「自分を大事に」の使い過ぎ注意という話
私は元々自分に自信のないタイプである。
話すほどでもない、誰にでもあるような幼少期からの挫折の積み重ね。
周りからの評価を気にしがちな人間の私は、
しかし卑屈だと思われたくなく、さも自信があるように、
自分軸で、自分は正しいと背筋を伸ばして振る舞ってきた。
しかしアラサーとなり、
それなりに仲のいい夫と世界一愛する娘との家庭を持ち
言ってみれば現状に満足している今。
自己認識が危うい方向に偏っていることに最近気がついたのである。
きっかけはわりとしょうもない。誕生日占いである。
「この日に生まれた人はこんな性格で、こんな運勢を持っています〜」
という内容が366日分書いてある占いの本で、自分の誕生日のページをふと覗いてみたのだ。
そこには、
「傲慢でプライドの高い人間です。気をつけましょう(要約)」
といったようなことが書いてあった。
私は大層衝撃を受けた。
自分に自信が持てないな…とほほ…のスタンスでいたところを、
スパルタ教師がいきなり出てきて頬を張り飛ばされたような気持ちだ。
そして恐る恐る、最近の我が振る舞いを振り返ってみた。
認めたくないけど、確かにそうかも………。
年齢を重ねて確実にふてぶてしくなっている。
自信を持てない現状に開き直り、
「自分はこういう人間だから」
「今の私で幸せだから」
「自分が幸せでいることが一番だから」
と、自分の立ち位置を正当化する流れができていることに気がついてしまったのである。
今の自分を正義として疑わず、向上心や客観的な視点が持てなくなる。
それどころか、持つ必要がないとすら考え始めている。
これは恐ろしいことだ。
この考え方がエスカレートすれば、
頭はカチカチになって同じものしか好まなくなり、
電車の席も譲らなくなり、何かと文句をつけ、
だんだんと人付き合いは減り、
家でダラダラとテレビを眺めるしかない未来を迎えかねない。
「自分を一番大事に考えましょう」とはよく聞く言葉である。
親にも言われてきたし、娘にもそうしてほしいとは思っている。
しかし今、アラサーの私はあえて、他人を優先してみる取り組みが
必要な時期を迎えているのではないか。
他人の相容れない考えを一旦はふむふむと傾聴する、
自分の振る舞いを疑う、
その姿勢が私の余生を変えていくのではないか。
大袈裟だが、そのように思ったのだ。
もちろん、いくら反省したからといって
人間なかなか思考を変えることはできない。
そのためにも一人で悶々とするのではなく、
たくさんの本を読み、文章を読み、人と会話を交わし、
やわらかい心の持ち主になりたいと願う。
あくまでも自分の芯は見失わないように。
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おしまい。
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