[ハリポタ]なぜ「ハリー」ではなく「ヘドウィグのテーマ」なのか
こんにちは。あんぱんです。
新年最初のあけおめ記事は、ハリー・ポッターです。
(※ハリーポッターそのものの説明は全て省いておりますので、ハリポタ履修済みの方向けの記事となっています。)
はじめに
この記事を書いている現在、金曜ロードショーにて3週連続でハリー・ポッターが放送されている。なんだか、1、2年に1回くらいの結構な頻度で「ハリーポッター祭り」が開催されている気がしなくもない。が、何度も何度も見ているはずなのに、放送されているとチャンネルを合わせてしまうこの不思議。そして見終えた後しばらくは、ハリーポッター熱が冷めやらない、という経験があるのはきっと私だけではないはず。これもハリーの魔法であろう、恐ろしいものだ。
さて、そんな何度でも虜になってしまうハリーポッターシリーズ。その魅力は多岐にわたるが、個人的に結構重要だと思うのは、劇中で流れるサウンドトラックである。
映像作品に没入するための要素として、音楽は必要不可欠だ。音楽がないだけで、味気なく感じたり、シリアスなシーンなのにシュールに見えてきて面白くなってしまったりする。
だが今回は、サントラたち自体についてではなく、ハリーポッターのテーマ曲である「ヘドウィグのテーマ」(作曲:ジョン・ウィリアムズ)のタイトルについて気になったことを考えてみる。
・「ヘドウィグのテーマ」というタイトルへの疑問
ハリーポッターといえば、の曲。
ハリポタ最大のテーマ曲のタイトルが、「ヘドウィグのテーマ」。
なんでハリーってつけないんだろう、と何年か不思議に思っていた。
そこで私は、「ヘドウィグ」を「フクロウ」という言葉の中に含んで少し拡大解釈することにした。
そして、ヘドウィグ(フクロウ)はハリーから見た魔法界の象徴ではないか、という結論に辿り着いた。
・魔法界とハリーを引き合わせたフクロウたち
ハリーが本格的に魔法界(およびホグワーツ)と関わることになったきっかけの出来事は、ホグワーツから大量のフクロウ便が届いたことだ。
少し本編の話をしよう。
フクロウが飛んでくるとヘドウィグのテーマが流れる箇所はいくつかある。
個人的には、一作目の序盤で、ハリーがダーズリーの家の窓から外を覗くと、庭におびただしい数のフクロウが集結している、というシーンでこの曲が流れていたのがとても印象的だった。
初めて見た時、一つの家の前に大量のフクロウが集まるという状況を不可思議に思うと同時に、これからどんな現象が起こるのかとこの後の展開がとても気になったのを覚えている。奇妙さと期待が融合した場面だったと思う。(そして、ダーズリー家にはホグワーツからの手紙が雨のように降り注いだのだった。)
ここでのフクロウたちは、ハリーと魔法界とのファーストコンタクトという重要な役回りだ。
・ハリーと魔法界をつなぐヘドウィグ
「ハリー」と「魔法界」という構図を考えた時に、あいだにフクロウが自然と介入しているように思う。
魔法界では、手紙や物を郵便で送る役目をフクロウが担っている。夏休みになるとダーズリー家に収容されるハリーは、ヘドウィグに手紙などを託し、バーノン叔父さんの目を盗んではコソコソっとロンやハーマイオニーと連絡を取っていた。また、ヘドウィグはハリーとともに部屋から出してもらえない境遇を分かち合うルームメイト的なところもあり、ハリーの精神にも多少の影響は及ぼしていると思う。休み期間中に、魔法界とだいぶ距離ができてしまうハリーには、ヘドウィグおよびフクロウは人一倍大事だ。彼らがいなければ、ハリーは完璧に魔法界と断絶されてしまう。ハリーにとって彼らは、魔法界とのつながりを象徴する存在である。
以上のことから、「ヘドウィグのテーマ」というタイトルは、ハリーにとっての魔法界との「はじまり」と「つながり」を意味するのではないかと考えた。
あとがき
本当は、全部で三曲取り上げたかったのですが、言いたいことがいまいち文章にできなかったので、今回はヘドウィグのテーマのみとさせていただきました。
いつかはあとの二曲についても書きたいです。
ハリーポッターに思い入れのある方はとても多いと思います。もちろん私もその一人。なので、また今度の機会にハリーポッターを思う存分語らせていただきます。
⚠︎あくまで個人の意見です。おかしなところがあってもご容赦ください。
最後にここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!!