酒ものまないし、煙草もすわない。きれいな女性も、見慣れているんでね。憂鬱になっていたところ」
「へぇ」
「仕事は、楽しいからやめたくない。だけど、ハリウッドの女優も色々だよ。金と名誉にくらんでしまっている人も沢山いる」
「……そう」
私とは、あまりにかけ離れた世界の話だった。時計をみると、午後4時をまわろうとしている。思い切って、こう言ってみた。
「ナイト・ピクニックにいきませんか?これから私、代々木公園にいくのです」
ナイト・ピクニック……その頃の東京・代々木公園は、無料で夜の公園の解放をしていて、友人何人かと、そこで夜のピクニックをすることになっていたのだ。
「お酒もたばこもダメなんでしょう?」
私が笑うと、彼は、目を輝かせて一緒に立ち上がった。
食べ物は自分たちで持ち寄ることになっていたので、行きがけに二人で、サンドイッチやサラダなどを適当に買い、代々木公園まで歩いた。思いがけないゲストに、私の友人たちも大喜び。彼が持っていた大きな撮影機を貸してもらって、撮影ごっこをはじめる人も。その間、始終、彼はニコニコしていた。そして、お別れの時にいってくれた。
「いままで、何度も日本に来たけれど、こんなに楽しかったのは、初めてだったよ。ありがとう。その君の〝普通っぽいところ“大切にしなね」
それから、私は私の「普通っぽさ」を、ずっと大事にしている。