ある青春の1ページ
彼氏になる、彼女になる
これの本当の意味ってなんだと思う?
付き合う前ってみんなドキドキするんだよね。
フィルターなんかがかかっちゃってるから自分の見たいように見て、ときめいて、また好きになって。
それが間違ってるとは思わない。けど、それが真髄だとは到底思えない。
よくSNSで「一緒にいて居心地がいい人は手放すな!」なんていうよね。
あれ、本当だと思う。
もっと正確にいうと
「一緒にいて居心地よくて、変にドキドキしなくて、ありのままの自分でいられる人」なのかな?
俗なクサい言葉で言うとそれが運命の人って気がする。
でだ、じゃあそんな人と付き合うってなるとする。そこにドキドキはほぼない。
じゃあ、それは付き合うに値しないのか。
なんかややこしくなってきたな。
端的に言うと、付き合うって、彼氏になる彼女になるってそうであるためのものじゃないんじゃないかなあって。
付き合うって、ずっと一緒にいたい人とそうするための保証書みたいなもので、変に気負う必要もそう言う風に見る必要もないと思う。
なんで急にこんなこと書いたかっていうと俺が今日そんな人を手放したから。
彼女の「彼氏として見れない」に屈したから。
一橋の英文に「辛いことを文にすると辛さが和らぐ」って内容のがあったな。
そうだといいな、って思いつつこの辛さもずっと持ち続けてたいなって思う。
なんで手放したんだろ。
でも、彼女に彼氏ができたら全力で祝福するんだ。誰よりも誰よりも。
本当に好きだった人の幸せは願えると思う。
友達として。
こんなのどこにでもある青春の1ページかもしれないし、取るに足らないものかもしれない。
でも、俺に取ってはかけがえのないもので、付き合っても馬鹿話で安らげたのが、その記憶が何よりも宝物なんだ。
付き合うことのメリット、それは一緒にいることの保証ができること。
別れて悲しいこと、もちろん一緒にいる保証なんてなくなること。あと一つ、容易く「好き」を使えなくなること。
はたから見たら「そんな小さなこと」って内容。書く必要もないと思われるかもしれない内容。
でも、俺弱えからさ、諦めること、その後の幸せを願うことの決意表明になるんだろうな。
未練がましいけど、「居心地を求めることは今後もないんじゃないか」って言ってた。
心が変わって求めるものが変わっても、俺は同じところにいる。いつでも戻って来れるように。
そいつの幸せを願いながら、儚い夢を見てる。
次の恋には、到底進めそうにねえや。
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