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鼻歌がきこえました

歩いていると、音楽がきこえてくることがあります。うんざりするほど耳にしたヒットソングとか、ピンとこなかった映画の主題歌とか、耳に馴染んだフリーBGMとか、やけっぱちのCMソングとか、列車の到着を告げるオルゴール風のアレンジとか。とにかく沢山の「音楽っぽいもの」が、街中にはあふれています。
普段は、気にもとめません。イヤホンをつけて歩けばそういった「雑音」はシャットアウトされるし、たまたまイヤホンをつけていなくても、横を歩くサラリーマンや女子高生の会話に耳をそばだてないのと同じように、そういう音楽に耳を傾けることはないでしょう。

ですが、そういう「雑音」を無性に嬉しく感じるときが、ごく稀にこの胸を去来することがあります。そのときはたいていアルコールで酩酊していて、感覚器官が鈍磨したことで生じる浮遊感を何らかの感傷と取り違えた、未発達な感受性の発露なんだろうなと思いながら、でも、どうにも気持ちが高揚していくあの感覚は心地が良い。違法な薬物は、これを煮詰めたような快感に襲われるのだろうと思うと、むしろぞっとするくらいです。私のキャパシティには手に余るでしょう。

そんな都合の良い感傷に浸る時間に、ふと気付くことがあります。「雑踏」という言葉に何万人もの生活が押し込められるように、「喧噪」という言葉にも、沢山の音楽が押し込められているらしいぞ、ということに。あのつまらないヒットソングも、意識の水面下に鳴っているだけのBGMも、発注した人とか、作曲した人とか、歌唱した人がいるらしい。それってすごいことじゃん!アルコールで気が大きくなっているので、そんな当たり前かもしれないことに、私はいたく感動してしまいます。

ライブ会場のざわめきを目の当たりにしたときは、酔っていたわけでもないのに、似たようなことを感じました。ああ、このざわめきとかどよめきとか歓声は、一人ひとりが私と同じ「ファン/オタク/プロデューサー」で、全員が別々の場所から、別々のきっかけで、別々の(或いは一つの)想いのもとに集ってるんだ。それってすごいことだなぁ。嬉しいよ。

THE IDOLM@STER SHINY COLORS LIVE FUN!! -Beyond the Blue sky-というライブイベントに配信で参加して、現地に参加すれば良かったな~と、そもそも私生活の兼ね合いでスケジュールの都合が付きそうにありませんでしたが、都合良くもそんなことを思うわけです。やっぱりあそこには、会場を破裂させんばかりに一人ひとりが集まっていて、全員が喉をからしながらアイドルを応援して、コールとか、時には歌の一節を口ずさむわけですよね。それは音波にしてみれば騒音でしかないかもしれないけど、酩酊した私の目には音楽と見分けが付きません。いや、この表現はいくらなんでも失礼かな?ごめんなさい。酔っている人間の戯れ言と思ってください。

街中は音楽にあふれている――なんて格好いい表現を使いましたけど、まあ、私が住んでいるような地方の、いわゆる「片田舎」にまで足を伸ばせば、犬とか虫とかカエルの大合唱を音楽と捉える感性がないかぎり、音楽らしい音楽はきこえてきません。家の近所なんてその際たるものですよ。静かで私は好きなんですけどね。

LIVE FUN!! Day2の配信鑑賞会を終えて、仲良くさせていただいているシャニマスPの方と肩を組みながらお酒を流し込んで、気持ちよく酩酊した私はもちろん、イルミネーションスターズの楽曲を聴きながら帰路につきました。もうね、大号泣ですよ。駅のホームでボロボロ泣いている始末。自暴自棄になって飛び込むんじゃないかと心配してくれた人もいたかもしれません。いや、ただの酔っ払いにしか見えなかったかも。

『Twinkle way』は、歌詞の一言ひとことにまで何かを見ようとして、何度も何度もリピートしました。そしてそのたびに、胸が一杯になって涙があふれて、思考は停止してしまいます。でも、そのくらいこの日のイルミネーションスターズは心に残ったんですね。皆さんも、きっと同じなら嬉しいです。

家の玄関に着いたとき、ちょうどイルミネの三人は『Twinkle way』のラスサビを歌い上げていました。家について、鞄を降ろして、イヤホンを外して・・・・・・そんなつまらないことに歌唱を遮ってほしくないと思って、私は曲が終わるまで玄関に座って、歌に耳を傾けました。

ああ~、やっぱり良い曲だなぁ。

この曲、大好きなんですよ。
実は、敬愛する蜷川さん主催の非公式note投稿企画『voices -LIVE FUN!!-』の末席を私も汚させていただいておりまして、まさにイルミネーションスターズ、それも『Twinkle way』のミュージックレビューを担当していたんですよね。だから、LIVE FUN!!までにこの曲は何度も何度も聞き返していて、これまでよりずっと、この曲への愛着が深まっていたんです。

だからやっぱり、Day2の終演で胸に満ちた感動はやっぱり、『Twinkle way』への愛情も多分に占めていました。

この曲、大好きだなぁ。

三人の歌唱が終わってしまうことに一抹の寂しさを感じながら、私はイヤホンを外して、また、静かで静かな玄関前に戻ってきました。カエルの合唱も、犬の遠吠えもきこえません。少し寂しいような気もしますが、とても静かで、いい夜だったと思います。

不意に、『Twinkle way』のフレーズが蘇りました。それはやっぱり、機材トラブルで音が途切れてしまったなか、アイドルとプロデューサーたちで繋いだ『Twinkle way』の一節でした。もう二度と目にすることも、立ち合うことも出来ない宝物みたいな思い出でした。
すると不思議なもので、いや、現金なもので?静かな夜も寂しくない気がしてくるんですよね。沢山の音が鳴っていた時間も、アカペラの大合唱だけが鳴っていた時間も、静かでひとりぼっちの夜という時間も、ひと連なりになっているみたいです。
そういえば、音楽が時間を繋いでくれる――というのは、イルミネとそのファンたちを描いた物語『ヒカリと夜の音楽、またはクロノスタシス』が教えてくれたことでもありましたね。

なら、静かな場所なんてこの世界のどこにもないのかもしれません。いきなり主語をおっきくして、そろそろこの文章を畳みに入ろうと思います。うん、でもやっぱり、この世界のどこにも。

今日歩いた帰り道は、私がいつかの日に機嫌良く鼻歌を歌って帰った道かもしれなくて。小学生が馬鹿馬鹿しい替え歌を叫びながら歩いた道かもしれなくて。中学生たちが、携帯電話のスピーカーから鳴る流行の音楽を分け合った場所かもしれなくて。考え始めたらきりがないくらいです。
そんな風にして過ごす私の夜は、音に溢れたライブの時間とか、キラキラと光って見えるステージのあの瞬間とも繋がっているのかもしれません。私のどうしようもない人生も、誰かの命の輝きと支え合っている。

そうであってほしいという願いが、彼女らに託されていくんでしょうか。それが『イルミネーションスターズ』なんでしょうか。きっとそうなんでしょう。そうであってほしい。彼女らの絆が永遠であることも、ライブ会場に集まったみんなの愛が不滅であることも、私が過ごした今日という日を私がいつまでも忘れないでいることも。いつまでもそうであってほしいです。

あ~・・・・・・でも、怖いよなぁ。

だって、そんなの嘘っぱちかもしれないんですから。みんなシャニマスのことを忘れるかもしれないし、私だって、嘘みたいに興味を失うかもしれないんだもん。イルミネがいつまでもイルミネで在ってくれる保証なんて、どこにもない。

音のない場所で、それでも歌おうとするのってこんなにも怖いんだ。

それならやっぱり、歌い続けようとした三人(+三人)に向けて、私は賛辞を贈らないといけませんね。愛と感謝を伝えなければいけませんし、そして、ほんの少しくらいは背筋を伸ばして生きていかなければなりません。イルミネの三人がそうしたように、うん、私の人生は、それよりもうちょっと楽勝でしょう。音が途切れても歌い続けることは、そのくらいにすごいんだと思います。

現地に参加できなくて残念だったけど、今からでも、あの合唱に混ざれるでしょうか。

鼻歌くらいのどうしようもない戦力だと思うんですけど、やっぱり私も、イルミネに託したものの行く末を見守りたいと思うんですよね。音もヒカリもない「未確定な未来」に向かって、イルミネの歌声が響き渡るのを、絶対に近くで見ていたい。

みんなのことが、大好きだから!

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