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ハマかぶれ日記280〜頑張れ、佐々木投手

 もう46年も前、1979年のことだ。大学を出て勤め始めた会社の初辞令で赴任した盛岡の秋から冬にかけ、飲み歩いた夜の飲食街でしばらく話題を独占した高校生がいた。当時、盛岡工業高3年の田鎖博美さん。野球部のエースとして150キロを超える速球を左腕から繰り出し、地元の野球ファンには名前を知られていたが、甲子園出場は果たせず、中央では無名の存在だった。それが、プロ野球のドラフト会議で西武ライオンズに高順位の2位で指名され、背番号18のエースナンバーをもらって入団したのだ。182センチ、78キロと体つきもたくましい。「将来のエース」と一躍、脚光を浴びた。
 同じ北東北でも、その頃、阪急ブレーブス(現オリックス・バッファローズ)の大エースとして君臨していた山田久志投手を輩出するなどスポーツ県で知られた隣の秋田と異なり、岩手では目立った選手が出ていなかった。それだけに地元の期待がいやが応もなく高まったのだ。
 「秋田もそうだけど、北東北の人間は体が大きく頑健だ。小さい頃から技術を磨きこむ必要がある野手と違って、素質が絶対的にモノをいう投手は、いいのが出て当然」と、馴染みの飲み屋でよく会うオヤジが得意げに話していたのを覚えている。残念ながら田鎖さんは、怪我もあって7年間のプロ生活を0勝のまま過ごして引退した。くだんのオヤジはさぞほぞを噛んだことだろう。
 千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手が大リーグ、ロサンジェルス・ドジャースに移籍することが昨日、明らかにされた。20球団の争奪戦の末、本人が「とても難しい決断をした」という。岩手・三陸海岸の生まれ育ちで192センチ、92キロの偉丈夫。前述のオヤジの言葉を借りれば、「当然」の帰結だろうか。同じ岩手出身の左腕・菊池雄星投手がロサンジェルス・エンジェルスに、両刀使いの大谷翔平選手がすでにドジャースにいる。ロスにチャイナタウンならずイワテタウンができる勢いだ。
 23歳というピカピカの若手が特別にポスティング制度を使って渡米というのも異例だが、出身が公立高校というのも珍しい。菊池、大谷の両者は私立の花巻東高、野球高校で素材を磨かれた。
 今シーズン、米大リーグに在籍して活躍が期待される選手は15人いる。その中で高校が公立校というのはただ一人、と書こうと思って念のため調べたら、ほかに我が横浜ベイスターズの元エースでシカゴ・カブスの今永昇太投手、ニューヨーク・メッツの千賀滉大投手(元ソフトバンク)、フィラデルフィア・フィリーズの青柳晃洋投手(元阪神)と3人いた。まあ、多くはない。「公立の星」の観点からも、応援していきたいものだ。しかも岩手だから、ひときわ愛着がある。
 一昨日、大阪へ行き、国立文楽劇場で文楽の初春公演を楽しんできた。演目は「仮名手本忠臣蔵」の八段目「道行旅路の嫁入」と九段目「雪転しの段」「山科閑居の段」。昔、一度だけ会食する機会を得たことがある人間国宝の桐竹勘十郎さんや吉田和生さん、吉田玉男さんと、当代一流の人形遣いの円熟の技を前から3列目の席で堪能させてもらった。まるで人形が息をし、胸の内を細やかな表情の変化で伝えてくるように見える。そのとき、後ろで操る人の姿は視界から消えているから、不思議だ。
 何の世界にしろ、一芸に秀でた人たちの芸に接するのは心躍る。3日前には、日米通算4367安打の偉業を達成した元大リーグ、シアトル・マリナーズのイチローさんと元中日ドラゴンズのセーブ王、岩瀬仁紀さん、元阪神タイガースの記憶に残る4番打者、掛布雅之さんが「野球殿堂」入りを果たした。それぞれのプレーの残像を頭の隅から掘り起こすと、ときにベイスターズが味わった苦い敗戦の味も付きまとうが、「あの打球は凄かった」「あの投球は圧巻だった」と、今更ながら感嘆する場面が多いことに気づく。
 佐々木投手が大リーグでも大活躍して殿堂入りする頃にはもう、土の下だろう。あの世があるなら、土の下でも再生できるよう、しっかりとプレーぶりをまぶたに刻み込んでおかなければならない。太平洋を挟んで、ロスと横浜と。その瞬間をロックすべき選手が増えて、今年も忙しい、忙しい。
 
 
 

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