サイコパス総理大臣



武藤勇は、日本の三代目の世襲総理大臣だった。彼は、祖父も父も総理大臣を務めた名門の家系に生まれた。彼の祖父は、現役で東京大学法学部に入学して優秀な成績で卒業し、大蔵省にトップで入った。その後政治家となり、財務大臣や自民党幹事長などを歴任した。彼の父も、現役で東大法学部に入学して卒業し、大蔵省に入った。その後政治家となり、外務大臣や自民党総裁などを歴任した。彼の親戚もみんな東大法学部に現役入学して卒業後、大蔵省に入って、その後政治家になって活躍していた。


武藤勇は、自分も現役で東大法学部に入学することが当たり前だと錯覚していた。彼は、将来総理大臣になることを夢見ていた。彼は、東大法学部卒業後、大蔵省に入って、その後政治家、ましてや総理大臣になれば、日本という国、国民の全てを自由自在に支配して、私服に肥やせると思っていた。彼は、東大法学部卒業後、大蔵省に入って、その後総理大臣になれば、自由裁量で閣僚や自民党の党三役やあらゆる人事権を自分一人の裁量で自由に行使できる絶大な権力を手に入れることができると思っていた。彼は、東大法学部卒業後、大蔵省に入って、その後総理大臣になれば、天皇家に生まれなくても天皇以上の地位に就けると思っていた。


しかし、武藤勇は現実とはかけ離れた夢を見ていた。彼は高校時代から家庭教師をつけてもらい必死に勉強したが、現役で東大法学部に合格できなかった。彼は一浪しても二浪しても東大法学部に合格できなかった。彼は三浪してまで東大法学部を受験したが不合格だった。滑り止めの早稲田大学には合格したが、彼は早稲田大学に入ることを拒否した。彼は四浪してまで東大法学部を受験したが不合格だった。滑り止めの早稲田大学には再び合格したが、今度は早稲田大学からも拒否された。


武藤勇は四浪しても東大法学部不合格だったことで社会から見捨てられた。彼は高校卒業から四年間無駄に過ごしたことで企業からも見向きもされなかった。彼は仕方なく父親の秘書として雇われたが、父親からも軽蔑された。彼は政界や親戚や世間や友人からも冷たい視線を受け続けた。彼は自分の人生に絶望した。


武藤勇の人生に転機が訪れたのは、父親が急死したときだった。父親の後援会は地盤を守るために武藤勇を推薦して、衆議院議員にならせた。武藤勇は祖父のコネを使って、政財界の重鎮から優遇されて、スピード出世した。武藤勇は財務政務次官や自民党政調会長などを歴任した。しかし、武藤勇は仕事ができなかった。彼は財務官僚から裏でひどい扱いをされる日々が続いた。彼は自分の無能さに苛立った。


武藤勇の人生にもう一度転機が訪れたのは、祖父が亡くなったときだった。祖父の遺産を相続した武藤勇は、財務大臣になった。武藤勇はサイコパスになっていた。彼はここまで来たら次は夢の総理大臣になると決心した。彼は自分の野望のためにあらゆる手段を使った。彼は自分に忠実な人間だけを登用し、反対する者は次々と排除した。彼は自分の権力を強化するために、自民党内で派閥争いを起こし、最終的に自民党総裁になった。彼は自分の権力を強化するために、衆議院解散選挙を行い、圧倒的多数の議席を獲得した。彼は自分の権力を強化するために、国会で憲法改正や安全保障法制の改正などを強行採決した。


武藤勇はついに総理大臣になった。彼は自分の夢を叶えたと思った。彼は自分が日本で一番の権力者だと思った。彼は自分が天皇以上の地位に就いたと思った。


しかし、武藤勇は間違っていた。彼は日本で一番嫌われる人間になっていた。彼は天皇以上の地位ではなく、天皇以下の地位に落ちていた。


武藤勇はサイコパスだったが、復讐心も持っていた。彼は今までひどい扱いをされた国民に仕返しすることを決めていた。彼は日本を滅ぼすことを目標としていた。


武藤勇はその目標を達成するべく、恐ろしい政策を次々と実行した。彼は経済政策として消費税を20%に引き上げ、各種税控除や年金を大幅に削減した。彼はエネルギー政策として再エネ負担金を50%にし、消費税を30%に上げた。全てのエネルギーを再エネにした。日本は大不虚になり、衣食住にも困った。企業はリストラして失業率は40%を超えた。多くの日本人は自ら命を絶った。行政も回らなくなり、ここぞと中国が日本に侵略した。日本人は虐殺され、奴隷になり、若い女性たちは中国人に強奪されたり、強制的に複数の日本人女性たちが中国人一人と結構させられた。日本国民が中国人に虐殺されたり、強奪されたりする光景を1週間、豪華な食事と女を犯しながら、日本国民の苦しみの光景を堪能して、自殺した。

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